15日目 移動と制約(後編)
これは、とある男の旅路の記録である。
「それに僕、律にこの旅行を始める時にちゃんと言ったよ。『この世界の全てを見て欲しい』って」
「そう言えば、そうだったな」
少しだけ呆れたような笑みを浮かべるクロノスに、俺は小さく溜息をついた。
つまり、AIを享受した世界だけではなく、AIを拒否した世界もこの時代の日本を形成しているのだから、その世界も見て欲しいってことか。
「だとしたら、AIを拒否した世界っていうのは、比較的に俺のいた世界と近いのかもしれないな」
「どういうこと?」
「俺たちが今いる世界って、AIによる統治を受け入れたから俺がいた世界とは比べものにならないくらい科学技術や文明が発展したんだろ?」
「まぁ、そうだね」
「だとしたら、クロノスが次の旅行先として提案している『AIを拒否した世界』っていうのは、この世界に比べて科学技術や文明が発展しているとは考えにくいから、もしかすると俺にとって親近感が湧く世界なのかもしれないと思って」
そうなったら、出会い頭にお巡りさんを呼ばれることも無くなるな。
まぁ、多少のカルチャーショックとここで感じた胸を躍らせるような出来事に遭遇することは無いことを念頭に置けば、ここよりもまともな旅行が出来るかもしれない……というか、いい加減生身の人間と話がしたい。
「親近感、ねぇ……」
「ん? どうした、クロノス?」
俺の言葉に引っかかりを覚えたのか、不気味なくらい笑みを絶やさないクロノスの表情が、珍しく可愛い眉をひそめながら片手を顎に添えて考え込んでいる。
「あぁ、そうだね……確かに、律の言う通りだなと思ったまでさ。親近感……うん、確かにそうなのかもしれないね」
「お前にしては、珍しく煮え切らない返事だな」
「そうかな? いつもの返事と何ら変わらないと思うけど」
「そうか?」
「それより、このマグカップを片付けたら、律は元の世界から持ってきた物を全て持参して玄関前に来るように」
「全てか?」
「うん、全てだよ。だってもう、ここには戻って来ることは無いから」
「そっ、そうか……分かった」
いつもより少しだけ様子がおかしいクロノスに釈然としないまま、俺はクロノスと共にテーブルに向かって手のひらを翳した。
「「注文、片付け」」
これが、俺とクロノスの最後の注文となった。
「親近感……ね。果たして、向こうの世界に言っても同じことが言えるかな?」
「クロノス、準備出来たぞ」
クロノスに言われた通り、寝室にあるリュックを背負って玄関へ向かうと、何時ぞやの山登りの時に背負っていた少し大きめの子ども用リュックを背負った黒髪黒目の少年が靴を履いて待っていた。
「お前、クロノス……だよな?」
「うん、そうだけど。どうしたの?」
不思議そうに小首を傾げる少年は、どうやら時の神様クロノスで間違いないらしい。
「だってお前、髪と瞳の色が変わって……それに、お前って、この世界に来る前にリュックなんて持って来てたのか?」
「ううん、持って来ていないよ」
だよな。俺が初めてクロノスに出会った時、お前は手ぶらのまま俺の手首を引っ張って警察ドローンと追いかけっこしていたから。
「じゃあ、どうして?」
「う~ん、これには色々とあるんだけど……簡単に言うなら、僕が【手ぶら】って状態でいた場合、次の世界に住んでいる人間達から【怪しまれる】って感情を抱かれるからかな」
「怪しまれる?」
クロノスが手ぶらだったら怪しまれるって、どういうことだ?
「うん。それに、次の世界では僕の髪と瞳の色は変わっているらしいから、人間でいう【変装】ってやつをしないといけないんだよ」
「『変わってる』って、俺のいた世界にはお前みたいな子どもは普通にいたぞ」
何を今更なことを言っているんだ?
「そうなんだ。でも、どうやら次の世界ではいないみたいだよ」
「えっ?」
思わず耳を疑った。
そもそも、金髪碧眼の子どもがいないって、そんなことがあるのか?
それに、次の世界にいないからって変装までしないといけないって……
「あっ、そうだ。もう1つの世界に行くにあたって、律にはいくつか説明しないといけないんだった」
「説明?」
「というより、【制約】って言った方が正しいかな」
「制約?」
制約って……今から行く場所は俺がいた世界と然程変わらない世界なんだろ? だったら、常識だって俺がいた世界のものと然程変わらないだろうから、わざわざ制約なんて課さなくても良い気がする。
「うん。まずは、ここで体験したことは絶対に外の人間には話してはいけないよ」
「絶対に?」
「そう、絶対に」
「どうして話してはいけないんだ?」
「それは、次の世界のことを話した途端、次の世界で住んでいる人間達に部外者扱いされて、あの世界で生きていくことが不可能になるから」
「はぁ!?」
この世界のことを次の世界で話したら、住民達から部外者扱いされる上に生きていけないのか!?
「まぁ、律が考えていることを理解出来ないこともないけど、そういうことだから」
「わっ、分かった。でも、ライフウォッチはどうなるんだ?」
眉間に皺を寄せた俺の視線は、クロノスから右手首に着けていくいるライフウォッチに向いた。
この世界で生きて行くには必要不可欠で、この世界で旅行している間は何度もお世話になった代物であるライフウォッチは、この世界の住人である証明にもなる。
まぁ、見た目は腕時計型携帯端末だから、こちらが下手なことを言わなければ、この世界の住人であったという決定的な証拠にはなり得ないだろうけど。
……今から行く世界で【腕時計型携帯端末】という物が滅亡でもしていなければ。
「あぁ、ライフウォッチだったら、僕たちがこの世界を離れた瞬間に消滅するよ」
「消滅!?」
「そうだよ。ライフウォッチは、この世界にとって一番の重要機密だからね。いくら人間に親身になれる程の万能AIでも、これが外に漏れてしまうことに対する多大なリスクは恐れているみたい。だから、ここを離れる人間に対して、AIはライフウォッチと共にライフウォッチに関する全ての記憶を消滅するようにしてから外に出しているんだよ」
「記憶もかよ!」
「うん。でも、律の場合は僕の神様としての加護があるから、記憶を消させることは無いから安心して」
『安心して』って言われても……
いくら『この世界の真実を外に漏れたくないから』って、人間の記憶ごと消滅させるなんて、人権無視も甚だしいだろうが!
「それに、今から行く世界に住む人間達は、この世界のことをあまり良く思ってないみたいだよ」
「そうなのか?」
「うん。それはまぁ、律の目で直接見て欲しいな」
「そういうことなら、これ以上は聞かない」
それは、最初から決めていたことだから。
『この世界のことを、俺のいた世界に伝える』……この一方的に突き付けられた理不尽な約束を果たす為にも、俺の目で直接もう1つの世界を見ないとな。
「それと、最後なんだけど」
「ん? 何だ?」
「今から行く世界に着いたら、僕の調子に合わせて欲しい」
「どういうことだ?」
クロノスの調子に合わせるって一体……?
「これに関しては、僕が説明するより直接見た方が分かりやすいんだけど、とりあえず僕が合図するまで、律は僕の言ったことに対して合わせて欲しんだ」
「それってつまり、クロノスの言ったことに対して、俺がその場で口裏合わせをするってことなのか?」
「そういうこと。あと、僕が言ったことに対して驚かないこと」
「驚かない?」
「うん。例えば、僕が律のことを『実の父親なんです!』って言って、他の人間に紹介して……」
「はぁ!?!?」
突如として齎された爆弾発言に驚いて声を上げると、ショタ神様が目を細めて俺のことを睨み付けてきた。
なるほど、そういうことか。
クロノスの表情で制約の意味を理解した俺は、咄嗟に口元を覆って視線を逸らした。
要はクロノスから発せられる予告無しの爆弾発言に対し、一切の動揺を見せないままクロノスの言ったことに対してその場で辻褄を合わせるってことか……って、絶対無理だろ!
口元を覆っていた手をゆっくり外して大きく息を吐くと、視線をクロノスに戻した。
「すまん、取り乱した。だが、今のやり取りで理解出来た。そういうことなら、何とか取り繕えるように最善を尽くす」
とりあえず、クロノスが合図を送るまで俺は営業モードでいよう。これなら、クロノスのアドリブに対応出来る……はず。
「とは言っても、持つのは外に出ている間だけだからな」
「うん、僕も向こうの世界で用意した家の中では、ここと同じようにいて欲しいからさ」
険しい表情からいつもの憎たらしい笑みに変わったクロノスに小さく息を吐くと、表情を引き締め直した。
というか、あっちにもここと同じような家があるんだな。何とまぁ、用意周到なショタ神様なことだ。
「それじゃあ、伝えるべき制約も全て言ったことだし……行こうか、律」
「あぁ、行こう。クロノス」
口角と上げたクロノスから差し出された手を取って握ると、そっと目を閉じた。
いざ、次の旅行先へ!
パチン!
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




