15日目 移動と制約(中編)
これは、とある男の旅路の記録である。
※≪≫の部分は、クロノスの語り部の部分です。
「旅行先を、移動?」
眉間の皺を更に深くする俺に、マグカップに注がれているオレンジジュースを一口だけ飲んだクロノスが、自信ありげな笑みを浮かべながら口を開いた。
「そう、旅行先を移動。律のいた世界でもあったでしょ? 住処を変えてまで別の場所に旅行すること」
「まぁ、あると言えばあるが……」
俺の場合、クソ上司のお陰で複雑のどころか一カ所に旅行で訪れることさえもしなくなった……いや、出来なくなったんだが。
「要は、こことは違う場所に旅行に行くってことだよな?」
「そういうこと」
なるほど、そういうことなら納得がいく。しかし……
「別の場所って、どこに移動するんだ?」
こことは違ってことは……まさか、今度こそ剣と魔法の世界に!?
「律、何を期待しているのか知らないけど、律が学生時代に書いていた物語の舞台だった【剣と魔法の世界】って呼ばれるところじゃないからね」
「わっ、分かってる!!」
クソッ、少しでも期待した俺がバカだった。
というかコイツ、知らぬ間に俺が考えていることを読めるようになったんだ?
いや、人間のことをよく分かっていないショタ神様が読み取れたんだから、この場合、単に俺が分かりやすい顔をしていたんだ……大変不本意ではあるが。
「本当かな~? まぁ、良いや。それよりも……律」
「何だ?」
「足元にあった日本のことを覚えているかな?」
足元って……あぁ、あの。
「もちろん覚えているぞ。むしろ、忘れられるはずがない。あんなショッキングピンクと緑色しかないマーブル模様の日本列島なんて……」
「ほう?」
俺の言葉に引っかかりを覚えたクロノスが、俺に向けていた表情を呆れ顔から興味深そうなものに変えた。
「なっ、何だよ?」
「いや、律の……人間の記憶能力って、僕が思っているより劣っているわけじゃないんだと思っただけだよ」
「それ、馬鹿にしているのか? それとも、褒めているのか?」
「何言ってるの? 律」
小首を傾げるショタ神様に大きく溜息をついた。
どうやら、思ったことをそのまま口にしてしまったらしい。悪意や他意が無い分、余計に質が悪いが。
「いや、何でもない」
「ふ~ん、別に良いけど。でも、次の旅行先をちゃんと把握していたみたいだね」
「俺、次の旅行先を把握していた?」
「あれっ? 違った?」
不思議そうな顔をして小首を傾げ続けているが、俺がさっき言ったことに次の旅行先が含まれてたか?
「なぁ、クロノス。次の旅行先ってどこだ?」
次の旅行先がどこなのか皆目見当がつかず少しだけ苛立っている俺に、少しだけ口角を上げたクロノスが上目遣いで次の旅行先を伝えた。
「ショッキングピンク以外の場所だよ」
「ショッキングピンク以外の場所?」
湧き上がってきた苛立ちを抑えようと、ぬるくなってしまったホットコーヒーで一息ついた俺に、笑みを絶やさないクロノスが再び頬杖をついた。
「律も言ってたじゃん。『この世界にはショッキングピンクの場所が点在している』って」
「確かに言ったが……でも、この時代の日本国民って、全員がAIの傀儡になったんじゃないのか?」
疑問の目をしながら少しだけ前のめりになって聞いている俺に、頬杖をやめたショタ神様が小さく首を左右に振った。
「違うよ」
「えっ、違うのか?」
てっきり、日本国民全員がAIの統治下にいるかと思った。
「うん。そう言えば、これだけは昨日話していなかったね」
「ん? 話してなかった?」
昨日、クロノスが俺に話していなかったことがあったのか?
様子からして隠し事ではなさそうだが……もしかして、単に話す必要が無かったと判断したのか? それとも、後で話すつもりでいたのか?
小首を傾げている俺を他所に、目を伏せながらほんの少しだけマグカップを傾けたクロノスが、静かにマグカップを置きながら対面の俺にいる目を合わせた。
≪渡邊翔太が最後の内閣総理大臣として勤めを終えようとした日、翔太の下には47人長全員が集まった。でも、集まった47人の長達全員がAIの傀儡になることを了承したわけじゃなかった≫
「それってつまり、AIの提案を拒否した都道府県の長がいたってことか?」
「そうだね」
まぁ、地方自治をAIに委ねたくない気持ちは分からなくもないが……
「でも、47人の長達……いや、この場合は日本国民全員もだな。この時代に住んでいる日本国民は、全員『今までの地方自治が、全てAIによって成り立っていた』ってことを翔太の説明で知ったんだよな?」
「うん。それに、この時代に住んでいる人間達は、翔太の言ったことに対して【不快感】ってものを示すことはあったものの、納得はしていたんじゃないかな」
「だとしたら、AIに委ねた場合とAIを拒否した場合の末路くらいは分かっていたはずだ。彼らが荒廃した世界を生き抜き、その先で享受した平和を体感しているなら尚更……」
この世界のAIが、人間達にとって有益な存在であることは、この世界の人間じゃない俺でも分かった。
もしかすると、翔太が総理大臣の辞任する日までに長同士で政治的な駆け引きや色んな思惑があったかもしれないが、地方自治を取り仕切っている彼らとその彼らが治めている土地に住んでいる人達なら、この世界のAIが有能なことは俺以上に理解出来たはず。
なのに、どうして……
「人間の律がそう考えるのなら、そうなのかもしれないね。でもさ、だとしたら……どうしてこの世界はショッキングピンク一色じゃないのかな?」
「それは……」
AIの提案を拒否した長達やその後ろにいる日本国民達の思惑が分からず口を噤んで、目の前の神様から視線を外した俺の耳に、楽しそうな声が聞こえてきた。
「フフッ、簡単だよ。翔太の提案を拒否した人間達全員が、AIに自治権を奪われることを良しとしなかったからだよ」
「えっ?」
「奪われたくなかった?」
とてもシンプルな答えに啞然とした俺と目を合わせたショタ神様は、口角を上げて再び頬杖がついた。
「そう、彼らはAIに地方自治を委ねることに納得しなかったんだよ」
「どうしてだ? 欲望に忠実な人間なら、AIに委ねることが自身の利益になることも、拒否することが愚かな判断だということも分かっていたはず」
別世界から来た俺がこんなことを口にしてしまったのは、きっと14日間過ごしたこのAIに支配された世界を理解してしまった故かもしれない。
「そうかもね。でもさ、人間には【プライド】ってものがあるんでしょ?」
「あぁ、確かにそれはある……ってまさか!?」
「そう、そのまさかだよ」
そんな、まさかそんな理由で……
「彼らは、『人間の世界は、人間が守るべき!』という、神様の僕には到底理解出来ない理由と、『自分が、地方自治を纏める長でなくてはいけない!』という、神様の僕から見たら実につまらないプライドでAIの提案を拒否したのさ。全く、人間って本当に欲が深い生き物だね」
拒否した彼らの思惑に気づいた俺は、思わず吐きそうになった。
確かに、人間らしいと言えば人間らしいものなのかもしれない。
だからこそ、欲望が蔓延るこの世界の人間にプライドがあるとは思い至らなかった。
だって、そんなものはAIによって奪われてしまったと思っていたから。
「つまり、彼らと彼らが治めている都道府県民の総意でAIに委ねることを拒否したってことだよな?」
「そういうこと」
この時代の日本にも、俺のいた世界と同じように人間らしくあろうとする心が残っていたんだな。
その真実に触れることが出来て、俺は人知れず少しだけ胸を撫で下ろした。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




