3日目 散策と人機①
これは、とある男の旅路の記録である。
『ハーレムを築きたければ、お好きにどうぞ。ただし、私に関わるのはこれっきりにしてくださいまし』
『だっ、誰があんたなんかに関わるもんですか! そもそも……』
「おはよう……って、朝から何観てんだよ」
「おはよう。何って【アニメ】ってやつを観ているのさ。分からない?」
「それは見れば分かる。だが、朝から観るような内容のものではないだろう」
昨日と変わらない時間に起床して洗面台で顔を洗い、朝飯を食べようと寝ぐせのついた頭を掻きながらリビングに入ると、テレビの向こうで美しく着飾った女性同士の醜い言い争いをソファーで寛ぎながら無表情で観ているクロノスがいた。
こいつは朝から何を観てるんだ?
「そうなの?……そう言えば、大多数の人間って【朝】って呼ばれる時間に起きたら、テレビで【ニュース】っていうものを観て、人間界で起きてる様々な情報を収集するんだったね。特に【お天気お姉さん】と【占い】は、人間達の間で一番興味を惹かれるらしいね」
「何だ、その偏った認識は!」
まぁ、間違ってはいないが。
俺だって、朝起きてテレビ付けたら、美人の可愛いお姉さんが笑顔で今日の天気を伝えてたら、何故だか朝から得した気分になるけど……いや、そうじゃなくて!
「まぁいい。それより、神様は人間の醜い争いに興味があるのか? てっきり、人間のやることなすことには、無関心だと思ってたんだが」
「確かに、人間の言動に関しては、僕たち神様は基本的に無関心だよ。だからといって、興味がないわけじゃないのさ」
「そうなのか?」
「そうだよ。人間には、神様が理解したくても理解出来ない【感情】というものがあるからね。そして、その感情がどのように生まれて、どのようなに作用して、どのように影響するのか……考えただけでも興味がそそられるよ。見てるこれだって、人間の【怒り】って感情が作用して起きてることでしょ? 人間って、本当に観察してて飽きないし興味が尽きないよ」
「そっ、そうなんだな」
俺だって、目の前にいる神様が、どうして画面の中で繰り広げられてる女性同士の修羅場に興味を持ったのか、全くと言っていい程に理解出来ない。
まぁ、俺もたまにではあるが、休日の朝から配信サイトを使って、見逃してる深夜番組やドラマにアニメを観ることがあるからな。
けど、流石にここまでカロリーが高そうなものは観ない。
「あっ。もしかして、僕が好き好んでこの番組観ていると思った?」
「えっ、違うのか?」
てっきり、クロノスが興味本位で観てるものだと思った。
「心外だな~。僕だって、最初は人間と同じようにニュースを観てたよ。だけど……どれもこれもが、僕からしたら知ってることばかりだったから、だんだん観てるのが無意味だと感じてしまって。それで、ライフウォッチに『この世界で、流行ってる番組教えて』って言ったら、これが映ったから観てただけだよ」
「そう、だったのか……」
昼ドラのドロドロした言い争いをしているアニメが、この世界の流行りなのか。
この世界の人間の嗜好と流行は、俺のいた世界と変わらないのかも知れないけど、それでも全く理解出来ない。
立ったまま話をしていると、だんだん立っているのが辛くなってきたのでクロノスの隣に腰を下ろす。
ここのソファー、俺の実家にあるソファーより断然座り心地が良い。
この世界では、これが普通なのか?
「ところで、そのアニメの内容って何なんだ?」
「え~っと、ねぇ……確か【乙女ゲームの悪役令嬢】ってものに転生した主人公が、【破滅フラグ】ってやつを回避する為に策を巡らせて行動したり、乙女ゲームの登場人物達と仲良くなったりするって内容だよ」
「へぇ~、悪役令嬢ものではよくある内容だな」
「そうなんだ。それで、今は私利私欲に忠実なゲームの【ヒロイン】と呼ばれる人間と主人公が対立してて……」
「あぁ、もう分かったから。それより、朝飯にしよう。クロノスだって、腹減ってるだろ?」
「別に空いてないけど、いただくよ。あと、テレビはこのままで良い?」
「えっ? それは構わないが、俺は観ないぞ」
「うん、律に付き合ってもらおうなんて思ってないから」
心外だと言いながらも、どうやらこのアニメがお気に召したらしい。まぁ、爽やかな朝に観る内容では無いけどな。
小さく溜息をつくと、ダイニングテーブルの方に手を向けた。
「注文、朝飯」
「ところで、今日はどうするんだ? 昨日は念の為に家で過ごしたが、今日は外出をしても大丈夫だよな?」
朝飯を平らげて片付けを済ませると、昨日と同じようにクロノスの用意してくれたホットコーヒーで一息つきながら、今日の予定について話した。
ちなみに、今日の朝飯は白飯・味噌汁・焼き魚・漬物の超ド定番の和食にした。
初めて【箸】というものを見たらしいクロノスは、最初は興味深そうに箸を持って眺めていたが、実際に箸を使って食べ始めると、目に見えて苦戦していて、その姿がただの子どもに見えた俺は、頬が緩んだ顔を出さないように必死にだった。
ショタ神様の悪戦苦闘っぷりに見かねた俺が、箸の使い方を教えようとすると『知ってるから、話しかけないで』と拗ねた返事が返ってきて、それがまた子どもっぽくて、堪えきれず小さく吹き出したんだよな。
吹き出した途端、軽く睨まれた気がしたが、時の神様の思わぬ弱点を見つけて、少しだけ優越感に浸っていたことは、ここだけの話としておく。
明日の朝飯も、クロノスの為に和食にしようか。
でも、そうしたらへそを曲げられそうな気がするから止めておくか。
「うん、外に出ても大丈夫だけど……行きたいところある?」
「…………えっ?」
「えっ?」
問いかけに問いかけで返されて、言われたことを把握するのに少しだけ時間を要した。
「えっと、クロノス様? あなた様、俺とこの世界を旅行したくて、俺のいた世界から呼び出したんですよね?」
「うん、そうだけど……何で畏まってるの?」
「いや、特に深い意味は無いから気にしないでくれ。それで、話を戻すが、それだったら行きたい場所とかやりたいことあるんじゃないのか?」
「行きたい場所にやりたいこと? それは、律がじゃなくて?」
「まぁ、行きたい場所はあるにはあるが……連れてきた張本人であるクロノスは無いのか?」
俺としては、俺をこの世界に連れてくるという目的とは別に、どうしても行きたい場所や叶えたいことがあるから来たとすれば、そちらを先に叶えた方が先だろう。
俺の願望は、その後でも大丈夫だと思うし。
「僕? 僕は、別に行きたいところとか無いし、この世界でやりたいことなんて……あっ、あった」
「ん? 何だ、クロノスのやりたいことって?」
少し前のめりになって聞くと、対面のショタ神が自信ありげな顔で口を開いた。
「律が行きたいところに連れて行って、律がやりたいことを叶えてあげること!」
満面の笑みで見ているクロノスが、途轍もなく眩しい。
この子、一応は時の神様なんだよな。
「俺の?」
「うん。むしろ、この世界に来た律がどこに行きたくて、何がしたいのかが知りたい」
「本当にそれで良いんだな?」
「良いよ。だから、律が行きたいところを教えて。この世界のことを知り尽くしている僕なら、どこへだって連れて行けるし何だって叶えてあげられるよ」
両肘をテーブルに付けて、両手でお皿を作ると、そこに顎を乗せてニコニコと俺を見つめるクロノスに『可愛いな!』と内心で恨めし気に呟くと、天井に目線を向けて思案した。
う~ん、とんだ肩透かしを食らったが、俺が行きたい所ややりたいことを言っても良いんだよな。
と言っても、唐突に『行きたいところがある?』と聞かれても、すぐに思いつくわけじゃないしなぁ……あっ、そうだ。
「だったら、ここら一帯を散策しよう」
「ねぇ、律。本当に、ここら辺の散策で良いの?」
玄関で外靴に履き替えると、時の神様が何やら不満げな顔で見上げた。
さっきまで、無表情で女性同士の修羅場を観ていた人と同一人物とは思えない。
俺が散策を提案した後、クロノスからの了承は得たものの『それは、これを全部見終わった後で良いよね?』と言われ、結局朝から観ていたアニメを最後まで一緒に見る羽目になり、散策に出かけられるようになったのは、昼飯を食べ終わった後だった。
「あぁ、良いぞ」
俺はこの世界に来て3日が経った。
それで知ったことは、この世界を覆っている空の色が異常であることと、この世界の住人達が余所者に異様に厳しいこと。そして、この世界の人間の生活基盤が『ライフウォッチ』という機械であること。
3日間でこれだけ分かれば十分な方なんだと思う。
でも、この世界を知るにつれて、俺の頭の中にはいくつかの疑念が浮かんできた。
その1つが、物やサービスに対する対価だ。
人間の世界には、与えられたものに対して相応の対価を支払うという【等価交換】の考え方が深く根付いている。
俺のいた世界で例えるなら、貨幣を払う代わりに自分が欲している物やサービスを貰うという仕組みだ。
仕事だと、会社に個人の労働力を対価に物やサービスを貰うのに必要な貨幣を貰っている。
つまり、人間の生活に等価交換は絶対的な原理なのだ。
だが、この世界では等価交換という考え方は成立しないらしい。
それを知ったのは、昨夜のことだった。
夕飯を食べ終えた後、俺はクロノスが用意してくれた朝飯分をお金で返そう自分の財布をバッグから出そうと取りに行こうとした。
そしたら、クロノスに爆笑されながら断られた。
人として至極当然のことをやろうとしたにも関わらず、それを神様に爆笑され、頭にきた俺は八つ当たりぎみで断った理由を聞くと、いたずらっ子の笑みを浮かべたショタ神様が『それは、律自身の目で見ると良いさ』と返されたんだ。
そして、今日の朝飯。比較的お財布に優しそうなメニューで注文して、その対価を支払おうとライフウォッチに触ろうとした時、またもやクロノスが爆笑しながら阻止された。
若干怒りが湧いている俺にショタ神様が一言『無駄だから』と言った。
『どうしてだ!?』と問いただしても、昨日と同じ理由ではぐらかされた。
そこで俺は、ここら辺一帯を散策することにした。幸い、ここは高層マンションが建ち並ぶ住宅街。
だとすれば、スーパーやコンビニなど買い物出来そうなところがあるはずだ。
ならば、この世界のスーパーやコンビニに足を運んで『この世界の人間が、一体何を対価にして、物を買ったりサービスを受けたりしているのか?』という疑問を自分の目で確かめようと思う。
クロノスから『ライフウォッチを使って、住処から行きたい場所に一瞬で移動すれば?』を提案されたが、それは却下した。
この世界のことについて知りたいのなら、まずは自分の五感を使って知らなければならないと思う。
よく考えたら、俺はここら辺の景色や風景をじっくり見たことがない。
まぁ、来て早々にお巡りさんと鬼ごっこしたんだから仕方ないと言えば仕方ないんだが。
それに、ライフウォッチに聞けばあっという間に解決するだろうけど、俺はこの世界ことを知った気でいたくはない。
昨日も思ったが、自分の目で見て自分の耳で確かめたい。クロノスも『自分自身で確かめろ』って言ったしな。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




