15日目 移動と制約(前編)
これは、とある男の旅路の記録である。
「うっ、ううん……」
微睡から覚めようと重い瞼を開けると、そこには満点の星空ではなく、すっかり見慣れてしまった無機質な天井が映った。
ここって、もしかして……
「やぁ、目覚めたみたいだね」
声が聞こえた方に視線をむけると、開け放たれた寝室のドアに凭れ掛ったまま、優しい笑みで俺のことを見ている時の神様クロノスがいた。
「あぁ、そうだな……って、ここって!?」
「僕たちが暮らしている家だよ。忘れた?」
「いや、忘れたわけじゃないが……って、どうやって戻ってきたんだ?」
「そんなの、どうでも良いじゃん」
「どうでも良いって……」
お前はどうでも良いかもしれないが、俺にとってはどうでも良くないんだよ。
「それよりも、朝ご飯を食べよ。人間って、食べないと生命維持が出来ないんでしょ?」
「あっ、あぁ……」
酷くつまらなそうな顔をしながらも笑みを絶やさないクロノスに言われてるがまま、俺は使い慣れてしまったベッドを離れた。
そう言えば、こんなやりとり随分と前にやったな。
いつものように洗面台で顔を洗ってからリビングに入ると、そこにはクロノスがライフウォッチを使って呼び出したであろう朝飯がダイニングテーブルの上に綺麗に並んでおり、その隣で行儀よく椅子に座っているクロノスがにこやかに出迎えてくれた。
何だか、ここに来た時ばかりの頃を思い出すな。まぁ、そう思ってしまう一番の理由は……
「クロノス、これって……」
既視感を覚えるテーブルの上に並べられている料理達に、僅かに眉間に皺を寄せながら目を向けていると、ショタ神様の楽しそうな声が聞こえてきた。
「そう、律が初めてここに来た時に食べた朝食だよ」
どうやら、俺の予想は当たっていたらしい。
小さく溜息をつくと、視線を朝食からクロノスに移した。
「やっぱりそうだったか」
「へぇ。律、覚えてたの?」
「まぁ、何となくではあるけどな。あの時は、クロノスのことやこの世界のことを分からないまま、この朝食にありついたものだから」
この世界に来てすぐの頃を思い出して少しだけ口角を上げると、手前にあった椅子を引いてクロノスの正面に座った。
この光景も、すっかり見慣れたものだな。
この世界に来てからまだ15日しか経っていないはずなのに、随分昔のように感じてしまう。
それだけ、この世界で過ごした時間がとても濃密なものだったってことだろう。
仄かに温かい湯気が立ち込めた朝飯を見つめながら、この世界で過ごした日々を思い出して小さく笑っていると、不意に薄れゆく意識の中で、慈悲深い神様とは思えない無表情な顔で熱を帯びない声で発せられた言葉がフラッシュバックした。
『君は、僕との旅行を無かったことにするのかい?』
思い出して強張ってしまった顔のまま恐る恐る前を見ると、頬杖をついたまま不思議そうな顔がこちらを見ていた。
「どうしたの、律? 早く食べないと冷めちゃうよ?」
器用に小首を傾げるクロノスを見て、途端に昨日のことで身構えている自分が馬鹿らしく思った俺は、目を閉じて大きく息を吐きながら表情筋を緩めると、目を開いて対面の神様と視線を合わせた。
「いや、何でもない。それよりも、まずは飯を食べないとな。クロノスの言う通り、早く食べないと冷めちゃうから」
「うん、そうだね。それに、ここで食べる最後の朝食になるんだから」
「えっ、それはどういう……」
「律、それは後で言うから、とりあえず食べようよ」
「あっ、あぁ。それじゃあ、手を合わせて」
2人で過ごすには広すぎるリビングに乾いた音が重なって響くと、物心ついた頃に親から教わった日本人特有の飯を食べる前の儀式の言葉が異なる音で部屋を一瞬だけ満たした。
「「いただきます」」
「ふぅ。久しぶりに食べたが、やっぱり美味かったな」
2人で仲良く朝飯を綺麗に片付けて、食後のホットコーヒーに一息入れると、正面から嬉しそうな声が聞こえてきた。
「フフッ、それは当たり前でしょ? だって、これは……」
「『人間が万人受けする味付けなのだから』だろ?」
「そういうこと」
「はぁ……」
再び大きく溜息をつくと、手に持っている白のマグカップとその中にある黒色の温かい液体に視線を落とした。
俺たちが今いるこの世界は、AIによって完全に管理された歪な世界だった。
そして、この世界で生きる人間達は、高性能のAIが搭載されている【ライフウォッチ】と呼ばれる腕時計型携帯端末に依存している……いや、依存させられていた。
理由はたった一つ。そうしないと、この世界では生きていけないと仕向けられたからだ。
手に持っていたマグカップをテーブルに静かに置くと、右手首に付けているライフウォッチに視線を移した。
この世界での生活必需品……いや、生命維持装置って言った方が良いな。
その生命維持装置であるライフウォッチは、人々の願望や欲望を正確に読み取って、読み取ったものデータ化し、そのデータを基に原子を使って具現化させる。
読み取ってから具現化させるまでに要するに時間は、体感で約0.1秒。
俺のいた世界の物理法則を大きく反している時間だ。
そんな人間様にとって実に都合が良い物を作ったAIが人間に対して対価として求めるもの。
それは、人間誰しも持っているもの……人間の心だ。
何故それを対価として欲するかと言えば、それがAIの発展に……ひいてはAIが持っている『人間を幸福に導く』という果てなき目的の実現に繋がるという、実に傲慢で身勝手な理由からだった。
『それでも、人間はAIに託すことを良しとした』
昨日のクロノスの言葉を再び蘇って、思わず顔を顰めた。
あの時のクロノスの言葉に、俺は反論しなかった……いや、出来なかった。
何故なら、AIに主導権を譲る前の世界が俺のいた世界以上に欲望が蔓延る世界で、人が生きていくにはやっとの世界だったことを知ってしまったから。
まぁ、そんな荒廃した世界だったから、この世界の住人達はAIに人権を握られても自分達の平穏を取ったのだろう。正直、理解は出来るが共感は出来ないけどな。
「律、急に黙ってどうしたの?」
俺のことを気遣う声が耳に入って、意識を視線ごとライフウォッチから可愛らしい首を傾げているクロノスに戻した。
「いや、少し昨日のことを思い出していただけだ。心配かけて悪かった」
「別に良いよ」
あっけらかんとしたクロノスに少しだけ苦笑いを浮かべると、朝食にクロノスが口にした言葉を思い出した。
「そう言えば、さっきお前が言った『最後の朝食』ってどういう意味だ? まるで、ここから立ち去るような言い方じゃねぇか」
「意味も何もそのままの意味だよ」
「そのままの、意味?」
それじゃあ、俺とクロノスの旅行は30日間ではなく、15日目の今日で終わり……
「あっ、言っとくけど旅行が終わるわけじゃないからね。何せ、あと15日も残っているんだから」
どうやら、俺との30日間の旅行を一方的に終わらせる意味では無かったようだ。
「それじゃあ、どういうことだよ?」
「フフッ、それはね……」
眉間に皺を寄せながら首を傾げる俺を見て、クロノスがいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
おい、その胡散臭い笑みやめろ。お前のその笑みのお陰で、何度ろくでもないことを聞いたり体験したりことになったことか。
「旅行先を移動するのさ」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




