14日目 強欲と対価⑨
これは、とある男の旅路の記録である。
※≪≫部分は、クロノスの語り部の部分になります。
「等価、交換?」
等価交換って、あれだよな。受け取った物に対して、それと同価値の物を差し出すことだよな。
「そう、等価交換。もちろん、知っているよね?」
「あぁ、知っているぞ。それがどうしたんだよ?」
俺の正面に立った時の神様は、勿体ぶるように人差し指を顎に軽く当てながら首を左右に振った。
「律は、疑問に思わなかった? 『この世界には、等価交換は存在しないのか?』って」
「あっ……」
それは、この世界に来て3日目にクロノスと一緒にコンビニに行った日からずっと疑問に思っていたことだ。
俺の顔を見たクロノスが、首を真っ直ぐに戻すと不敵な笑みを浮かべた。
「その顔をするってことは、律は疑問に思ったんだね」
「そうだな。というより、俺の顔を見てよく分かったな」
「フフッ、これでも律とは14日間旅をしているのだから、多少のことは分かってきたつもりでいるよ」
「はいはい、そうですか」
だったら、人を小馬鹿にするような言い方を、少しは直して欲しいんだが……まぁ、ショタ神様にこんなことを言っても無駄なことくらいは、14日間一緒に旅行をしていれば分かってきたことなんだが。
「それで、どうしてそんなことを? 俺からすれば、物凄く今更なことなんだが」
「そうなんだね。まぁ、律が等価交換のこと知っているのなら【等価交換というものが、人間社会にとって絶対的な原理】っていう部下の持論は、間違っていなかったってことだね」
「そうだな。3日目に俺が夕飯代として、お前にお金を渡そうとしたのが最たるものだ」
「そんなこともあったね……何だろう、随分前のことのように思えてきたよ」
「それについては、俺も同感だ」
出会って間もない頃のことを互いに懐かしんでいると、不意にクロノスの口角が少しだけ下がった。
「それでね、どうして僕がこんなことを聞いたかというと、律に1つ聞きたいことがあったんだ」
「何だよ、聞きたいことって」
下がっていた口角を再び上げると、整った顔を俺の方に少しだけ近づけてきた。
「律は、この世界に【等価交換】は存在していると思う?」
「それは……」
クロノスから少しだけ顔を離すと、口元に手を当てて今までの出来事を思い出した。
コンビニ・観光地・病院・遊戯・合コン・学校……そして、毎日の衣食住。
これら全ては、ライフウォッチに搭載されているAIが人間に齎しているもの。そして、この世界の治安維持もAIから生まれたと言っても過言ではアンドロイドやドローン達が担っている。
それは、渡邊翔太という1人の人間の願望でもあり、AIの野望でもある【全ての人間達を幸福にする】を実現させた結果だ。
だとしたら、AIが人間に望む対価は……
「……無い、と思う」
「へぇ、それはどうして?」
クロノスの表情が不敵な笑みから興味深そうな笑みに変わった。
「この世界は、『人間達を幸福にしたい』というAIの野望で成り立っている。だとしたら、人間達に対価を望むことは無いと思う。というか、人間に対価を望むこと自体、AIにとっては『無駄なこと』として切り捨てているはずだ」
「なるほどね……」
真っ直ぐと見据えたまま言った俺の言葉を受け止めたクロノスは、納得したような笑みを浮かべながら俺に背を向けて歪な日本列島の上まで歩いて行くと、その場に立ち止まって顔だけこちらに振り向いた。
「でも残念。それは、間違いだよ。律」
「間違い?」
ということは、この世界にも等価交換は存在しているということなのか!?
「うん、そうだよ。この世界には、律と同じ等価交換が成立している」
「だったら、その対価は何だ?」
「フフッ、AIが人間に対して望んだ対価、それはね……」
顔を強張らせながら怯えるように聞くと、軽く鼻で笑いながら華麗に振り返った時の神様は、慈悲深い笑みで自身の左胸を指差すと一言だけ言い放った。
「人間の心さ」
「人間の心?」
クロノスの言葉に、俺の頭の中が瞬く間に疑問符に埋め尽くされた。
AIが人間から対価として貰うのが、人間の心? 一体、どういうことなんだ?
「そう、律が……人間という種族全員が持っているもので、僕たち神様には持っていないものだよ」
「だとしたら、どうしてAIは人間の心を対価として選んだ?」
「それは……AIが知りたかっただよ」
「知りたかった?」
「そう」
≪人間には、【悲しい】【嬉しい】【怒り】【楽しい】など、思考とは別に【心】というものを持ち合わせている。そして、心は人間社会を形成する上で、何よりも尊び敬われいる。
例え、1人の人間の行動が、人間達で作ったルールを破ることであったものだとしても、若しくは、数多の人間達から羨望の眼差しを向けられるようなものだとしても、他の人間の心1つで黒は白に、白は黒に変わるのさ。
翔太の指示で、政治や人間社会についてのあらゆる知識を解析していたAIは、人間が持つ心というものが、理性や思考を凌駕し、時として自分が予測していた以上のことを実現させてしまうことを知った……いや、知ってしまったんだ。
そんな人間が持つ心のメカニズムを知ろうと、AIは今まで閲覧した文献や資料をもう一度解析した。
でも、高性能のAIでさえも、その仕組みを理解することは出来なかった。
何せ、人間達自身も『心』というものを無意識に認識しているだけで、正確には知らないから。
そんな実に曖昧なものに人間の行動原理があると理解したAIは、心というものを更に知ろうと、政治や人間社会の知識以外の知識にも手を出した。
裁判の判例や、医療技術の進歩、人間達が紡いだ歴史……人間に関するあらゆる知識をね≫
「確かに、人間には心もあるが……でも、AIにだって、野望があるじゃねぇか」
「そうなんだけど、AIが『心』というものを知った時って、まだ翔太のことを傀儡にしようとは考えていない頃だったんだよね」
「なるほど」
でも、AIが心を知らないなんて、俺から言わせれば当然のことだ。
それは、AIが【データ】という名の思考しか持っていなくて、人間のように思考だけでなく【五感】と呼ばれるものを持っていないからだ。
人間の心なんてものは、大半は五感で得たものから生まれるものだと思うからな。
「でも、だからこそなんだよ。律」
「だからこそ?」
「うん。だからこそ、AIは人間の心を対価に選んだんだ。『AIが人間一人一人の持つ心や知って、それさえもコントロールすれば、自らの手で人間達を確実に幸福に導ける』ってAIが導き出したから」
「っ!! まさか、AIが人間の欲望に対して忠実なのも!?」
「そう、全ては人間の心を知って、野望を実現させる為なんだよ」
「何と傲慢な!」
自分が神様にでもなったつもりなのか!
やっていることが、翔太や翔太が蔑んだクズ権力者達と何ら変わらないじゃねぇかよ!
「そうだよね。僕も律と同じ考えを持ったよ。『君は、一体何様なのかな?』って」
「っ!」
クロノス、顔は笑っているが目が笑ってないぞ。
ショタ神様の本気の冷酷な笑みに、怒りで沸騰した頭が一気に冷めた。
「でも、僕と律の足元には、それを実現させた世界が広がっている。そして、僕たちはその世界を14日間旅してた。これは、紛れもない事実でしょ?」
「確かに、そうだな」
AIに人間の全てを握られる。それは、人間からすれば実に屈辱的なことだろう。
何せ、人間のことをデータでしか知らない奴に、人生全てを預けることになったのだから。
それでも、そんなことになると分かっていても、例え人間としての尊厳を捨ててでも、AIに託したということは……
「この世界に住んでいる人間達は、自らの欲に逆らえなかったってことか」
「そうだね。でもね、これで終わりじゃないんだ」
「えっ?」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




