13日目 犯罪と処刑①
これは、とある男の旅路の記録である。
〈……れが〉
ん? 何だ?
〈この俺が、何とかしなければ!〉
「うっ、ううん……」
目が覚めると、そこにはすっかり見慣れてしまった木目調の天井。
眠気まなこで上体を起こすと、片手で俯き加減の顔を覆った。
あれは、夢だよな。だとしたら、夢に出てきたあのスーツ姿の男は一体誰だ? 俺の知り合いにあんな男はいなかったはずだ。
それに、あの男が胸に付けていたバッジって……
「衆議院議員の議員バッジ、だよな」
『おい、待て!』
『ちっ、どうして警察にこの場所がバレたんだ!?』
『すみません、そっちに犯人が逃走しました。至急、応援を!』
「…………」
「あっ、律。おはよう」
「おは、よう」
「ん、どうしたの?」
昨日クロノスと一緒にゲームをしたリビングに入ると、警察ものをつまらなそうな目で観ているクロノスがいた。
毎朝起きてリビングに来る度に、爽やかな朝に相応しくないドラマやアニメを観ている時の神様にすっかり慣れてしまった自分が、何だか悲しくなってきた。
「いや、ただ『慣れ』ってやつは恐ろしいなって思っただけだ」
「ん、慣れ?」
「何でもない、気にするな」
「ふ~ん、そう」
俺の返事に納得したのか、興味が無さそうな顔で言葉を交わしたクロノスは、再びテレビに視線を戻した。
お前、この世界で【テレビ】っていう文明の利器に出会ってから、すっかりテレビの奴隷になっていないか?
「それより、朝飯」
「あぁ、そうだったね。律、用意してくれないかな?」
「分かったよ。いつものダイニングテーブルでいいか? それとも、昨日みたいにローテーブルに用意しようか?」
「いつものダイニングテーブルでいいよ」
確実にテレビっ子になってしまったショタ神様に小さく溜息をつくと、ダイニングテーブルに向かって手のひらを翳した。
「注文、朝飯」
『どうして、こんな罪を犯したんだ?』
『ふん、お前らに言ったところで、どうせ理解なんてしてくれないんだろ?』
『何だと!?』
取調室で犯行理由を言わない犯人に掴み掛っている新米刑事を、コッペパンをちぎって食べながら観ているクロノスを横目に、俺はコーンスープの最後の一滴を飲み干した。
「なぁ、今日もライフウォッチがおすすめしてくれたものを観ていたのか?」
「うん、そうだね」
「へぇ~」
それにしては、随分とまぁ古い警察ものをオススメしたもんだ。
これって確か、俺の親が学生時代に流行っていた警察ものだったよな。
俺がいた世界で流行っていた警察ものといえば、情に訴えるものよりも淡々と犯人を追い詰めるものだったはず……まぁ、俺も実家に帰った時ぐらいにしか、警察ものを観ないからよくは知らないが。
「とは言っても、この世界にもまだ、【警察もの】なんてものがあったとはな。すっかり衰退してるものかと思った」
「まぁ、この世界では【犯罪】なんてものは人間が取り締まることはないからね」
「あぁ……」
警察ドローンのことか。あれにはロクな思い出しかないな。あそこでもし、クロノスが俺の手首を引っ張ってくれなかったら……
あの時のことを思い出して、苦い顔をしながら自分の左手首に視線を落とし、右手で優しく左手首を包み込むと、再びテレビに視線を向けた。
「それにしても、この世界にも犯罪ってあるんだな」
「律、唐突にどうしたのさ?」
テレビの中で繰り広げられている真犯人と刑事達の激しい逃走劇を他所に、クロノスが俺の零した言葉に反応した。
「いや、これを観て思い出したんだよ。俺がこの世界に来た時のことをよ」
「あぁ、律がドローンに追い回されていた時のことね」
「まぁ、そうだな」
あの時は、まさか自分がしょうもないことで追い回されていたとは、露にも思わなかったがな。
「それで改めて思ったんだ。科学技術が発展して人間の欲望が意図も容易く実現出来る世界でも、犯罪ってやつは存在するんだなって」
そうじゃなきゃ、警察ドローンなんてものはこの世界には不必要なはずだし、俺が旅行初日から全力疾走することも無かったはずだ。
「そう言えば、律の世界で犯罪って何なのさ?」
「お前こそ、唐突にどうしたんだよ?」
弾かれたようにテレビから視線を外して、クロノスと向き合った。
「いや、このドラマを観て思ったんだよ。律のいた世界も、このドラマと同じように、大勢の人間達で決めた法律に背く行為が犯罪になるのかなって」
「まぁ、そうだな。法律は、人間社会の秩序を守る為に存在しているものだからな。それに背いたら、人間社会を徒名したことになって、ひいては人間社会の秩序を崩壊させる可能性があるからな」
まぁ、その法律がどうしようもないものだったら、何も言えないんだがな。
「そうなんだ。だとしたら、この世界に【犯罪】なんてものは存在しないね」
「……はっ?」
犯罪が、存在しない?
「いやいや、クロノス。それは、流石に言い過ぎだろう?」
言っては何だが、欲深い人間がその欲深さを叶えたいが故に、人間同士で決めてルールや決まりすらも、簡単に破ってしまうんだぞ。
いくら科学技術が発展した世界だからと言っても、我欲に忠実な人間が大勢住んでいる世界でもあるこの世界で犯罪が存在しないなんて……
「言い過ぎでも何でもないよ。事実なんだから」
「それってつまり、この世界に住んでいる人間達は、誰一人として罪を犯さないってことなのか?」
それなら、多少なりとも理解出来るが。
「まぁ、そういう捉え方も出来るよね」
「『捉え方も出来る』ってどういうことだ?」
その言い方だと、この世界の住人達だけではなくってことになるぞ?
「言葉のままだよ。律」
満足げな笑みを浮かべるショタ神様に、俺は顔を引きつらせた。
「まさか、この世界に訪れている観光客さえも、罪を犯さないってっていうのか?」
そうだ、この世界に住んでいる人間達が犯罪に手を染めることが無くても、この世界には大勢の観光客がいる。
それも、この世界で人の流れを作っているのは、この世界の住人達ではなく観光客だ。
だから、人の流れを作っている観光客が犯罪をしないなんてことは、現実的ではない。
それに、俺のいた世界では、国や地域によって何を以って罪とするかは異なる。
俺が住んでいた日本でも、都道府県によってはその都道府県特有の犯してはいけない罪があったからな。
つまり、『観光客』という考えや認識が異なる人間達が多く集まっている場所で、観光客達自身が知らぬ間に、この世界での罪を犯して裁かれる可能性だってある。
『無知は最大の罪である』という言葉があるくらいだ。
「そうだよ、律」
「本当、そうなのか?」
俄かに信じ難いんだが。
「そうだよ。ライフウォッチはあくまで、装着者の味方だから。それに、犯罪ってものは刻一刻と変化し続けるものなのでしょ?」
「確かにそうだが……」
『新たな犯罪が生まれました!』なんて話は、俺のいた世界では残念ながら毎年のようにあったからな。
だとしても、この世界を訪れている観光客さえも犯罪を行わないって、一体……
「この世界においての【犯罪】って何だ?」
「律、どういうこと?」
クロノスが、飲んでいたオレンジジュースの入ったマグカップを置いて、じっと俺の方を見た。
どうやら、俺の疑問の意味が分かっていないらしい。
「ほら、俺のいた世界では、基本的に法律に背いた行為を行うことが【犯罪】の定義とされているだろ。だが、この世界では法律なんてものは形骸化されているんだよな?」
これは昨日、クロノスがゲームをしながら俺に教えてくれたことだ。
「うん、そうだね」
「だとしたら、この世界では何が【犯罪】と定義付けしている……ん?」
「どうしたの、律?」
ちょっと待て。確か、クロノスは昨日『この世界では、法律は形骸化されてる』って言ったよな? だとしたら……!?
「まさか、『法律が形骸化しているから、この世界では犯罪なんてものは存在しない』なんて、そんなふざけた意味で言ってんじゃねぇだろうな!?」
もしそうだとしたら、それは犯罪が『無い』んじゃなくて『見過ごしている』だけだからからな!
顔を引きつらせ、少しだけ声を荒げる俺に対して、クロノスがおかしなものを見るような目をして笑い出した。
こいつが笑うってことは、俺はとんちんかんなことを言ったことには間違いないんだろう……だが、その後に続く言葉に、俺は何度も啞然とさせられたことか。
「フフッ、違うよ。いくら法律が形骸化しているとは言っても、この世界の法律はこの世界を守る為に、一応機能していると思うよ」
「一応? どういうことだ!」
更につり目になって怒る俺に、時の神様が冷ややかな笑みを浮かべた。
「だって、この世界では『人間同士が作ったルールより、人間自身の意思が尊重される』んだよ。これも、僕が昨日、律に言ったことだよね?」
「あっ、あぁ。そうだな」
「だとしたら、人間達の意思で作られた【法律】ってものも機能しているはずだよ」
確かに、人間同士で作った法律が『人間達の意思が込められたもの』だとAIが判断すれば、人間達の意思に絶対遵守なこの世界のAIは、法律に対して忠実に従うはず。
そうなると、この世界の人間達はライフウォッチによって俺のいた世界と同じで法の下で生活していることになるが……
「ということは、やっぱりこの世界における犯罪の定義も【法律に背くこと】になるのか?」
「ううん、それは違うね」
「違う?」
眉をひそめている俺を見ながらゆっくりとマグカップの中身を飲んだショタ神様は、再びマグカップを置くと、不気味に口角を上げながら言った。
「この世界ではね……人間の【不快】って感情が犯罪になるんだよ」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
5/1 加筆修正しました。




