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11日目 仕事と理想④

これは、とある男の旅路の記録である。

 久しぶりに感じる仕事後に心地良い疲労感に酔いしれていると、後ろから聞き慣れた音が聞こえた。

 その音に無情にも現実に戻された俺は、再び大きく溜息をつくとゆっくりと後ろを振り返った。



「『お迎えご苦労』って言った方がいいか?」



 ネクタイを少しだけ緩めて首元を楽にしながら軽口を叩くと、目の前にいた金髪碧眼のショタ神様が小さく微笑んだ。



「律の言っている意味は全く分からないけど、とりあえず『迎えに来た』という意味ではそうだね」





「はぁ、やっぱりお前だったか」



 大きく溜息をついて近くにあったデスクチェアを引き寄せてだらしなく座ると、微笑みを浮かべたクロノスがゆっくりとした歩調で近づいてきた。



「フフッ、僕が来て安心したんじゃないの?」

「一体、その自信がどこから来るのかさっぱり分らんが、時を止められる人類がお前以外いたら、是非とも会いたいもんだな」

「確かに、それは僕もあってみたいかも。まぁ、そんな人間がいるなら、時の神様である僕が知らないわけがないんだけどね」



 本当、この神様の自信がどこからくるのやら。まぁ、神様特有の自信なのかもしれないが。



「それで、()()()()()()()()()()で働けた感想はどうだったかな?」

「……はっ?」



 俺の……理想?



「理想って、どういうことなんだ?」



 職場体験っていうのは、実在する企業の職場に赴いて、そこで働いている社員達に混じってその企業の仕事をするはずなんだが……俺の理想ってことは、今までの生き生きと働いていた会社が、本当は実在していない会社ってことになるぞ!?


 思わぬ問いに面食らって啞然としている俺の近くに来たクロノスが、近くにあったデスクチェアを引き寄せてお行儀よく座ると、クスクスと手元で口元を覆って笑い出した。



「フフッ、そのままの意味だよ。会社(ここ)は律が働きたいと思っている職場を再現したんだよ」

「じゃあ、ここはこの世界に実在している会社じゃないってことだな?」

「そうだよ」



 穏やかな笑みを浮かべて頷くクロノスに言葉を失い、気持ちの整理を付かないまま職場を見渡した。


 ここが、俺の理想を具現化した会社? 嘘だろ? 確かに、この会社は職場の風通しも良くて、職場の人間関係も良くて、ここで働いている人全員が生き生きとしていて、余所者である俺にも気さくに声をかけて、そのお陰で初めて働く会社にも関わらず変な緊張もせずに伸び伸びと仕事に打ち込めた……正直、ここで働きたかったが、まさか会社自体が存在しないとは……ん? 具現化?



「考えてみてよ、律。この会社にはどうやって来た?」

「あっ……」



 ここには、ライフウォッチを使って来た。その時点で気付くべきだった。



「ここも、()()()ってことか?」

「そういうこと」



 イダズラっ子のような笑みを浮かべている時の神様を一瞬だけ視界に入れると、込み上げてくる感情を抑えるようと軽く(うつむ)いて下唇を噛み締めた。





「だとしたら、この世界の人間はどこで働いているんだ?」



 大きく深呼吸をして頭と感情の整理を無理矢理つけると、顔を上げて口角に弧を描いているショタ神様に目を向けた。



「働いているって、今日の律みたいなことだよね?」

「あぁ、そうだな」

「そういうことなら……この世界の人間は、仕事なんてものはしていないよ」

「…………はっ?」



 働いていない……ってことは!?



「この世界の人間は、全員ニートってことなのか!?」



 驚いた勢いで座っていたキャスター付きのデスクチェアを後ろに蹴飛ばして立ち上がると、両手を両膝に置いて話をしていたショタ神様が、小首を傾げて見上げていた。



「ニートって、何?」

「あっ」



 忘れていたわけではないが、目の前の神様は人間のことに(うと)いんだった。


 不思議そうな顔で俺のことを見ているクロノスを視界に捉えたことで冷静さを取り戻した俺は、軽く咳払いすると少しだけ遠くなってしまった椅子を取りに行き、クロノスの正面に置くと、上着とネクタイを背凭(せもた)れにかけて座った。



「あの、その……ニートって言うのは、()わば働く意思の無い人間のことだ」

「へぇ~、そうなんだ。だとしたら、この世界の人間はニートって類のものじゃないよ」

「ニートじゃない? だって、この世界の人間は働いていないんだろ?」

「そうだね」

「だとしたら、ニートだろう?」

「じゃあ、律。自分が何の仕事をしていたのか覚えてる?」

「あぁ、今回は書類作成をした」

「ふ~ん、それは覚えていたんだね。それじゃあ、自分が作成した書類の()()は?」

「それは……」



 眉をひそめて首を傾げる俺に、クロノスが不適な笑みを浮かべた。



「覚えてないんだ。まぁ、律が覚えていなくても仕方ないないんだけどね」

「どういうことなんだ?」


「フフッ、この世界の人間は、働く意思が無いんじゃない。働くことを自体を自ら()()したんだよ」





「拒絶した?」



 そんな子どもじみた考えを、この世界の人間は本気で考えて実現させたってことなのか?



「考えてもみなよ。人間の欲望を忠実に叶えてくれるAIが人間社会に溶け込んでいる世界だよ。その人間が『仕事をしたくない』という欲望があったとしたら? そして、その欲望が多く集まったとしたら? そうなったら、この世界の高性能のAIが、人間にとって『仕事』というものが害悪だと判断して【仕事】というものを()()遂行するとは思わないかい?」

「っ!?」



 まさか、社会人なら一度でも思ってしまうであろう『働きたくない』という我儘を察したAIが、人間の仕事を『害悪』と判断して、その仕事を全て行っているってことか!?



「確かに、俺がいた世界でも【AIに置き換えられそうな仕事】なんてものがあったが、本当に全ての仕事なのか?」

「うん、人間の仕事全てだよ」

「なっ!……だとしたら、全ての人間の仕事をそう易々とAIに委ねることは不可能のはずだ!」

「どうして?」

「それは、人間の手でしか出来ない仕事があるからだ?」

「ふ~ん、例えば?」

「例えば……咄嗟(とっさ)には思い浮かばないが、きっとあったはず!」

「どうして律が、そこまで否定出来るのか僕には分からないけど、この世界ではAIが出来なくて人間が出来る仕事なんて存在しないよ」

「……」

「まぁ、神様の僕からすれば、少なくとも人間が仕事する以上にAIが仕事した方が効率的だし【クオリティ】ってものは高いよ」

「そっ、そうなのか?」

「そうだよ」



 微笑みを浮かべるクロノスを見ながら、俺は小さく溜息をついた。


 クロノスの言う通りなのかもしれないが……この世界の人間は、一体何の為に生きているのだろうか。



「ちなみにだが、どうして職業体験なんてものがあるんだ?」

「それは、この世界を訪れた観光客が『この世界の仕事を体験してもみたい!』っていう要望が多かったからだよ。それに、『実は、この世界の人間は全員、働いていないんです』なんて事実は、人間社会にとっては都合が悪いんでしょ?」

「まぁ、そうだな」



 『住んでいる人間が、実は全員ニートでした』なんて事実が知れたら、間違いなく対外的に悪影響を及ぼすこと待ったなしだから。



「だから、その事実を隠す為にも観光客にとって都合良い職場を用意して、そこに『職場体験』っていう形で訪れさせて、その上で『この世界の会社は、あなたにとって最高の職場なんですよ』っていう好印象を植え付けているのさ」

「つまり、この世界の人間は、『誰一人として仕事をしていない』という事実を隠しながら、『訪れたい観光客に良い印象を持って欲しい』という見栄を張るために、職場体験という手段を取ったってことか?」

「そういうことさ」

「はぁ……」



 この世界の人間は、どうして強欲な癖に八方美人でいたいんだろうか。



「それで、この世界の会社で働いた感想は?」

「その事実を知らなければ、最高だったよ」

「そう」




 旅行11日目

 今回は、俺のふとした呟きがきっかけで、この世界の会社に職場体験をすることになった。

 『楽しい楽しい旅行のはずなのに、どうしてサラリーマンとして世界でも働かないといけないんだ』と、職場体験の前は自分の呟きをクロノスに聞かれたことを後悔していたが、いざ働いてみると元の世界で社会人として働いている俺にとっては、天国のような職場だった。

 与えられた仕事内容は会議資料等の書類作成で、一日の大半を外回り営業が占めている俺にとって、慣れないデスクワークで苦戦していたが、余所者である俺に気さくに声をかけてくれる社員に気軽に聞けたり、上司に適切なアドバイスを頂けたりと風通しの良い職場で、俺にとっては最高の職場だった。

 しかし、俺が今日一日お世話になった会社が……実は、俺の理想を具現化した実在していない会社だった。

 まぁ、この世界の人間が、実は全員ニートだったら仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが……まさか、見栄を張る為に観光客の理想を叶えるなんて、この世界の人間の欲深さには呆れ返るしかなかった。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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