11日目 仕事と理想②
これは、とある男の旅路の記録である。
キーンコーンカーンコーン
「おーい、みんな! お昼だぞ~」
「は~い」「うぃ~っす」「課長~、一緒にお昼しましょうよ~」「いいぞ~」
学校で聞いたことがあるようなお昼を知らせるチャイムが鳴り、フロアにいた社員達が椅子に座ったまま伸びをしたり、いそいそと外に出たりと思い思いにお昼休憩を取り始めた。
「ふぅ、ようやくお昼か」
お昼を告げるチャイムに気づいて画面から目を外し、大きく伸びをすると後ろから肩を叩かれた。
何の気なしに後ろを振り向くと、人の好さが出ている笑みを浮かべた上司が立っていた。
その表情が元の世界にいたクソ上司と重なり、反射的に体が硬直させると、上司の笑みがさらに深くなった。
「渡邊君。今日は職業体験でうちの会社に来てくれてありがとうね」
「いっ、いえ。御社で職業体験が出来て、大変光栄でございます」
「そう言ってくれると、とても嬉しいよ。それより、どうだい? うちの会社の雰囲気は?」
どうと言われても、元の世界で働いていた会社に比べれば、遥かにマシとしか言いようがないんだが。
「えぇ、社員の皆様が全員生き生きしていて、とても働きやすい雰囲気だと感じました。それに、職業体験とはいえ、飛び入りで御社に働かせていただいている私にも、皆さん気さくに色々と教えてくださり、変な緊張もせずに自然体で仕事が出来ています」
「そうかいそうかい。それは、とても嬉しい言葉だよ。僕も君が職業体験に来てくれたお陰で、社員全員が良い刺激になっているみたいで、こちらとしても渡邊君には感謝したいよ」
「勿体無いお言葉です」
「おっと、長話になってしまったね。お昼の時間は限られているから、これ以上部下の休息を取るわけにはいかないね。それじゃあ、午後からも頑張って」
「あっ、はい! お疲れ様です」
挨拶しようと椅子から立ち上がろうとする俺の肩を軽く抑えた上司は、優しい笑顔を浮かべたまま手をひらひらさせると、自動ドアをくぐって廊下に出た。
「はぁ。ここの上司、本当にいい人だな」
俺が余所者だから優しいのかなと思ったが、他の社員にも同じように接しているあたり、ここの上司は人格者なんだろうな。
ここで働いてる人達の顔がやる気に満ちているのは、きっとこの上司のお陰なのだろう。
はぁ、ここで働いている人達が本当に羨ましい。
この部下想いの上司の垢を煎じて、うちのクソ上司に飲ませたい。
「まぁ、それも無駄かもしれないが。さて、お昼を……」
パチン!
大きく溜息をついて自席で昼食を取ろうとデスクに向かって手を翳した瞬間、すっかり聞き慣れてしまった指パッチンの音と、多少なりとも見慣れてしまったモノクロの風景に再び大きく溜息をついた。
「なぁ、どうしてお前がここにいるんだよ」
ゆっくりと椅子を回して指を鳴らしたであろう人物に向かって呆れ顔で言うと、モノクロの世界で唯一、色を纏った時の神様が少し離れてところで、いたずらっ子のような笑みを浮かびながら静かに佇んでいた。
「それは、律がこの世界の会社で働いた感想を聞くためだよ」
「そんなことを聞きに来たのか? 態々?」
「そうだよ」
笑みを貼り付けたままゆっくりと俺に近づいて来るクロノスに、本日何度目かの大きな溜息をついた。
本当、この神様が考えていることが全く分からん。
「それで、どう? この世界の会社は?」
「まぁ、俺が勤めていた会社に比べれば遥かに働きやすいと思うぞ」
「へぇ~、それはどうして?」
「一番は、風通しの良いがいいところだな。余所者の俺に対して、ここの社員達は気軽に接してくれるし、分からないところがあればすぐに聞けるのは良いな。仕事もスムーズに行くし、不備があれば的確に指摘してくれるから、こちらも迅速に不備の修正が出来るし次の仕事の手順が組みやすい」
「そうなんだ」
俺の隣に来たショタ神様が、顎に手を当てながら何度か軽く頷くと、目線をパソコンの画面に向けた。
「律、これは?」
「あぁ、これは午後からのプレゼンで使う資料だ」
「プレゼン?」
「会社の偉い人や取引先に商品や企画を提案することだ。それで、これはその時に使う資料なんだ」
「へぇ~」
そう言ってクロノスは、食い入るように画面に映っているプレゼン資料を見つめていた。
本来は、社員以外は見てはいけない完全に部外秘のものなのだが、相手が神様なのだから仕方ない。
ただの人間である俺が、神様の興味を逸らせるなんて無理な話だ。
「ねぇ、これって律が作ったの?」
「あぁ、そうだな」
「へぇ~、分かりやすいね」
「そうか?」
「うん。所々、理解出来ないところがあるけど、神様の僕でもある程度分かるよ」
「そっ、そうか……」
クロノスから、こうも真正面で褒められると何だか照れ臭いな。さっき、上司にも同じようなことを言われたはずなのに。
でもまぁ、余所者の俺に大事なプレゼン資料の作成をお願いされた時、最初はとても驚いたが『君なら出来ると思うよ。それに、初めては誰にだってあるものだから、怯えずにやってみなさい。不備があったら、僕や他の社員達が分かりやすく指摘するからさ』と朗らかな笑顔で言われたら断れなかった。
決して、俺が【便利屋】という不名誉なあだ名だからというわけではないからな。
「それで、これは何のプレゼン資料なの?」
「えっと……確か……」
「律?」
あれっ、俺は何のプレゼン資料を作ってたんだ? さっきまではちゃんと覚えていたはずなのに、何で急にど忘れしてしまったんだ?
何のプレゼン資料か思い出そうとモニターを見ながら首を捻ると、横からクスクスと笑い声が聞こた。
目を細めて横を向くと、ショタ神様が手で軽く抑えながら俯き加減で笑っていた。
「何だよ、俺がプレゼン資料の内容をど忘れしたことが、そんなにおかしいのかよ?」
「残念ながら、それは律の思い違いだよ」
「じゃあ、何で笑ったんだよ?」
「フフッ、それは律の仕事が終わった後に言うとしようかな」
「はぁ!?」
ここまで言っといてお預けかよ!? そんなのありなのか!?
「そんな言い方されたら、気になって仕事に集中出来ないだろうが!」
「フフッ、大丈夫だよ」
納得したように口角を上げた笑みをクロノスが、俺に背を向けると、ゆっくり歩き出した。
クロノスを追いかけるように、椅子から立ち上がろうとした時、歩みを止めた時の神様がゆっくりと振り向いて片手を大きく上げた。
「律は、ちゃんと仕事出来るから」
「おい、それはどういう……」
パチン!
指を鳴らした途端に訪れたカラーの世界と共に目の前から消えた時の神様を、不本意ながら見送った形になってしまった俺は、奥歯を強く噛み締めるとデスクに向き直った。
「全く、クロノスの奴め。何が『律なら、ちゃんと仕事が出来る』だ。いくら、元の世界にいた頃の俺を知っているからって、何かと勘違いしてるんじゃねぇのか?」
言っておくが、俺はお前が思っているほど大人の男性じゃないぞ。
『はい、そうですか』と何でも割り切れると思っているなら、それは大きな間違いだ。
俺だって人間だから、そんな気になる言い方されたら、仕事中だろうと何だろうと気になるに決まってる!
まぁ、そこは一応社会人ですから、表には絶対出しませんし、仕事に支障をきたしませんが!
「はぁ、とりあえず腹ごしらえだ。どうせ、仕事が終わらなければクロノスが現れないからな」
大きく深呼吸すると、改めてデスクに向かって手を翳した。
「注文、昼飯」
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