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11日目 仕事と理想①

これは、とある男の旅路の記録である。

「それじゃあ、渡邊君。早速だが、これで進めてくれ」

「はい、分かりました」



 上司が微笑みながら提出した書類を返し、そんな上司に微笑みを返しながら返事をすると、そのまま回れ右で自席のデスクに座って、周りに悟られない程度の溜息をついた。


 俺は今、自分のいた世界に帰って来た訳ではない。

 だとしたら、上司が微笑んで書類を返すということは、社長が見ている前でも無い限りありえないからだ。



「はぁ。成り行きとは言え、異世界に旅行に来たのに、どうして会社で働かないといけないんだよ」



 ここに来た経緯を思い出して大きく項垂れると、視界の端に見慣れたアナログ型の腕時計が映った。


 まぁ、これはあくまで()()()()なのだから、あと少しだけ頑張るか。


 時計の針が昼休憩の始まりを告げようとしていたことに気づいて小さく微笑むと、顔を上げて目の前にあるデスクPCの液晶画面を睨み付けると、慣れた手つきでマウスを動かした。





 どうして俺が、異世界に来てまでサラリーマンをやっているのか。

 それは、数時間前までに(さかのぼ)る。

 今日もいつも通り、ライフウォッチに注文した朝飯をクロノスと一緒に食べながら、ぼんやりとニュースを観ていると、不意に頭に浮かんだ疑問を何の気なしに(こぼ)した。



 「なぁ、このお天気お姉さんもアンドロイドなのか?」



 俺の独り言が耳に入ってしまったのだろう、対面で食べていたクロノスの食事をする手が止まると小首を傾げた。



 「律、急にどうしたの?」



 どうやら、口から出た疑問がクロノスの耳に届いていたらしい。


 視線をテレビからクロノスに移すと、食事していた手を止めた。



「あぁ、聞こえてしまったみたいだな。すまん、そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」

「それは別にいいんだけど……それより、さっきの律が言ったことなんだけど、どうしてそう思ったの? 僕としては、そっちの方が気になったんだけど」

「いや、本当に何となくなんだが、テレビを観ながらふと思ったんだ。昨日の工場見学だって、人間の存在なんてなかった。遡ってみれば、コンビニの店員だってそうだったじゃないか」

「まぁ、確かにそうだね」

「だとしたら、この世界の人間って、どんな仕事をしているんだろうって?」

「仕事?」

「あぁ、そうだ。人間、ある程度成長したら、自分の持っている知識や経験を活かして【仕事】っていうものをして、生きる為のお金を稼がないといけないんだ」



 あくまでも一般論なんだけどな。

 時の神様には分からないとは思うが、世の中には色んな人間がいるから。



「ふ〜ん、そうなんだ」

「あぁ、だからこの世界の人間は、一体どういう仕事をしているのかなと気になったんだ」



 まぁ、この世界に生きている全員が無職でニートしているわけでは無いとは思うが……そうだとすれば、物凄くゾッとするし、間違いなく経済は破綻するだろうからな。

 というか、この世界に住んでいる全員がニートとかって、俺個人が思いたくない!


 俺の話を興味が無さそうな顔で聞いていたクロノスが、頬杖を突きながらつまらなさそうな顔でテレビに視線を向けると、世間話をするかのような口調で提案してきた。



「じゃあさぁ、律。この世界で働いてみる?」

「……はっ?」



 このショタ神様、突然何を言い出すんだ?


 クロノスの突拍子のない提案に顔を顰めると、視線をテレビから正面に戻したクロノスが、不気味に口角を上げた。



「だから、この世界の会社に働いてみるって言ってるの」

「いやいや、たかが旅人である俺が他所の会社で働け?そんなの無理だろ」

「どうして? 同じ人間なのに?」



 可愛らしく小首を傾げるショタ神様。

 そんなことをしても、無理なものは無理だからな!



「あのな、どこの馬の骨とも知らない奴が、前触れも無く自分が勤めている会社で働くんだぞ。そんなの会社からしたら絶対に迷惑だし、確実に警察に捕まるぞ! それに、俺は元の世界でちゃんと会社で働いてるから、他所の会社に働きに行くのに抵抗があるし良心が痛むんだよ!」



 俺がいた世界で働いていた会社のことを思い出してクロノスから視線を外すと、対面から間延びした声が聞こえた。



「律がこの世界に働くことで、どうして良心が痛んでしまうのか僕にはよく分からないけど、要はこの世界の会社で働くのは、律にとって無理難題ってことだね?」

「そういうことだ」



 というより、名目上では俺たちは現在進行形で旅行中なのだから、別の世界に来てまで社会人としての義務を果たすつもりは毛頭ない!


 腕を組みながら正面を睨み付けると、手を顎に添えて可愛らしい眉を少しだけ寄せ、首を傾げていたショタ神様が何かを思い付いたような顔をして口角をあげて、俺と視線を合わせた。



「ねぇ、律」

「なっ、何だよ」



 その笑みやめろ。お前がその表情で俺のことを見ている時は、大抵ろくでもないことを考えてるくらい分かるんだからな!



「【職業体験】って、知ってるよね?」

「……はっ?」



 職業、体験?



「職業体験って、実際に会社に行って仕事を体験することだろ? 主に、小・中・高の時に行うやつだよな」


 大学とかでは【インターンシップ】という名称で、将来的に就きたい職業の仕事を何日間か渡って実際に働くというものだったはず。

 まぁ、俺は大学に通っていたがインターンシップに行ったことは無いし、うちの会社では募集していなかったから、詳しくはよく知らないが。



「そう。僕も今朝、テレビで観て知ったんだけどね。それで、律の話を聞いてて思い付いたんだよ。律が、この世界の会社に職業体験として行けばいいんじゃないかなって」

「でも、サラリーマンとして会社で働いている俺が、別の世界に来たとはいえ、別の会社で働いても良いのか?」

「うん、その辺は大丈夫だよ。だってこれは、職業体験なんだから」

「……まぁ、お前がそこまで言うなら」



 満足げな笑みを浮かべて頬杖をつくクロノスから顔を背けて天を仰ぐと、片手で顔を覆って大きく溜息をついた。


 まさか、社会人として立派に働いている俺が、別の世界でもサラリーマンをすることになるとは思わなかった。


 こうして俺は、異世界でもサラリーマンをすることになった。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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