10日目 生産と体現④
これは、とある男の旅路の記録である。
「ここは?」
クロノスが指を鳴らすと、目の前の光景が白い壁に囲まれた見学スペースから、細い緑色の蛍光灯が至る所に張り巡らせられた巨大空間に変わり、辺りを注視するように見回した。
どうやら、ここが時の神様が本当に連れて来たかった場所らしいが、空間の大きさから言えば、先程見学した工場内部と同じだな。
訪れた印象として、アニメやゲームで敵の実験施設として出てきそうなおどろおどろしいといったところだろう。
それに……
睨み付けるように眼前に目を向けると……そこには、ガラス製の楕円形の貯水タンクのような巨大な容器が、黒い導線のような大きな縄に囲まれ、床から青色の蛍光灯に照られて、空間の主といったような悠然と構えていた。
容器の中身を確かめようと一歩を踏み出そうとした瞬間、横からクロノスの声が聞こえた。
「ここは」
踏み出そうとした足を踏み止め、顔だけ横に向けると、無表情のクロノスが容器の前まで歩いていき、くるりと振り返って立ち止まった。
そして、酷く冷たい声で今いる場所の正体を口にした。
「ライフウォッチが具現化する時に使われる物が置いてある……謂わば、原料貯蔵庫と呼ばれた場所だよ」
「ここが、ライフウォッチの原料貯蔵庫なのか!?」
目を丸くして再び見回すと、先程まで見学した工場内部のような生産するような場所もなければ、収穫した物や完成した物が貯蔵されているコンテナのようなものはなかった。
あるのは、蔦のように張り巡らされている蛍光灯と、巨大貯水タンクのようなものだけだった。
「そうだよ。正確には、ここはAIが実験用として使っている場所だよ」
「実験? 一体、何の実験だ?」
「それはもちろん、具現化出来るかというの実験だよ」
「具現化? ライフウォッチは、工場で作られた物をそのまま転送する形で具現化してるじゃないのか?」
さっき、ホログラムの説明でもそんなことを言ってたから。
「だとしたら、律がここに来る前に言っていた『料理の具現化』なんて、どうやって実現するのさ?」
「それは、料理専用の工場で一から作って……」
「そうだとして、どうやって人間の個体別の好みに合わせた料理を一瞬で作るのさ。いくら、高性能のAIでも人の好みを一瞬で把握出来ても、それを一瞬で具現化するのは難しいんじゃないかな。それこそ、さっきの収穫されたレタスが保管されている場所にみたいに、予め用意でもしていない限りさ」
「確かに人間の好みを全て把握していたとして、それをレタスの貯蔵庫のような全て保管するのは現実的ではないな」
それに、人間の好みなんて成長やその時の気分によって変わるから、それを一々保管していたら、工場の保管庫があっという間に不良債権の山が出来上がるな。
「だがさっき、ホログラムが……」
「あぁ、あれね。あれは、観光客向けに言ってることだよ。君たち人間の言葉に置き換えるなら【建前】ってやつだね」
「建前? どうしてそんなものが必要になるんだよ」
「それは、これを見れば分かるよ」
クロノスが後ろにある巨大な謎容器をトントンと叩いた。
そう言えば、ここはライフウォッチが具現化する時に使う原料が保管されているって言っていたな。だとしたら、この目で確かめないと。俺は、これが見たくてここに来たのだからな。
息を呑んで、容器に近づいて中を覗き込むと……そこには、何もなかった。
「ん? クロノス、俺の目には何も見えないが」
見落としが無いか隈なく中を覗き込むが、見えたのは下に敷かれている蛍光灯の束と反射している己の間抜けな顔だった。
空の中身に呆然としていると、横からクスクスと冷ややかな笑い声が聞こえてきた。
「フフッ、それはそうだよ。だって、人間の肉眼では絶対に見えないのだから」
「肉眼では見えない? どういうことだよ?」
人のことをバカにするような言い方をするショタ神様に強い眼差しを向けると、冷めた笑顔を浮かべて目線を合わせたクロノスが、皮肉めいた口調で言葉にした。
「だって、具現化の原料が【原子】だからさ」
「原子?」
原子って、理科の授業で習ったあの『原子』か?
「そう、あらゆる物を構成する一番小さな粒のことだよ」
自慢げに具現化の際に使われる原料を言ったクロノスは、容器から離れて俺の正面に立つ。
「でも、原子なんてそこら中に存在しているものだろう。だとしたら、どうして一瞬で料理や物を具現化出来るんだよ?」
「フフッ、仕組みとしては実に簡単だよ。まずは、ライフウォッチに搭載されたAIが読み取った装着者の要望をデータ化して、それを元に周辺にある原子を集め、集まった原子を使ってデータ化された要望を物質として具現化させるんだ」
「それを、一瞬でこなすのか?」
「そうだね。君たち人間にとって『一瞬』と感じられる時間は、この世界のAIにとっては、君たち人間の愚かな要望を実現するさせるには十分すぎる時間なんだよ」
「っ!?」
クロノスの言葉に、開いた口が塞がらなかった。
物質の具現化という技術は、俺のいた世界では机上の空論とされ、実現自体不可能の技術とされていた。
それを実現させるには、膨大な時間と途方ともいえるくらいの計算処理が必要だったからで、とてもじゃないが人の手では負えないものだとされていた。
しかし、この世界ではそんなファンタジーとされていた技術を、高性能AIにより現実の技術として実現させ、あまつさえ、その高等技術を一瞬で行使出来るまで発展させ、それらの技術を人間生活の質をより良くさせる技術として普及させたんだ。
改めて考えると、そこら辺にある原子を素に人画の要望を完璧に実現させてるなんて、この世界の科学技術は悍ましいくらい発展しているんだな。
「じゃあ、人間の瞬間移動も原子が関係しているのか?」
「そうだね。律の世界で提唱されていたものを実現させたみたいだけど、人間を構成するしている物質の羅列をデータ化して、それを行き先に転送して再構成という形で原子を集めて具現化させるって感じだよ」
「それも、一瞬なんだよな?」
「そうだよ」
「……なるほど」
「どうしたの?」
「いや、今のお前の説明で、お前が時を止めてまで、俺をここに連れて来た理由が理解出来たんだよ。まぁ、ホログラムから『観光客』という言葉が出てきた時点で、何となく察してはいたが、この事実が表に出た場合、観光客がパニックを起こすから『建前』として、あの巨大工場を観光地として作ったってことだな?」
「そういうこと。律もこの世界のことを分かってきたね」
ほくそ笑んで俺を見ているショタ神様に、大きく溜息をついた。
俺、この世界に対して理解を深めるにつれて、この世界に毒され始めていないか心配になるんだが。
旅行10日目
今日は、俺のふと思い付いた疑問を呟いたことで、この世界の工場を見学した。
【ライフウォッチを通してあらゆるものを具現化する】という、この世界の常識であることは、10日目も滞在していれば理解出来たが、そもそもその具現化には何が原料なのか気になり、思わず口に出してしまったが、お陰でこの世界の事実をまだ一つ知ることが出来た。
ホログラムの案内で訪れた工場は、AIの完全管理で栽培から収穫可能とされたレタス工場だった。
俺のいた世界では徐々に普及しつつあった栽培方法であったが、科学技術が発展した世界では、全ての工場がこの方式を取っているらしい。
しかし、この工場は観光客向けの観光地で、本当の原料は物質の中で一番小さいとされている原子だった。
原子で料理が出てきたり人間が一瞬で移動出来たりするのかと思ったが、どうやらこの世界のAIは、そんな不可能とされていた技術を容易く実現させた上に、人間の日常生活に普及させたらしい。
今日の工場見学で、この世界の科学技術に改めて目を見張らされた。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




