9日目 学校と洗脳⑤
これは、とある男の旅路の記録である。
「へぇ~、校内は俺が通っていた小学校とあまり変わらないな」
お姉さんが案内してくれた教室まで続くリノリウムで出来た廊下を、ゆっくりとした足取りで歩きながら、時折カメラを構えて写真を撮った。
校内は、俺が通っていた小学校と酷似していて、正面玄関に備え付けてあった木製の下駄箱で履き替えた緑色の子ども用のスリッパで可愛らしい音を立てながら、懐かしさを感じつつ歩いた。
「へぇ~、律が通っていた小学校って、こんな感じだったんだ~」
「あぁ、俺が通っていた小学校はスリッパじゃなくて【上履き】っていう室内用の靴だったなぁ」
「ふ~ん」
素っ気ない返事をしながら、初めて間近で見る【小学校】をゆっくりとした足取りで歩きながら、好奇心に満ちた目で校内のあらゆる場所を忙しなく見ている隣のショタ神様に、少しだけ口角が緩んだ。
そう言えば、俺が学校について話している時も、時たまオレンジジュースを飲みながらであったが、いつも見せる無表情な顔ではなく真剣な表情で聞いてたな。
初めて見た表情だったし相槌がてら質問もしていたから……もしかして、この神様は人間のことに関しては勉強熱心なのか?
図書館でも、この世界の人気スポットが記載されている雑誌を読んでいたようだから。
人間の感情がよく分からないという神様の意外な一面を思い出し、締まりのない表情になってしまいそうになった瞬間、お姉さんが案内してくれた教室に着いた。
「へぇ~、教室の中までも俺が通っていた小学校の時のまんまだな」
教室によくある木製のドアを横にスライドさせて、教室の後ろから入ると、俺がいた世界の小学校では1番普及してあるであろう、シンプルな勉強机と椅子が等間隔で20個ほど並べられていた。
懐かしさのあまり1番近くにあった勉強机の上を触ると、新品の机ならではのツルツルとした感触が手のひらから伝わってきた。
何だか、本当に小学校に入学したような心持ちになってきたな。
20年以上前にタイムスリップしたかのような懐かしさに大きく笑みを浮かべると、クロノスが真横に立って俺と同じように机に触れた。
「へぇー、これが小学校に通う人間達が使う【机】って呼ばれるものなんだね」
「そうだ。ここに勉強に必要な三種の神器を広げて、一番前にある【黒板】って呼ばれる大きな板に書かれたことを、【ノート】って呼ばれる、小学生に必要な三種の神器の1つに書き写すんだ」
「どうして、書き写すの?」
「そうしないと、ここで得た知識が身につかないからだ。基本的に人間の記憶って、知識を得て身につけるのに、時間がかかるんだよ。そして、大抵は得られた知識は身につく前に忘れてしまうことが多いんだ。だから、ここで得た知識をノートに残して、家に帰った後に得た知識をもう一度確認する。そうして、ある程度だが得た知識が身に着けるんだ」
「ある程度なんだ」
「まぁ、これは『人それぞれ』ってやつだから、全員が全員ってわけじゃないけどな。大方は、知識が身につくまでは何度も同じことを繰り返すんだ」
「へぇ~」
キーンコーンカーンコーン
クロノスに【勉強】のことについて説明していると、授業開始の予鈴が鳴った。
うわっ、これ懐かしい! これ聞いたのって、小学校卒業以来じゃねぇか!
授業の始まりを告げるベルに、小学生の頃を思い出しながら席に着くと、横から服の袖を引っ張られた。顔を横に向けると状況が把握出来ていない顔をしたショタ神様が立っていた。
「ねぇ、律。これ何?」
「あぁ、これは【予鈴】って言って、授業を始める知らせの合図なんだ。ちなみに【授業】っていうのは、ある程度知識が身についている人間から、身についている知識を教えてもらう時間のことだ」
「へぇ~、ある程度知識を身についている人間って、ここに来る前の律のこと?」
「そうだが?」
「ふ~ん。だったら、今の律は僕やここにいる人間達と同じで、知識を教えてもらう人間なんだね」
「……そうだな」
お前、ニヤニヤした顔で言っているが、俺はお前に連れられて学校にいるんだからな!
何だったら、俺は18年前には小学校を卒業しているから!
というか……
「ここにいる奴らって、みんな本物の子どもなのか?」
既に行儀よく席に着いているが、見た限りだと本物の子どもだよな。
俺のように、体験入学感覚で来た感じの奴がいないような気がする。
ハッ! もしかして、全員アンドロイドなのか!? うわぁ、あり得そうだな。
「本物って……あぁ、そういうことね。それより、これは座った方が良いんだよね?」
「そうだな。予鈴が鳴ったってことは、もうすぐで【先生】って呼ばれる人が来るから、その人が来るまでに席に着かないと怒られる」
「怒られる? どうして怒られるの?」
「そういう決まりなんだ。人間同士で決めたルールと思ってくれ」
「ふ~ん、分かった」
【人間同士で決めたルール】という言葉で理解したのか、関心が失せたような返事をした時の神様は、俺の隣の席に座った。
すると、放送を知らせるチャイムが鳴り、さっき俺たちを案内してくれたお姉さんの声が聞こえてきた。
「皆様、本日は当校に入学してくださり、誠にありがとうございます。本日は道徳の授業を45分予定しておりますので、よろしくお願い致します」
お姉さんが今日のカリキュラムを告げると、再びチャイムが鳴った。
チャイムが鳴り終わると、右前の扉が開いた。
どうやら、この世界の先生が来たようだ。
少しだけ胸を躍らせながら待っていると、入ってきたのは……俺たちを案内してくれたお姉さんだった。
「っ!?」
驚きのあまり、思わず立ち上がって大きな声でお姉さんのことを呼ぼうとしたが、自分が教室にいることを思い出し、沸き上がった感情を押さえつけるように机の下で強く握り拳を作った。
そんな俺の葛藤なんて知らないお姉さんは、正面玄関で見た営業スマイルで後ろ手に扉を閉めると、真っ直ぐに教壇に立って教室全体を見回した。
「皆様……いますね。それでは早速、道徳の授業に入っていきたいと思います!」
はきはきとした聞き取りやすい声で授業の始まりを告げると、机の上から水色の半透明の長方形のポップアップが現れた。
どうやら、これがこの世界の教科書らしい。道徳ってことは、恐らく板書する必要がないだろう。
まぁ、俺のいた世界でも教科書とノートの代わりに、タブレット端末を使って授業を行っている学校もあるらしいから、それがポップアップに変わったと考えれば良いだけか。
俺が小学生の頃は、紙の教科書にノートだったけどな。
科学技術が発展した世界の教科書に、僅かばかり心躍らせていると、お姉さん……もとい先生が授業を進め始めた。
「それでは、最初に……必要最低限の常識を確認しましょう」
ズキン!
「うっ!!」
道徳の授業で【常識】という単語が出てきた一驚した途端、頭が割れるような激しい痛みが襲ってきた。
頭を抑える為に机の下に置いている手を動かそうとした……が、手に動かせなかった。
むしろ、体全体が金縛りにあったかのように動かない。
『こっ、これは! 一体どうなっているんだ!?』
苦悶の表情を浮かべつつ周りを見ると、教室にいる児童達は全員が先生の言葉を真剣な表情で聞いてて、俺のように苦痛の表情を浮かべている児童は誰一人居なかった。
『どういうことだ!? どうして俺だけが!?』
激しい頭痛のお陰で先生の言葉は聞こえなかったが、激痛で意識が朦朧としてきた。
『早く、授業が終わってくれ……』
唐突に襲われた苦痛と闘っていること俺のことを、隣で何とも言い難い表情で見ている奴がいることを、俺は授業が終わるまで知らなかった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




