8日目 自然と管理④
これは、とある男の旅路の記録である。
クロノスの言ってるの意味が分からず、後を追うように立ち上がって靴を履き、ショタ神様の前に立つと、広げていた手をゆっくりと下して冷たい表情を見せた神様は、俺から背を向けると眼前に広がる山々や山河を見つめた。
「ここは、この世界の人間達が、AIに様々なことを勉強をさせる為に、敢えて残している場所なのさ」
「AIに勉強? どうしてそんなことを?」
「それはもちろん、自分達の生活を、より良いものにさせる為だよ。人間の思考だけでは、限界があるからね」
「どういうことだ?」
「ライフウォッチに搭載されているAIは、人間の思考や感情を読み取って具現化する。でも、それが可能性なのは、AI自身が膨大な知識を有しているからなんだ。例えば、『注文、薔薇』と言って、頭の中に青色の薔薇を想像したとしよう。でも、AIが青色の薔薇のこと……そもそも、薔薇という植物を知っていないと具現化出来ない。もちろん、青色の薔薇に関する【データ】ってものがあれば、それで事足りる。でもそれは、人間からすれば知っていて当たり前の知識なんだよ」
「つまり、どういうことなんだ?」
「つまり、僕たち神様がビックリするくらい欲深い人間達が、自分が望む物が完璧に具現化させるには自分達の知識だけじゃ足りないと判断した。だから、あえて本物の自然を残し、植物だけでなくその周辺の気候のAIに勉強をさせることで、自分達が理想としてる物を正確に具現化出来るようにさせたんだよ」
「何だよ、それ」
【環境保護】なんて高尚なことしていると思ったら……やっぱり、自分達の願望を満たす為にやってることじゃねぇか。
本当、この世界の人間達の自己中心的さ吐き気を催しそうだ。
「それに……あわよくば、自分達が解明出来ていない自然や気候さえも、思い通りにさせたいみたいだよ。思い通りに出来れば、自分達にとって、素晴らしい景観が自らの手で実現出来て、観光客をより喜ばすことに繋がるからだってさ」
「はぁ!? そんな、神様の所業としか思えないことを本気で思ってるのか!?」
「少なくとも、この世界の人間達は本気で思っているらしいよ。実際、ここの管理を任されているのは、人間ではなくて『注文』をしない監視専用のAIだから」
「……俺、今日でこの世界の人間が嫌いになったかもしれない」
絶景が見えるこの場所がAIの為……ひいては、人間の欲望を満たす為に残されているなんて、ここにある植物や生き物達、そして天候でさえも可哀想に思えてきた。
まぁ、人間達から不要と判断させて、環境破壊されてないだけでもマシと考えるるべきなのだろうが、同じ人間として実に恥ずかしい行いだ。
「さて、この絶景に隠された醜悪な事実が分かったところで、そろそろ帰る……」
「律」
頭を後ろに組んで溜息をつきながら、美しい山々と大河に背を向けると、レジャーシートのところへ歩みだそうとしたその時、俺を呼ぶ声が聞こえた。
どうせまた、俺のことをからかうつもりなんだろうな。
大きく溜息をついて立ち止まり顔だけ後ろを向けると、何時になく神妙な面持ちで、俺のことを射抜くように見つめるクロノスがいた。
今まで見たことがないクロノスの表情に眉をひそめた俺は、頭の後ろに組んでいた手を降ろしつつ体ごと後ろに向けると、いつも、人のことを小馬鹿する口が少しだけ開いたかと思いきや、直ぐに強く閉じられ、再び口が開いた。
「律をここに連れて来たのは、律にこの世界の真実に触れて欲しかったのはもちろんなんだけど……実は、【渡邊 律】という1人の人間の為でもあるんだ」
「俺の為? そんなの、この世界に来てからずっと……」
「昨日の、ことなんだけど」
「!?」
驚いて目を見開くと、前から吹いてきた風の音と共に、目の前からほんの少しだけ深呼吸する音が耳に届いた。
「本当は、律にあんな顔をさせるつもりはなかった」
「っ!?」
なんと身勝手な謝罪だ! こいつ、昨日のことを何だと思っているんだ!
時の神様の理不尽な言い訳に、思わず怒りと後悔がこみ上げてきそうになり、それを抑えように両手を丸めると力を込めた。
「今更、僕がこんなことを言ったところで、今の律が合コンに行く前の律に戻ることが無いのは分かってる。そして、律を合コンに行かせたことで、こんなことになるのは律が行く前から分かっていた。何せ僕は、時を司る神様だからね」
「……」
『だったら、行く前から止めろよ!』と言いたいところだが、とりあえず、こいつの言い訳を聞こう。
怒るのは、その後からでも問題無いはずだ。
「律を合コンに行かせたのは、恋愛というものがどういうものなのか知りたかったのは本当なんだけど、実は、この世界の合コンに行った時の律の反応を、直に見てみたかったっていうのもあったんだ。もちろん、僕が提案して律が反対するのは分かっていた。でも、律が人の頼み事に弱いことも、何だかんだでこの世界の合コンに興味を示してくれたことも……本当は知っていた。案の定、最初は反対した律だったけど、結果的には合コンに行ってくれた。そして、律が例の人形を仲良くなった時を狙って部屋に入った時、僕のことを忘れてしまった律が僕の胸倉を掴んで怒りを露わにしているのを目の当たりにして、そして、その後の僕への後悔と、ヒューマノイドの正体を知って悲しい表情を間近で見て、僕は……こうなることは分かってたはずなのに『律のこんな顔を見たくなかった』と思ってしまったんだ」
「……」
「フフッ、今の律って恐らく【怒り】という感情でいっぱいだよね。まぁ、分かっていて止めなかった僕に非があるのは理解してるけどさ。どう、昨日みたいに僕に掴みかかってくるかい? それで律の怒りが晴れるなら、僕はそれでもいいよ」
「……いい。お前をまた傷つけたところで、俺の怒りが晴れるわけじゃねぇから」
「そう。だから、えっと、こういう時って人間は……あぁ、そうだ」
目を閉じて大きく息を吸うとすると、勢いよく上体を直角に折り曲げた。
「ごめん、律」
突然の謝罪に、俺は目を見張った。
本来、神様が人間に頭を下げさせるなんて恐れ多いことなんだと思う。
だからこの場合は、俺が慌ててクロノスの頭を上げさせようとした方が良いはずだけれども……人の感情が解らない時の神様が、戸惑いながらも頭を下げる姿に、俺の頬に再び雫が零れ落ちたんだ。
この時、俺は自分が思っていた以上に綾のことを好いてたことに気づいた。
そして……
「律、何でまた泣いてるの?」
「なっ、泣いてない! それより、そろそろ下山しないとな! 空だって茜色に染まり始めたから早く下りないと、あっという間に辺りが暗くなって熊などに襲われて……あぁ、ちょっと待ってくれ! 下山する前に、夕焼けに染まる景色をカメラに収めさせてくれ!」
「フフッ、律ったら。この場所に来てからも撮ってたけど、ここに来るまでにだってカメラでたくさん撮ってたよね。その所為で、ここに来るのも遅くなったんだよ」
「わっ、分かってる! でも、この絶景だけはどうしても!」
旅行8日目
今日もクロノスの提案で、この世界の山にハイキングに行くことになった。昨日のことでナーバスになっている俺のことを気遣ってなのか、今日のクロノスは、写真を撮ることが好きな俺の為に、絶景が見れる山を選んでくれたり、俺が忘れているのであろう昼飯を用意してくれたりで、至れり尽くせりだった。
しかし、俺たちが訪れた山は、AIが勉強用に敢えて残している本物の自然が残っている山だった。
人間や建物など無機質な物と違い、未だに解明されていないことが多い自然や気候さえも自分達の管理下に置こうとするこの世界の人間の傲慢さには、怒りを通り越して呆れてしまった。
それでも、この世界に来てから、ようやく出会えた本物の自然を前に、俺は喜びの涙を流した。
そして、時の神様であるクロノスからの不意打ちの謝罪に、俺は自分が思っていた以上に昨日のことがショックで悲しかったんだと気付かされた。
そして……クロノスの謝罪のお陰で踏ん切りがついた気がしたんだ。
確かに、クロノスが俺に対して行ったことは、はっきり言って許せない。
その上で彼は『あんな顔をした俺は見たくなかった』と言った。
神様らしい、実に傲慢で身勝手な言葉だと思う。
でも……もしかすると、あれは俺に対して彼なりの懺悔だったのかもしれない。
まぁ、あの様子だと本人は自覚していないんだろうけれども。
それに、『神様からの謝罪』なんて、人間でしかない俺にとって烏滸がましいかもしれない。
それでも俺は、その謝罪を目の当たりにして、悲しみや怒りが込み上げた後に、心が救われた気がしたんだ。
俺をこの世界に連れて来た……相棒の不器用な優しさに。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




