8日目 自然と管理②
これは、とある男の旅路の記録である。
「さぁ、律。ここに座って」
レジャーシートの前で靴を脱いで隣に座ると、クロノスが自分で背負っていたリュックを開けて、中身をあさくり始めた。
「あのな、クロノス。本当に情けない話なんだが、今朝のハイキングの話で頭がいっぱいになって、昼飯を用意していな……」
「用意していないんでしょ」
「…………はい」
小学生のような言い訳をしていることに、我ながら嘆かわしく思って項垂れていると、胡坐を搔いている俺の足の上に小さなお弁当箱が二つ乗った。
「クロノス、これは?」
「どうせ、僕の提案に頭がいっぱいになって、お昼ご飯のことなんて忘れてるなんて分かっていたから、僕の方で用意しておいたよ」
「クロノス、お前……」
「それで、おにぎりとサンドイッチのどっちを食べるの?」
「これ、おにぎりとサンドイッチが入ってるのか?」
「うん。緑の容器に入っているのがおにぎりで、青の容器に入っているのがサンドイッチだよ。あぁ、どうしてもって言うなら両方でも良いよ。その時は、僕はお菓子でも食べて……」
「いや、おにぎりの方だけでいい。せっかく、用意してくれたんだ。お前だって、お菓子じゃなくてちゃんとしたお昼を食べた方がいい」
「そう。じゃあ、僕はサンドイッチだね」
お菓子をお昼替わりにしようとしたショタ神様を止めて、サンドイッチが入っている青の弁当箱を渡して受け取らせると、用意してくれたお弁当に手を合わせた。
「「いただきます」」
お弁当箱を開けると、おむすびが真ん中に1つと、海苔巻きおにぎりが左右に1つずつあり、右端にたくあんが三切れ入っていた。
ハイキングで空腹になったお腹を満たすには丁度いい量で、気を利かせてくれたクロノスに感謝して小さく微笑むと、早速真ん中のおむすびを手に取って口に運んだ。
「うん! 美味いな! 塩加減も丁度いいし景色も最高だから、家で食べる塩むすびより断然美味しく感じるな!」
「そうなんだ。僕には、お家で食べるサンドイッチとここで食べるサンドイッチに、味なんて大差を感じないけど」
「そっ、そうか……」
人間の感情に疎いショタ神様は人間の感情には、この絶景を見ながら食べるおにぎりの美味しさが分からないなんて……神様相手に言うのも差し出がましいかもしれないが、何だか可哀想だな。
雄大な景色を見ながら食べるご飯の美味しさが分からない神様を、人知れず憐れんでいると、クロノスが何かを思い出したかのように、サンドイッチを口に咥えたまま自分のリュックの中を再び漁ると、緑色の小さなペットボトルを取り出した。
「律、お茶飲む? お昼を用意する時に『おにぎりには、お茶がいい』って、ライフウォッチに聞いたから用意してたんだけど」
「あぁ、飲む。何から何までありがとな」
「別に。律が楽しそうにしていれば、僕はそれで良いからさ」
「クロノス……」
人間の感情なんて分からないと口に出しながらも、俺の為にお弁当やペットボトルを用意して渡す、クロノスの温かい気遣いに感謝しながら、小さな手から受け取ったペットボトルの蓋を開けると、ほどよくぬるくなったお茶を口に含んだ。
「はぁ、塩むすびも梅のおにぎりも鮭もおにぎりもたくあんも全部美味しかった~! クロノス、ありがとうな!」
時の神様が用意くれたおにぎり弁当を完食して、ペットボトルに入ったお茶を飲み切って一息つくと、横から空になったお弁当箱とペットボトルを回収したクロノスが、そのまま自分のリュックの中に戻した。
「ううん、良いよ。さっきも言ったけど、律が満足してくれたら、それで十分だからさ」
「そっ、そうか……」
満足そうな笑みで俺のことを見ているクロノスを直視出来ず、視線を逸らせて後ろ手をつくと、気持ち良い風が吹いてきた。
「本当に、良い景色だな」
「うん、そうみたいだね」
緑豊かな美しい山々と、空の色と同じ澄み渡った青色の水が流れている大河を眺めてると、不意に4日目の観光地が頭を過り、気持ち良い風に吹かれて上がっていた口角が下がった。
「ここも……ホログラムなんだよな」
観光客に喜んで貰う為ならば、残すべき歴史や文化を躊躇なく壊し、自分達に都合の良い観光地を造るこの世界に住む人間の暴挙が、この美しい風景にも影響しているのだとすれば、さっきまで無我夢中で撮っていた自分が、少しだけ馬鹿らしくなった。
自嘲ぎみに出た言葉にクロノスが何の気なしに答えた。
「違うよ」
「えっ?」
驚いて顔だけ横に向けると、無表情を貼り付けたクロノスが、体操座りをしながら眼前の真っ直ぐ光景を眺めていた。
そして、前を見据えたまま言葉を続けた。
「ここは、ライフウォッチからの直接的な干渉が禁止されている……この世界で数少ない、本物の自然が残っている場所なんだよ」
「本物の、自然」
クロノスの言葉をオウム返して頭の中で整理すると、慌てて立ち上がって靴を履くと、少しだけ駆けてその場にしゃがみ込んだ。
そして、成人男性の手のひらサイズに伸びた細い草を手に取ると、感触を確かめた。
草の感触を確かめて立ち上がると、今度は後ろを振り返って、この場所の入口まで駆けると、近くにあった木の幹や葉っぱを、先程と同じように感触を確かめた。
「どうしたの、律?」
後ろから声が聞こえて振り返ると、不思議そうな顔で見ていたクロノスの目が、少しだけ見開いた気がした。
「ねぇ、律。どうして泣いてるの?」
「えっ?」
クロノスに言われて頬を触ると、目から出たであろう雫が真っ直ぐに頬を伝ったのであろう跡が、手のひらに感じた。
そうか、俺は……
自分が涙を流していたことに気づいた途端、次々と目から雫が作られては頬を伝って零れていき、それをクロノスに見られまいと俯いたが、歪んだ視界で微かに漏れた嗚咽が耳に届いた。
ようやく、この世界で本物に再会出来たことが嬉しかったんだ。
「律、少しは落ち着いた感じかな?」
「あぁ、ありがとう。クロノス」
俺が嗚咽を漏らしながら泣いている間、クロノスは近寄ってそっと俺の背中を手を添えると、レジャーシートが敷いてある場所に連れて行った。
そして、レジャーシートの上に俺を座らせると、静かにポケットティッシュを差し出して、泣き止むまで待ってくれた。
「本当、いきなり靴を履いて駆け出したかと思ったら、草や木々を触りだして、後ろから僕が声をかけたら、今度は突然泣き出すし」
「……すまん」
いつになく大人げないところを見せてしまい、恥ずかしくなって俯くと、俺が使ったポケットティッシュの残骸を、コンビニで見かける半透明のゴミ袋に片付けてリュック入れた。
「良いさ。神様の僕には、全然理解出来ないけれど……恐らく、人間特有の感覚が呼び起こされたんだろうね」
「クロノス……」
クロノスらしい辛辣で何処か温かみのある言葉に顔を上げると、柔和な笑みがこちらを見ていた。
「それで、どうしてあんなことをしたの?」
「それは、『ここが、ライフウォッチに干渉を受けない、本物の自然が残っている場所だから』って、お前が言ったから、本当なのか確かめようと……」
「つまり、僕の言ったことが信じられなかったからやったということだね?」
「ちっ、違う! お前が言ったことを信じられなくてとかじゃなくて、単純に、自分の目で直接確かめたかっただけだ!」
俺の行動を誤った方向に解釈しているクロノスに慌てて誤解を解くと、再びクスクスと笑い始めた。
「フフッ、分かってるって。要は、2日目と同じようなことしたってわけだね。ごめん、ちょっと【からかう】ってことをやってみただけだから。決して、そういう意味でやっていたってことじゃないくらい、人間の感情に疎い僕でも分かるから」
「なんだよ~。そういうのは、俺のメンタルが酷く落ち込んでいない時にやってくれ。今、それをやられると堪えるから」
「うん、分かったよ。覚えておく」
時の神様に玩具にされた俺は、少しだけ溜息をつくと、あの言葉の意味を聞いた。
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