7日目 恋愛と相性④
これは、とある男の旅路の記録である。
「あそこって……」
俺が綾に出会う前、このテーブル席で飲み食いしながら会場を観察していた時に気づいたそこは、綾と話している今この瞬間にも、出来立てほやほやのカップルが仲良く恋人つなぎをしながら向かっている。
彼女の考えていることを理解した俺は、表情を引き締め直して綾と向き合った。
「綾さん。確認ですが『俺とこの会場を出ていく』ということで良いですね?」
「……はい」
ゴクリ
顔を真っ赤にしながら俯き加減で小さく返事をする彼女に、逸る気持ちを抑えながらもう一度だけ問い質した。
「ここでは、どうしても話せないことですか?」
「はい。律さんと2人きりにじゃないと話せないこと……です」
器用に上目遣いをしながら返事をする彼女に少しだけ表情筋を緩ませると、椅子から立ち上がってそのまま彼女の隣に立ち止まった。
「でしたら、早速行きましょう。俺も綾さんと2人きりで話したいことがありますから」
「はい!」
紳士のような笑みで彼女に向かって手を差し出すと、愛くるしい笑顔をした彼女が俺の手を取った。
「本当に、良いんですか?」
綾と共にテーブルを離れて出口に向かって歩いていると、急に不安に駆られた俺は隣にいる綾に問いかけた。
今更だが、こんな俺で良いのかと本当に思ってしまう。
それくらい、俺と手をつないで頬を少しだけ赤く染めて笑う彼女が途轍もなく可憐で、ただのサラリーマンでしかない俺には勿体ないのだ。
「律さんだから良いんです! もう、何度も言わせないで下さい!」
俺の手を強く握って頬を膨らませて可愛く怒る彼女を見て、頬が緩むのと同時に熱を帯びるのを感じた。
女の子の一挙手一投足に動揺するなんて、俺は男子中学生かよ。
そんな情けないことを思っている内に、あっという間に会場の出口が見えてきた。
「そろそろ、ですね」
「はい! 早く、律さんと2人きりになりたいです」
全く、無邪気な笑顔で可愛いことを言ってくれるじゃねぇか。
初々しい反応で俺を喜ばせる綾と共に出口らしいドアを抜けると、そこには外に繋がる廊下……ではなく、男の本能を呼び起こすピンク色で染まるたくさんのドアが奥一列へと連なる空間だった。
「ここは……」
突如として現れた異様な空間に驚いて足を止めると、恋人繋ぎをしていた彼女が人畜無害な笑顔を浮かべながらピンクに染まった空間へと俺を誘おうとした。
「さぁ、律さん。早く行きましょう」
満面の笑みで俺を誘う彼女に戸惑いを覚えながら、俺は彼女にどうしても確認しておきたいことを口にした。
「なぁ、綾さん。俺と2人きりになりたい場所ってここで合ってますか?」
「はい、ここで合ってますよ」
どうやら、ここで間違いないらしい。でも、この雰囲気って……
「あの、律さん。もしかして、私と一緒にここに来るのが嫌でしたか?」
「嫌じゃないですよ。綾さんが行きたいところでしたら、俺はどこだって行きますから」
「律さん……」
不安そうな目でこちらを見る彼女に白旗を上げた俺は、紳士的な笑みで歯に浮くような台詞を言うと、向日葵のような笑みを見せた彼女と共に既視感のある空間の中へと入って行った。
この感じ、どう考えても……
「ラブホ、だよな」
異空間の中へ入った瞬間、どこからともなく甘い匂いが漂ってきて鼻腔を擽った。
鼻を劈くような刺激臭ではないので気にしなければいいだけことなのだが、長時間嗅いでいると何だか変な気持ちになってしまう。
理性を削ぐような甘美な匂いを嗅ぎすぎないように鼻を抑えようとしたその時、先導していた綾があるドアの前に立ち止まった。
「どうしましたか?」
「あの、ここなのですが……」
恥ずかしそうに指差したドアの前には、ライフウォッチを翳すところがあった。
なるほど、そういうことか。
彼女に悟られない程度の溜息をついてライフウォッチを翳すと、ドアが横にスライドして開いた。
ドアが開いてことに無邪気に喜ぶ彼女を見て小さく苦笑を漏らしつつ、仲良く部屋の中へ入った。
部屋に入ると、そこには小さな冷蔵庫に二人掛けソファーとローテーブルがあり、その前には薄型テレビが備え付けられていた。
そして、俺の目を引いたのは、部屋の奥にあった一面ガラス張りでバスルームと、部屋の真ん中に堂々と鎮座していたラブホ御用達のヘッドライト&収納付きの純白のシーツに包まれたキングサイズのベッドだった。
「どう見ても……これって、ラブホだよな」
「律さん、何か言いましたか?」
「いいえ、何も言ってませんよ」
可愛らしく小首を傾げる綾を安心させるようと彼女の頭を優しく叩くと、紅潮した頬を抑えた彼女がベッドの方へ走っていった。
全く、本当にこの子は純粋無垢で可愛いな。
初心な反応を見せる綾に頬を緩ませている俺を、ベッドの上に座った綾が上気した頬を露わにさせながらポンポンと自分の隣を叩いた。
それ、男を誘っているなんて……気づかないよな。
無自覚に俺を誘っている彼女に小さく笑みを零し、理性を保たせたままゆっくりとした足取りでベッドに近づいて彼女の隣に座った。
「それで、俺と2人きりで話したいことって?」
部屋に2人きりであることを良いことに、優しめな口調を変えないまま畏まった敬語から普段使っているタメ語に切り替え、少しだけ顔を傾けながら甘く見つめると、視線が合った綾のみるみるうちに顔を真っ赤になった。
「その前に……近すぎませんか?」
「ん? 綾が俺に『隣に来て』って誘ったんじゃないか」
「誘ってません! それに、綾って……」
「嫌だった?」
「嫌じゃ……ありません」
顔を真っ赤にしながら俯く綾に気を良くした俺は、彼女の肩を抱いて更に体を密着させて続きを促した。
「それで、話って?」
「あの、実は……」
「ん? 何かな?」
恥じらう彼女に顔を近づけた途端、勢い良く顔を上げた彼女が、俺の手を握ったまま自分の太ももに置くと、鼻先が当たる距離まで顔を寄せた。
「実は、律さんのことが好きなんです!」
彼女の精一杯の告白に口元を綻ばせてた瞬間、彼女の目線が斜め下にずれた。
「いきなりこんなこと言われて、驚かれてますよね? でも、どうしても律さんに伝えたくて! 律さんのことを初めて見かけた時、律さんの落ち着いた大人の雰囲気に惹かれて……律さんに一目惚れしてしまったんです! それで、律さんに声をかける人が誰もいないことを良いことに勇気を出して声をかけたんです。律さんと少しでも仲良くなれたらって。そしたら、律さんが私のことを優しくエスコートしてくれた上に、一緒にお食事をまでしていただいて、とても嬉しかったんです。何より、律さんと一緒にお食事を交えつつ話している時間がとても楽しくて……だからこそ『今伝えないと、律さんが他の女性に取られてしまう!』と思って、2人きりになれる場所にお誘いしたんです。律さんには、申し訳ないことをしたと思っています。でも、私……っ!?」
彼女が胸の内に秘めていた想いを自分の言葉で一生懸命に伝える姿に堪えきれなくなった俺は、彼女を力強く抱き寄せると苦しくない程度に彼女を腕の中に拘束した。
「りっ、律さん!? あのっ、私!?」
突然抱き寄せられて困惑している綾がどうしようもなく愛おしく、小さく笑みを零している俺に気づいた彼女が、力いっぱい腕を伸ばしながら俺の間に僅かな距離を取ると、怒ったような顔で俺のことを睨みつけた。
「律さん今、私の一世一代の告白を笑いましたね! もう、律さん大人だから慣れてるかもしれないですけど、私にとって人生で初めての告白だったんです!」
「フフッ、悪かった。綾の告白があまりにも可愛いかったから、つい……」
「かっ、かわ!?」
『可愛い』という単語に未だ慣れない彼女に更に頬を緩ませると、出来てしまった間を埋めるように再び抱き寄せて、綾の可愛らしい耳元に唇を寄せた。
「ありがとう、綾。俺も、綾のことが好きだ」
「えっ!? 嘘!?」
驚いた声をあげる彼女の顔を見ようと耳元から唇を離して顔を合わせると、彼女のクリクリとした大きな目を見開き、信じられないといった顔で俺のことを見ていた。
「本当だ。俺も綾と同じ一目惚れだ」
「噓! だって律さん、ここに来るまでにそんな素振り一切見せなかったじゃないですか!」
「それはまぁ、好きな子の前でカッコつけたかったというか……」
気恥ずかしくなって目線を逸らすと、隣からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「何だよ、今度は綾が俺のことをバカにするのか?」
「いいえ。 大人な律さんにもそんな可愛いらしいところがあるのだなって」
「綾が思っているほど、俺は大人なじゃないぞ。それに、三十路男に『可愛い』は気持ち悪いだけだから」
「そうですか? 私は、可愛いと思いましたけど」
「ほら、また可愛いって!」
恋愛の『れ』の字も知らない子が、年下の女性に可愛いと言われてしまう三十路男の繊細すぎる機微なんて分かるはずないよな。
「……幻滅したか?」
「いいえ。 むしろ、律さんのことがもっと好きになってしまいました」
「綾……」
嫋やかに笑う彼女の頬を、まるで壊れ物を扱うように両手で優しく包んでゆっくりと顔を寄せると、その柔らかそうな彼女の唇に己のものを優しく重ね合わせた。
綾の唇、思ったより柔らかいな。そして、思った以上に甘い。
そっと唇を離すと、男の俺から初めて唇を奪われた綾が、蕩けたような顔で俺のことを見つめながら俺の腕を優しく掴んできた。
「律さん、もっと……」
「綾、これ以上は……」
初めてのキスでこんなにも物欲しそうな顔をするなんて……でも、初心者相手にこれ以上したら、俺の理性があっという間に吹き飛んでしまう。
綾を傷つけないように宥めつつ距離を取ろうとした瞬間、掴まれていた腕に丸みを帯びた柔らかな双丘がしな垂れかかるように惜しげもなく押し付けられた。
マズイ、こういうのは随分とご無沙汰だったからこれ以上は……
「綾、いくら君が恋愛初心者でも、俺は男だ。そして、この部屋には俺と綾だけだ。いい歳した男女が部屋で二人きりなれば、やることなんて限られてくる。だから、これ以上してたら、俺は君のことを……」
「……ください」
「えっ?」
驚きに満ちた俺の瞳と潤んだ綾の瞳がかち合った。
「してください。いくら、私が恋愛初心者でも律さんがいいんです。初めて私が好きになった男の人……律さんだからして欲しいんです」
綾の甘い言葉と押し付けられている豊満な胸に、男としての本能が揺り動かされながらも、必死で理性を繋ぎ止めている俺の頬を、唇と同じく柔らかい両手が包み込んだ。
「律さん、私の初めてを貰ってくれませんか? 私、恋愛初心者ですけど、大好きな律さんにだったら私、好きにされても構いません。むしろ、私のことを好きにして下さい。私の初めてを大好きな律さんに捧げられるなら、私は律さんに何をされても全然嬉しいですから」
ゴクリ
幸せそうな笑みを浮かべる綾の両肩に両手を置くと、理性が途切れる前の最終確認をする。
「本当に、良いんだな」
「はい。律さんだったら、私の初めてを優しく大事にしてくれると思います……早く大好きな律さんと繋がって一つになりたいです」
「っ!!」
本当にこの子は!
初めてとは思えない彼女の誘惑に完敗した俺は、期待に応えようと理性を手放して再び唇を寄せた……
パチン!
その瞬間、指を鳴らすの音が耳に届き、視界がモノクロに染まった。
視界が急に白黒に変わり慌てふためいて俺は部屋を見回すと……ドアの前に、金色のツンツン頭に、短パン・半袖パーカー・スニーカーと、いかにもわんぱく少年のような格好をした小学生くらいの男の子が立っていた。
メリークリスマス!
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




