30日目 感謝と帰還⑨
これは、とある男の旅路の記録である。
「そして……今日を迎えたってことか」
「そうだね」
細く長い息を吐くと、フッと笑みが零れた。
「長い旅行だったな」
「そうなの?」
「あぁ。30日間旅行するなんて、学生時代ならまだしも社会人になってからは早々出来るものじゃないんだ」
「そうなんだね」
一介のサラリーマンが30日間も会社を休んで旅行に行くなんて、よっぽどなことがないと実現不可能なこと。
それに異世界を旅行するなんて、それこそ神様の力でも借りなきゃ出来ない話だ。
そんなことを考えながら俺は、目の前の神様をじっと見つめた。
「でも、あっという間だった」
最初聞いた時は『30日間なんて長い!』と思っていたけれど、こうして時の神様と一緒に色んなところ行ったお陰で30日間が瞬く間に過ぎ去っていった。
これ全て、俺を異世界に招待してくれた神様のお陰だな。
「ところでさぁ、律」
「ん?」
異世界で見聞きしたことを感慨深く思っていると、徐にショタ神様が俺に問いかけてきた。
「律の目から見て、未来の世界はどう映った?」
「どう映ったって、どういうことだ?」
突然の問いに首を傾げていると、クロノスが再びあても無く歩き始めた。
「簡単だよ。律が2つの世界を見てどう思ったか聞きたいんだ」
「何だ、そういうことか」
そういうことなら、まどろっこしい言い方をするなよ。
あてもなく歩くクロノスに大きく溜息をつくと端的に答えた。
「俺は、この2つの世界は合わせ鏡のようなものだと思った」
俺の言葉に興味を示したクロノスが足を止めて俺のいる方に体を向けた。
「それは、どういうことかな?」
興味を隠さないクロノスに再び溜息をつくと言葉の真意を解説した。
「まぁ、元はと言えば1つの国だったし当たり前なのかもしれないが、2つの世界は互いに距離を取りながらもその裏では干渉し合っているように見えたんだ」
あの世界はこの世界に対して干渉したいけど警戒心からか距離を取らざるを得ない、対してこの世界はあの世界に対して距離を取っているが本当は干渉したい。
この世界で知った『年齢制限』が最たるものだ。本当に関心が無いなら、あの世界のことなんて気にしなくていいはずなのに。
「あの世界もこの世界も互い背を向けながらも互いのことが気になっている。だからこそ干渉したくなる。だからこそ距離を取りたくなる。そういう風に見えたんだ」
何もかも違う2つの世界なのに所々共通点がある。他人に対して気にしていたり、人の感情で全てを決めていたり。
結局、別世界から来た俺からすれば、2つの世界は合わせ鏡のような世界なんだ。
「ふ~ん、律はそういういう風に感じたんだね」
納得したように深く頷いたクロノスが、俺のいる方に歩いてきて目の前で立ち止まった。
「ねぇ、律」
「ん、何だ?」
目の前にいる神様が、優しく笑顔を向けながら問いかけてきた。
「もし、君が望むなら……僕の力でどちらか世界に住むことも出来るよ」
「えっ?」
クロノスのからの突然の提案に、頭が真っ白になった。
それって、つまり俺が元の世界に帰らずにどちらかの世界に住めるってことか?
「でも、そんなことをしたら、お前との約束が叶え……」
「あぁ、それなら住んだ先で叶えて欲しい」
「はっ?」
随分と横暴なことを言うショタ神様に怒りを覚える俺に、優しい笑みを浮かべ続けている神様が静かに語り出した。
「ほら、あの世界って人間にとって願望を何でも叶えてくれる世界だったじゃない。律だって、最初の頃はライフウォッチの便利さに感動して、その後は家事の全てをライフウォッチに任せていたよね」
「確かに、そうかもしれないが……」
複雑な表情をしながら俺はゆっくりと顔を俯かせた。
俺の願いを叶えてくれるライフウォッチに今でも魅力を感じないかと言われれば嘘になるし、あの世界にいる間はそれに頼り切った生活をしていた。
「それに、この世界だって、多少なりとも目を瞑れば律にとって過ごしやすい世界なんじゃないかなって」
「悪いがそれはない」
プライベートなんて皆無な上に、クソ上司が憧れの上司だなんて世界なんては真っ平ごめんだ。
顔を上げながらきっぱり断る俺にクロノスは首を傾げた。
「そうなんだ。でも、律が望めば僕は……」
「クロノス」
更に何かを言おうとする神様の名前を呼ぶと大袈裟に溜息ついた。
「確かに、あの世界は俺のいた世界より遥かに発達していたから、あの世界に住めばそれなりに幸せに暮らせると思う」
「律……」
「それに、この世界も……まぁ、何だ。プライベートを過干渉されるのは大変いただけないがそれにさえ目を瞑れば俺のいた世界と然程変わらな……いや、色々とストレスが溜まりそうだからやっぱり住むのは無理だ」
「そうなんだね」
楽しそうな笑みを浮かべるクロノスを見た俺は、小さく笑みを浮かべると毅然とした態度でクロノスからの提案を断った。
「ともかく、俺はどちらの世界に住みたくは無い! 俺の心を無くすようなことをするあの世界も嫌だし、個人の感情を無くすようなこの世界も嫌だ! 例え、いずれ訪れるかもしれない未来だとしても、今の俺がどちらかの世界に永住する気なんてさらさらない!」
挑戦的な笑みを浮かべながら答えた俺に、目の前の神様が吹き出したような笑いを漏らした。
「そうか、そうなんだね。それなら仕方ない。律がそう言うなら、この提案は無しにするよ」
「あぁ、そうしてくれ。それに……」
徐に立ち上がった俺が小首を傾げる神様の前に立つと、あの日交わした約束を口にした。
「お前が俺に『30日間かけて旅行して、この世界で感じたことや気づいたことを元の世界で広めて欲しい』って約束を持ちかけたんだ。だったら、その約束を果たさないと」
「そうだってね。僕としたことがすっかり忘れていたよ」
全く、お前ってやつは……
全然悪びれていない笑顔を浮かべる時の神様に俺は久しぶりに声を出して笑った。
「さて、そろそろ律を元の世界に帰さないと……って、その前にこれを返しておかないとね」
パチン!
いつものように指を鳴らした瞬間、俺の首と背中に重さがかかった。
「うぉっ!……って!」
驚いて首元と背中を交互に見ると、そこには俺と一緒に異世界に招待された相棒とリュックがあった。
「それと、あれね」
「ん?……あっ!!」
クロノスが指した方を振り返ると、異世界に来て早々行方不明になっていた折りたたみ自転車が立てられた状態で置いてあった。
「どうやらこの場所に転移したらしくて、一応神界にいる部下にお願いして預かってもらって傷つけることなく大切に保管していたんだけど……あれって、律の物で合っているよね?」
「あぁ! ありがとう、クロノス!」
感動の再会に自転車の傍に駆け寄ると、元の世界で乗り回していた時の状態のまま俺のことを出迎えてくれた。
良かった! あの時は別の人間に盗られたんじゃないかと心配したが……お前、クロノスの部下達のところにいたんだな!
確かめるように愛車を撫でまわしていると、隣から安心したような声が聞こえてきた。
「良かった。それと、これは僕からの【お土産】って呼ばれる物として受け取って欲しんだけど、律が【ノートパソコン】って呼ばれる物に記録していた【日記】ってやつは、データごと元の世界にある律のノートパソコンに移してあるから、戻ったら確認してね」
「あぁ、ありがとう……って、知ってたのか!?」
感動を再会に喜んでいた気持ちを一気に冷ますような事実を言われ、驚きながら隣を見ると、悪戯に成功したような笑みを浮かべたショタ神様が俺のことを見ていた。
「うん。僕一応、時の神様だからね。でも、中身は見ていないから安心して」
「あぁ、そうだな……」
「あと、律があの世界に招待する前に過ごしていた時間軸に帰すから安心してね」
「そりゃあ、どうも」
つまり、俺が蜃気楼を撮っていたあの休日に戻されるってわけか。流石、時の神様。でも……
清々しい笑みを浮かべるクロノスからそっと目を逸らした。
この瞬間、俺の黒歴史に新たな一ページが刻まれたことは言うまでも無かった。
「あと、律を元の世界に帰す前に、最後に聞いておきたいことがあった」
「何だよ、聞いておきたいことって?」
ノートパソコンの一件で半ば不貞腐れている俺に、表情を変えないクロノスがたった一言だけ問いかけた。
「僕との旅行、どうだった?」
いつもの笑顔で問いかけるクロノスに、俺はゆっくりと愛車から時の神様に体を向けた。
「そうだな、突然別の世界に転移させられて、出会って間もない神様に一歩的な約束をされて、その後は色んな場所に行って、色んなものを見たり聞いたり体感したりして、その1つ1つのことに喜怒哀楽して、長いと思っていた30日間なんてあっという間に思えるくらい、過ごしていた日々が大変と驚きで満ち溢れている濃いものだったけど……」
それでも……
穏やかに笑みを浮かべる神様に、そっと笑いかけた。
「楽しかったぞ」
時の神様と一緒に合わせ鏡のような2つの世界を旅行したことは、俺にとって人生で一番の財産になったことは間違いないから。
満足げに笑う俺を見て、クロノスは笑みを深めた。
「そう、良かった」
そう言って微笑んだ神様は、間違いなく時を司る神様に相応しい、慈愛に満ちた笑みだった。
「それじゃあ、お別れだね」
慈愛の笑みを浮かべたまま時の神様はいつものように片手を上げた。
あぁ、これでこの身勝手で人間のことなんて何一つ分かっていなさそうな神様ともお別れなんだな。
本当、最初から最後まで俺のことを良いように振り回す神様だった。この旅行だって、そもそもはこの神様の気まぐれから始まったものだ。その気まぐれが、時には喜んで楽しみ、時には傷ついて、時には怒ったこともあった。
だが……
「クロノス、俺は……」
「あぁ、そうだ。律」
何かを忘れていたかのような口調で名前を呼ばれると、表情を変えずに30日間の旅行の感想を言った。
「僕もね、律との旅行……楽しかったよ」
「クロノス、それって……!?」
初めて人間らしい感情を言葉にした神様に目を丸くすると、時の神様は今まで見たこともないような真剣な表情と神様らしい威厳ある言葉で、この場にいる人間を元の世界に返した。
「渡邊 律。時を司る神クロノスの名を以て、汝がこれから辿る時が汝にとって幸福なものであらんことを」
急速に薄れていく意識の中で、後光が差した俺の旅の相棒は最後に神様らしい笑みを浮かべたまま小さく口を開いた。
その言葉を聞き取った俺は、小さく口角を上げると相棒が口にしたことをそっくりそのまま口にした。
「「ありがとう」」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
ついに、30日間に及ぶ律とクロノスの旅行が終わりましたが、これで最終回ではありません!
旅行は、『おうちに帰るまで』が旅行ですからね! 次回、閑話を挟んでついに最終回です!
どうぞ、最後まで見届けて下さい。




