30日目 感謝と帰還①
これは、とある男の旅路の記録である。
「……つ、律」
「うっ、ううん……ん?」
微睡みの中で聞こえた時の神様の優しい声に導かれ、ゆっくりと瞼を開くと、視界には純白な天井が映った。
「起きたみたいだね、律」
「クロノス、ここは?」
気だるげに体を起こしてそっと辺りを見回すと、金髪碧眼の美少年が俺の横に立っている以外はどこを見ても白い光景が広がっていた。
ここはどこだ? 一昨日のような青空の中でも、昨日のような星空の中でもない。だとしたら、もしかして……
「天国なのか?」
「違うよ」
素早いツッコミを耳に入れながら辺りを忙しなく見る俺に、小さく微笑んだクロノスが優しい声色でこの場所のことを教えた。
「ここは、神界と人間界の狭間だよ」
「神界と人間界の狭間?」
啞然とした顔でオウム返しをすると、満足げな笑みを浮かべたクロノスがあてもなく歩き出した。
「そう、ここは神界と人間界の狭間さ。僕もここに来たのは初めてなんだけど……へぇ~、こんな風になっているんだね」
興味が尽きないような表情で何も無い真っ白な空間を歩いて回るクロノスをぼんやりと見つめながら、俺は不意に浮かんだ疑問をそのまま口に出した。
「どうして、俺をこんな場所に?」
ここって、人ならざる者しか来れない場所じゃないのか?
首を傾げる俺に、クロノスは足を止めることも無く答えを言った。
「それは、律がこういう場所が好きじゃないかなって思ったからだよ」
「確かに、こういう非現実的な場所には大人気なく胸躍らせるが……」
それにしたって、あまりにも唐突すぎないか? まるで、ここで今からお前が俺と別れを告げるように……あっ。
『別れ』という言葉で俺を狭間に連れてきた本当の目的を理解すると、あてもなく歩いているクロノスから凝視した。
「もしかして、お前……」
「フフッ、どうやら分かったみたいだね。さすがだよ、律」
消え入りそうな声で言った言葉で立ち止まったクロノスは、そのまま俺が座っている方に体を向けると慈悲深い笑みを浮かべた。
「渡邊 律。旅行30日目である今日、君をこの場所に連れて来たのは他でもない。君と……時の神様である僕と一緒に旅をしてくれた君とお別れをするに連れて来た」
神様らしい笑みを浮かべるクロノスを見て、思わず小さく笑いが零れた。
そうか、今日は旅行30日目か。
「お前、旅行2日目で俺のことを『君』って言わないって言ったくせに、旅行最終日である今日は言うのかよ」
「フフッ、そうだったね。でも、あれから君のことを『律』って呼んでたよ」
「そうか? 確かに、あれから俺のことを『律』って呼んでくれたが、たまに『君』って呼んでた気がするぞ」
「そうかな?」
出逢って間もないことを昔のことのように懐かしく思っていると、白い空間の中で胡坐を掻いた俺は何かを懐かしむような目でショタ神様のことを見つめた。
「そう言えば、俺をあの世界に連れて来たのはお前だったな」
貴重な休日の昼下がり、写真を撮っていた俺は世にも珍しい蜃気楼をカメラに収めた瞬間、突然意識を失い、気が付いたら見知らぬ場所にいたんだよな。
そんな30日前のことを言った俺に、クロノスは満足そうな笑みを浮かべながら軽く頷いた。
「そうだね。僕は、律にこの世界を知って欲しくて連れて来たんだ」
「そういう割には、連れて来た奴を酷い目に合わせたよな。目を開けたら路上で寝ているし、周りを見れば気味悪い空が広がっているし、何だか知らないが住民達には避けられるし、挙句の果てには警察ドローンに捕まりそうになるし……本当、来て早々散々だったな」
「そうだったね。あれは、僕が『どこでも良いかな』と思ってあの場所に転移させたんだけど……まさか、あんなことになるなんて。さすがの僕も【驚いた】ってやつだよ」
「……お前、こうなることを最初から知っていただろ」
「もちろん」
純粋無垢な笑みを浮かべるショタ神様から齎された知りたくも無かった事実に、俺は大きく溜息をついた。
まさか、俺が転移直後に路上で寝ていたのは、時の神様が適当に転移場所を決めたからだったのか……
「でも、結果的に僕と律は無事に合流出来たじゃん」
「まぁ、結果論ではあるが」
「それで俺は、見ず知らずの子どもと一緒に警察と鬼ごっこをして、その子どもお陰で何とかあの世界のセーフティーゾーンに入ったんだが……まさか、その子どもが時の神様クロノスなんて聞いた時は本当に驚いたぞ」
「フフッ、律の驚いた顔には今でも思い出せるよ」
「それは思い出さなくても良い」
今思えば、あんなのただの醜態でしかないから。
満足げな笑みを浮かべるクロノスに思い出すなと言わんばかりに小さく首を横に振ると、無意味な自己紹介が終わった後に齎された事実を口にした。
「そこで俺は、あの世界が俺のいた世界が辿る無数の未来の中で、辿る可能性が一番世界であることを知ったんだよな」
「そうだね」
あの時は、ただただ驚くことしか出来なかったが……
あの時のことを思い出して小さく溜息をつくと、俺とクロノスが今日まで旅行するきっかけを口に出した。
「それで、時の神様であるクロノス様から俺の黒歴史を人質に『クロノスと俺であの世界を旅行して、あの世界で見たものを俺のいた世界で広めて欲しい』って脅したんだよな」
「脅してもいないし、律の【過去】って呼ばれるものを【人質】なんてものにしたつもりはないよ」
「してたんだよ、十分」
そうじゃなきゃ、俺はお前と30日間も旅行するなんて提案を飲むことは無かったんだからな!
不思議そうな顔をしながら首を傾げるクロノスに大きく溜息をついた。
「でもまぁ、せっかく未来の世界に転移したんだからな。渋々ではあったが、俺は30日間異世界を旅行することを了承したんだ」
「そうだね。ここから僕と律の旅行が始まったんだよね」
満足げな笑みを浮かべ続けるクロノスと反対に、俺はどこか遠い目をしながらあの時に抱いた気持ちを思い出していた。
あの時は、未知の世界に期待と不安で胸を躍らせていたな……あの世界の真実を知った後だと胸躍らせていたあの頃の自分がとても眩しく思える。
再び小さく溜息をつくと、視線をクロノスに戻した。
「それで、旅行2日目はどこにも行かずに家に引き籠ったんだよな」
「仕方ないよ。前日に警察に追われていたんだから念の為に……」
「分かってる。そのお陰で俺はあの世界の家を探検することが出来たからな」
あの時の探検は、あの世界を知るうえでとても有意義な時間だった。
セーフハウスを探検していた時のことを思い出して満足げに口角を上げる俺に対し、クロノスはどこか難しいそうな顔をしていた。
「……ねぇ、今でも思うんだけど、あの世界の家を探検する必要あったの?」
「お前のお願いを叶える為にも必要だった。それに……」
時の神様から利き手の手首に視線を落とすと、14日間ずっといてくれた物を思い出した。
「あの時、あの世界の基盤になっているものにも出会えた」
そう、あの世界にいた俺の手首には、あの世界の生活必需品であった腕時計型携帯端末【ライフウォッチ】が付けられていた。
懐かしさに浸るように利き腕の手首をそっと撫でると、再び視線を時の神様に戻して小さく呆れたような溜息を漏らした。
「でも、まさかあの追いかけっこの原因が、俺がライフウォッチを付けていなかったからだとは思わなかったぞ」
「まぁ、それだけライフウォッチはあの世界は【必須アイテム】ってやつだったからね」
「そう……だったな」
そう言って小さく俯いた俺は、再び手首を撫でた。
あの世界の真実を知った後だと『あの万能端末は、本当は人を堕落する為に作られたんじゃないか?』って思えてならないんだけどな。
「そして、旅行3日目は律の提案で僕たちが住んでいた家の周辺を散策したんだよね。まぁ、今でも僕は、どうして律が散策したくなったのか理解不能なんだけどね」
呆れたように言うクロノスに顔を上げた俺は咄嗟に反論した。
「いっ、良いじゃねぇか! お前が『どこに行きたい?』って聞いてきたから、俺は素直に行きたい場所を答えただけだ! それに、あの散策で色んな発見があったじゃねぇか」
「発見?」
「そうだ。外出するには【プライベートゾーン】と呼ばれる特殊な結界を張らないといけないこととか、外には観光客以外に生身の人間がいない代わりに人間と瓜二つのヒューマノイドがあちらこちらにいることとか、そして……あの世界では、貨幣による等価交換がなかったこととか」
あの世界のコンビニでこの事実を知った時、俺は本気で『この世界には、等価交換が存在しないのではないか?』と思った。
でもまぁ、今となってはそれもただの憶測でしかなかったが。
あの世界で行ったコンビニのことを思い出した俺に、クロノスは思わずといった様子で小さく笑みを零した。
「そうだったね。律が前日に『晩飯、いくらかかった? 立て替えた分を俺が払うから』って言って【財布】ってやつを取り出した時は、さすがの僕も神様らしくない態度をとってしまったよ」
「あぁ、そうだった。お前、財布を取り出す俺に向かって大笑いしてたな。あの時は、貨幣による等価交換があの世界でもされているのかと本気で思っていたから」
今思えば、あれも忘れたい醜態の一つだったな。
思い出して不満げな顔しながら明後日の方を見ていた俺だったが、視界の端でクロノスは納得したような顔をしていたのを捉えていた。
「そう言えば、あの時ってまだ【貨幣】ってもので等価交換されていないことを知らなかったんだよね。それは、悪いことをしたね」
「そうだな。ついでに、あの世界のコンビニが巨大ライフウォッチであることも知らなかった」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
お待たせ致しました! ついに最終章突入です!




