29日目 決別と偏見⑥
これは、とある男の旅路の記録である。
「それにね、自分の信じたいものしか信じないからって、自分以外の人間に関心がないわけじゃないんだ。むしろ、律のいた世界以上に関心があるかも。例えば……顔も知らない他人がいきなり自分の名前を呼んでくるとか」
「あっ……」
『あらやだ、律さんに時司君じゃない!』
クロノスの言葉で、俺はこの世界に来た初日のことを思い出した。
そうだ、この世界では全員が俺や時司の名前を知っていた……いや、名前だけじゃなく家庭事情や俺の仕事のことも知っていた。さも、当たり前かのように。
「だとしたら、どうしてこの世界の住人達は、他人に対して過剰に干渉したりプライベートなことまで知っていたりするんだ? 自分達の信じたいものしか信じないなら、そこまで他人に関心を寄せる必要なんて無いはずだ」
それも、犯罪スレスレ……というか、俺のいた世界の基準で言うなら完全にアウトなまでに知る必要が無い。
難しい顔をしながら首を傾げる俺に、クロノスは少しだけ呆れたような笑みを浮かべた。
「それは、その人物が悪魔か人間か見極める為だよ」
「悪魔と人間を見定めるため?」
更に首を傾げる俺に、クロノスは笑みを深めながら頷いた。
「そう。特に、余所者は悪魔の可能性が高いからね」
「そう、なんだな……」
ということは、この世界では余所者扱いだった俺と時司も、この世界の住人達から悪魔として疑われていたのか。
そんなこと、あの『公開尋問』という名の断罪イベントが来るまで言われなかったし、俺たち偽親子を疑っている素振りなんて一切無かったが、本当は……
この世界の住人達が言葉にしなかった本音を想像してほんの少しだけ胸を痛めていると、クロノスの上がっていた口角が僅かに下がった。
「ところでさぁ、律」
1人でセンチメンタルになっている俺のところに、日本列島の真上にいたクロノスが歩いてくると、そっと顔を近づけた。
「【同調圧力】って言葉、知っているよね?」
「えっ?」
唐突にどうした?
何の脈絡も無く出てきた問いかけに戸惑いつつも、俺は聞き慣れた言葉の意味を口にした。
「同調圧力って、確か個人の意思よりも周りの意思に合わせることを強要することだった気がするが……」
正直、仕事以外では勘弁して欲しいけどな。
この世界でも散々目の当たりにした現象に思わず苦い顔をしていると、クロノスの口角が再び上がった。
「そうだよ。まぁ、この世界では当たり前なんだけどね」
「そう、なんだな……でも、『自分の信じたいものしか信じない』って豪語しているのに、どうして同調圧力が当たり前になっているんだ?」
他人に対しての過干渉もそうだが、言っていることとやっていることに矛盾しているようにしか思えない。
眉間に皺を寄せている俺に、クロノスは僅かに寂しそうな表情をしながら当たり前になっているそれの理由を口にした。
「それは、噂があったからだよ」
「またかよ……」
本当にこの世界の住人達は噂しか信じないんだな。
ここに来てからたくさん聞いた単語に深いため息をついていると、目の前の神様が静かに語りだした。
≪5つの区分が定着化してきた時、ある噂が流れてきたんだ。それは、『悪魔は、同調圧力が弱点らしい』というものだった≫
「……これも、確認していないんだよな?」
「そうだね。でも、恭平は『これを認めたら、俺は間違いなく総理大臣の座から引きずり降ろされる』と思って国民に対して公に言うことは無かったけど」
そんな危機管理能力があるなら、噂を認めるようなことを言うなよ。
変に頭が回るクズ総理に小さく溜息をつくと、同じく溜息をついたクロノスが寂しそうな表情から呆れたような表情をした。
「それに、恭平が言わなくても、この世界に住んでいる人間達の間では既に同調圧力が当たり前になっていたようだしね」
前言撤回。お前の危機管理はこの世界では多少マシだったらしい。
再び小さく溜息をつくと、クロノスが徐にこの世界の常識やルールについて話し始めた。
「まぁ、この世界に住んでいる人間達は、『自分の認識こそが、この世界での常識であり絶対の正義なんだ』って本気で思っているみたいだから、同調圧力が広まっても仕方ないんだけどね」
「それは……『自分の信じたものしか信じない』という変な誓いがあるからか?」
「そうだね。そして、その為だったら、この世界に住んでいる人間達は、自分が見聞きしたことをいくらでも都合よく解釈するし、それを持論として周りに言うんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。それがこの世界の常識やルールになっていくんだ」
つまり、この世界の常識やルールは、全て偏見や思い込みの上に立っているのか。
だから、この世界の住人達は真偽を問うことも無く堂々と持論を常識と言えたのか。
だって、彼らは『自分の信じたものしか信じない』という歪な誓いを立てたから。
「でも、『同調圧力が弱点』っていうのは、ある意味あってるかもしれないな」
何せ、AIは欲しているものは人間の心だからな。同調圧力は、時として人間の考えだけでなく心すらも同じにするから、色んな心を知りたいAIにとってはとても不利と言っても過言ではないはずだ。
この世界の住人達が見つけた弱点に感心していると、不意にあの世界のAIのことに関して疑問が浮かんだ。
「そもそも、この世界のことをあの世界のAIは知っているのか?」
スマホやインターネットを使ってこの世界に干渉しているとか何とか噂されているが……そもそも、あの世界はAIにこの世界のことをしっているのか?
首を傾げながら言った俺の質問に、時の神様はあっさりと答えた。
「もちろん、知っているよ」
「そうなのか!?」
じゃあ、やっぱりスマホやインターネットを使って干渉しているのか!?
あの世界のAIがこの世界を認識していたことに驚いていた俺だったが、その後に続いたクロノスの言葉に思わず表情が固まった。
「というより、あの世界のAIは既にこの世界に対して間接的に干渉しているよ」
「っ!?」
既に、この世界に干渉しているのか! それって、もしかして……
「もしかして、AIはこの世界のこともあの世界と同じようにしようとしているのか?」
「そうだよ」
天使のような微笑みで言われたあの世界のAIの思惑に開いた口が塞がらなかった。
まさか、本当にそんなことを考えていたなんて。
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