29日目 決別と偏見⑤
これは、とある男の旅路の記録である。
「それにしても、この世界に住人達は、悪魔に関する噂なら何でも鵜吞みにするなぁ。『疑う』ってことを忘れたのか?」
まぁ、未知の存在に対しての恐怖心から鵜吞みにしたくなる気持ちは分からなくも無いが……それにしては、何でもかんでも鵜吞みにしすぎている気がする。
少々呆れたようにこの世界に来てからずっと思っていたことを口にすると、クロノスがあっさりと疑うことをしなくなった理由を教えてくれた。
「それは、この世界に住んでいる人間達が信じたいものしか信じないからだよ」
「えっ?」
信じたいものしか信じない?
予想外の答えに言葉を無くす俺に対し、時の神様はどこか寂しげな顔をしながら頭上にある無数の星々を見つめた。
≪AIの傀儡になった渡邊 翔太が全てを打ち明けた日。真実を知って翔太に対して激しい怒りを覚えたこの世界に住んでいる人間達は、翔太……というよりもAIから人間社会を取り戻そうと奮起した時にある誓いを立てたんだ。
『他人を信じることはやめよう。これからは、自分が信じたいものしか信じないようにしよう』ってね≫
「っ!?」
この世界の住人達が立てた誓いに絶句した瞬間、脳裏にある夫婦と交わした会話が蘇った。
『では、皆さんはおもちゃやゲームは、どうやって決めているのですか?』
『それはもちろん、自分の目で確かめます!』
『そうですよ! どこかの誰かが決めた古臭い基準なんかに頼るより、自ら足を運んでみた方が確実ですから!』
そうか、あの夫婦の言葉はこの偏った極論から生まれた誓いの上に成り立っていたんだな。
最初聞いた時は『何のための基準があると思っているんだ?』と思ったが……
若夫婦の言葉で絶句から立ち直った俺は、極論から生まれた誓いに異を唱えた。
「いくら翔太がAIの傀儡で動いていたことに怒りを感じていたとしても、そこまで思わなくても……」
「律」
大袈裟だと思っている俺の言葉を遮って俺の名前を呼んだクロノスは、星空に向けていた寂しそうな眼をそのまま俺に向けた。
「翔太が総理大臣になる前の世界を覚えている?」
「えっ……確か、荒廃した世界だったよな?」
「そうだね」
それと誓いにどんな関係が?
荒廃した世界と誓いの因果関係が分からず首を傾げる俺にクロノスは小さく微笑んだ。まるで『君のいた世界は平和だったんだね』と言わんばかりの優しい微笑みで。
「だから、疲れたんだよ……他人を信じることも他人に何かを委ねることも」
≪荒廃した世界で、国民達は傍若無人に振舞う権力者達や国を動かす者達に心底呆れ、生きる為に法を犯すことも生殺与奪も厭わなくなった。それでも……それでも、国民は心の奥で願っていた。
いつか、この状況を変えてくれる人間が現れることを≫
随分と他人任せのことを願っていたんだな、この世界に住人達は。
そんなことを思いつつ、俺は静かに拳を作った。
「まぁ、当時の国民に暴走した彼らを止める力は無かったし、自分の生活を守る為に必死だったから」
「それも、そうか……」
別世界から来た人間の俺には、荒廃した世界で生きた人達の苦悩や葛藤を想像することは出来ないから。
けど、そう思わないと生きていけなかった彼らの気持ちは、ほんの少しだけ分かる気がする。
作っていた拳にほんの少しだけ力を入れると、どこか寂しげな表情をしているクロノスを真っ直ぐ見た。
「それで、そんな時に現れたのが【渡邊 翔太】って有能な政治家だったんだな」
「そういうこと」
静かに頷いた時の神様は、翔太の偉業を目の当たりにした国民の反応を語りだした。
≪【史上最年少の内閣総理大臣】として国のトップとして立った翔太が、病魔として国に巣くっていた横暴な権力者達や国を動かす者達を全員追放し、国民を苦しめていた理不尽な法律は容赦なく廃案にすると、間を置かずに国民の為の法律を次々と成立させていった。そんな彼の姿は、正しく国民が願った人物そのものだった≫
「だから、国民……というより、この世界の住人達は翔太のことを信頼していたんだな」
荒廃した世界で生きていた国民にとって、翔太の登場はさながら暗闇に差し込む一筋の光のように思えたのだろう。
「そうだね。だからこそ、翔太が打ち明けた真実はこの世界に住んでいる人間達にとって裏切りとしか思えなかったのさ」
そう言うと、時の神様は再び星空に目を向けた。
≪今まで翔太が行ってきたことが全てAIの予測に基づいたものだと知った国民……この世界に住んでいる人間達はこう思ったらしい。
『やっぱり、他人を信じて委ねてはいけなかったんだ。他人を信じて全てを委ねてしまったから、いとも容易く人ならざる物にこの国の舵取り役を明け渡してしまった。だったら、今度は他人を信じるのをやめよう。そして、これからは自分を信じたいものしか信じないようにしよう。そうすれば、今まで以上に幸せな日常が過ごせる』と≫
「……1つ、聞いても良いか?」
この世界の住人達が極論に至った理由を何となく理解した俺は、今までの話を聞いた上でこの世界の住人達が取らなかった選択について聞いた。
「良いよ」
「どうして、この世界の住人達はAIに全て委ねることを拒んだ? この国の政治をAI委ねたのが不本意なのは分かったが、翔太に手を貸していたAIによって生殺与奪をしなくても良い世の中になったのは紛れもない事実だと知っているのに」
それは、この世界に来てからずっと胸の奥底にあった疑問だった。翔太の一件で、この世界の住人達が他人のことを信じられなくなったことは何となく分かった。
でも、それとAIを拒むのは話が別だと思う。悪魔云々のでたらめ話が出る前にAIに委ねる選択肢はあったはずだ。
でも、どうしてこの世界の住人達は揺るがない事実を目の当たりにしながらもAIに委ねることを拒んだ?
俺からの真剣な問いを聞いたクロノスが、視線を俺に向けるとそっと人差し指を顎に当てる仕草をした。
「それは、僕もよく分からないんだけど……部下が言うには『人間ではなくAIがこの国をより良くしたという事実を認めたくなかった』らしいよ」
「あっ……」
小首を傾げながら言われた答えに、俺の中にあった疑問が一気に腑に落ちた。
『お前たちのような人の心を機械に売り払った奴らに、これ以上人間社会の秩序がどうとか言われたくない!』
そうか、この世界の住人達は認めたくなかったんだ。荒廃した世界を救ったのが、人間ではなくAIだということに。
それを認めてしまえば、『人間はAI無しでは国を動かすことが出来ない』、『二度と人間が自らの社会を動かすことが出来ない』と思ったから。
恭平がAIのことを悪魔と認めたことも、それを噓と分かりつつも受け入れたこともそういう思いがあったからだろう。
だから、この世界の住人達は……
「人としての尊厳を守るためにAIによる統治を拒む選択をしたのか」
「だとしたら、この世界の住人達は、どうして長達が恭平を総理大臣として擁立したことや恭平がバカみたいな振る舞いをしたことを称賛したんだ? 自分の信じたいものしか信じないって言うなら、他人様のことなんて関心が薄いんじゃないのか?」
『他人を信じない』と誓った手前、他人であるはずの恭平を持ち上げるのは、あまりにも矛盾しているような……
誓いとは反することをしているこの世界の住人達に首を傾げると、ショタ神様が小さく笑った。
「それは、この世界に住んでいる人間達が『そっちの方が、都合が良い』と思ったからだよ。『それで国民の生活が守れるなら、それに越したことない』って」
恭平を持ち上げる理由が思ったよりもドライだったことに、危うく恭平のことを同情しそうになった。
「それに、この世界の政治は荒廃した世界程ではないけど、常に政治家同士で腹の探り合いをしているみたいなんだよね。だから、それを当たり前のように知っている国民は、政治家に対して過度な期待はしていないんだよ」
「うわぁ……」
この世界の政治家、国民からの信頼は皆無だよな。あと、この世界の総理大臣の支持率、絶対一桁な気がする。
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