28日目 犯罪と私刑①
これは、とある男の旅路の記録である。
『どうして、どうしてみんな賛同してくれないんだ!? 賛同すれば、この国の恒久平和は約束されたものなのに!』
この声……翔太なのか?
閉じられていた瞼をそっと開くと、そこには質の高い黒スーツを身に包んだおっさん達が翔太を挟んで左右に分かれて睨み合っていた。
そんな彼らの間に立たされている翔太が、自分のことを擁護しているのでおっさん達の集団を背に、自分のことを睨んでいるおっさん達をハイライトが無い目で見ていた。
この光景は何だ? 何かの暗示か?
そんなことを思っていると、左右に別れたおっさん達が口汚く罵り始めた。
『うるさい、売国奴が! たかが、AIごときにこの国の平和を任せるなんて正気の沙汰としか思えない!』
『しかし、この国の今日の平和があるのは、間違いなくAIの能力と渡邊首相の手腕のお陰でだと既に分かり切っているはずです!』
『黙れ、この裏切者どもが! お前たちのような人としての心を機械に売り払った奴らに、これ以上人間社会の秩序のことを言われたくない! なので、今日を以って機械に心を売らなかった私たちは、そこにいる機械の言いなりになっている愚か者から人間社会を返してもらう!』
『ですが、そんなことをすればまたあの混沌とした世の中に……』
『やかましい! あれは、己が欲望を制御出来なかった結末だろうが! それに、あの頃と今は違う! 私たち人間は、過去を振り返って反省出来る生き物だ。そして、私たちは過去から何かを得ることが出来る。だから、機械に心を売らなかった私たちが、人が人足りえる時代に倣って人間社会を再構築し、自らの手で人間社会を平和にしてみせる!』
「うっ、ううっ……」
おっさん達の口論から浮上した俺は、視界に映った青空を覆い隠すように片手を目の上に乗せた。
今のは、夢だったのか? それにしても、いい歳した大人同士で口論し合う光景が夢に出てくるなんてろくでもない夢だった。正に悪夢だった。
今まで見てきた夢の中で5本の指に入るくらいの悪夢に大きく息を吐くと、隣から聞き覚えのある声が聞えてきた。
「あっ、起きたみたいだね」
視界を遮っていた手を僅かに退かして声が聞こえた方に視線を向けると、澄み渡る青空を背に太陽のような笑顔を浮かべるクロノスが寝起きの俺を見下ろしていた。
「あぁ、クロノス。おはよ……ん?」
クロノスのいた場所の背景に違和感を覚えた俺は思わず首を傾げた。
ちょっと待て、どうしてクロノスの後ろに澄み渡る青空が広がっているんだ? それに、俺が起きた時に一瞬だけ木目調の天井じゃなくて同じ青空を見た気が……
視界に映った光景に思い出し血の気が引くのを感じた俺は、恐る恐る目の上を覆っていた手を外すと……そこには、雲一つ無い青空が広がっていた。
待てよ、この展開……覚えがある!
「もしかして……」
どこまでも澄み渡る青空に愕然としながら既視感を覚えた俺はゆっくりと下を見ると、そこには大小様々な家が建ち並ぶ住宅街が足元に広がっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
上半身だけ起き上がらせ尻餅をついた体勢でそのまま後ずさると、隣から呆れたような声が聞こえてきた。
「はぁ、初めてじゃないんだからいい加減慣れて欲しいもんだね」
「こんなの慣れねぇよ!?」
起きたら、室内じゃなくて空中にいる状況をどうやって慣れるっていうんだよ!
呆れ顔で無茶苦茶言うクロノスを鋭く睨みつけると、クロノスはそんな俺の顔を見て大きく溜息をついた。
「全く、僕の加護があるんだから、律が地上に向かって落ちるなんてありえないはずなのにどうしてそんなに驚くんだい?」
「起き抜けで空中にいたら、誰だって驚くだろうが!」
「そうなの?」
「そうなの!」
全く、人間の世界に来てから大分時間が経ったっていうのに、こういうところは相変わらず分からないんだな。
可愛らしく小首を傾げるショタ神様に大きく溜息をつくとゆっくりと立ち上がって大きく伸びをしながらここに来た理由を問い質した。
「それで、どうして俺を空中に転移されたんだ? クロノスのことだから、俺と仲良く空中散歩しながらこの世界を見て回るとかじゃねぇだろ?」
まぁ、そんなファンシーなものであれば願ったり叶ったりなんだけどな。
わざと的外れなことを言った俺に、クロノスは小さく笑みを零した。
「まぁ、律と一緒にこの世界を空中散歩するっていうのも、とても興味深いからやってみたいんだけど……今回は律にどうしても見てほしいものがあってね」
「何だよ? 見せたいものって」
あの世界で空中散歩した時は、パラレルワールドにいた俺の残酷すぎる処刑シーンを見させられたが。
あの世界で見た悲惨な光景を思い出しながら胡散臭そうな目を向けると、楽しげな笑みを浮かべたクロノスが真下にある建物を真っ直ぐ指差した。
「あれだよ」
「あれって……っ!?」
人差し指が一直線に示している方に視線を向けると、そこには随分前に訪れた図書館があった。
あれって、随分前に行ったところじゃないか。でも、あの時とは違って随分と大事になっているな。
思わず顔を顰めた視線の先には、赤ランプを点滅させた大勢のパトカーが図書館の本館前に止まっており、閉じられた図書館の門の前には大勢の人だかりが門の前に立っている警察官と押し問答をしていた。
「クロノス、これは一体?」
前に訪れた時とは明らかに異なる光景に啞然としながら視線を隣に戻すと、先程まで楽しそうな笑みを浮かべていたクロノスが無表情で一点を見つめていた。
クッ、クロノス……その顔って、まさか!?
既視感をある表情に顔を強張らせると、表情を無くしたクロノスが静かに口を開いた。
「律、この世界ではどういう人物が警察に【逮捕】ってやつをされるか覚えているかい?」
「えっ!? えっと……」
突然の問いに戸惑いながらも、俺は青空教室で教わったことをそのまま口に出した。
「たっ、確かあの世界の住人である『裏切者』とこの世界からあの世界に行こうとした『反逆者』だったよな」
どうして突然そんなことを……って!?
目覚めたら何もない虚空にいたことと無表情で足元に広がる光景を眺めるクロノスにあの世界で見たことを再び思い出した俺は、これから俺たちが目にするだろう出来事に言葉を無くした。
「なぁ、クロノス。もしかして……」
頼む、ただの俺の思い違いであってくれ。俺は、もうあの光景は見たくない。
祈るように声をかけた俺を一切見なかったクロノスが無慈悲に俺の祈りを裏切った。
「そう、もう少ししたら出てくるんじゃないかな……この世界の犯罪者が」
「くっ!?」
やはりなのか……
小さく唇を噛み締めながら視線を地上に移すと、図書館から犯罪者らしき人間が大勢の警察官に取り押さられながら出てきた。
やっぱり、そうだったんだな。
既視感のある男の恰好に大きく溜息をつくと、不意に聞き覚えのある声が耳に届いてきた。
『ねぇ、パパ! パパってば!!』
「っ!? この声って!?」
聞こえてきた声に驚きながら片耳抑えて図書館周辺を注意深く見ると、見覚えのある小学生らしき男の子が、図書館の入口付近で図書館の受付嬢らしき女性に取り押さえられながら、ボロボロと涙を流して警察官の集団に向かって小さな手を必死に伸ばしていた。
『ダメよ、行っちゃダメ!』
『だって、パパが! パパが!』
取り押さえられている受付嬢に涙でぐちゃぐちゃになった顔で切実に訴える男の子に、いたたまれない気持ちなった俺は目を逸らしてそのまま隣を見ると、無表情のクロノスがじっと図書館の光景を眺めていた。
「クロノス。お前にもこの声が聞こえているんだよな?」
「もちろん。だって僕、時の神様だから」
表情を一切崩さないクロノスに思わず奥歯を強く噛みしめた。
「だったら、お前はこれを見て何も思わないのかよ」
「思う? どうして、神様の僕が人間同士のことに何かを思わないといけないの」
「人間同士? お前……本気で言っているのか?」
怒りを凝縮した地を這う低い声で隣の神様を脅すと、こちらを一瞥したクロノスが地上に目を向けたまま興味なさげに呟いた。
「そう言えば、ここには人間に偽った僕がいたね」
「っ!? だったらどうして……!?」
怒り任せに小さな体に掴み掛ろうとクロノスに体を向けた瞬間、冷気を帯びた神様の声が俺の動きを制止させた。
「ここはね」
その声は、怒りで沸騰した俺の頭を冷やすには十分すぎた。
掴みかかろうとしていた手をそっと降ろすと、時の神様はどこか悔しそうな表情を滲ませながら、俺に今いる時間軸のことを感情が乗らない声で教えてくれた。
「僕が興味本位で律にこの世界の警察に捕まるように仕向けた時間軸なんだよ」
僅かに後悔を含んだ声で淡々と言われた事実に思わず目を見張ると、地獄絵図のような人々の声が濁流のように聞こえてきた。
『おい、放せよ! 時司! 時司!』
『パパ! パパ~!!』
『おい、大人しく捕まれ! この裏切者が!!』
『裏切者!? どうして俺が裏切者なんだ!? そもそも、裏切者って何だよ!?』
『うるさい! さっさと歩け! 裏切者!!』
『ご覧ください! 只今、勇気ある国民の通報と勇敢な警察官達によって、捕らえられた裏切者が今、パトカーに乗せられます! 裏切者が私たちの手によって捕らえられたのは、この国に突如として現れた悪魔が住まうピンクの歪なドームが確認してから初めてのことです! これから、政府関係者と警察主導による公開尋問が始まるということで、私たちも今から現場に急行したいと思います!』
『パパ~! パパ~!』
『時司! 時司~!』
大勢の人達によって引き裂かれた偽親子の様子を、俺はただ遠くから眺めることしか出来なかった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




