26日目 仕事と既視⑤
これは、とある男の旅路の記録である。
「お~い、渡邊! 注文頼む~!」
「あっ、はい!!」
この上司、酒が入ったことで俺のことを呼び捨てで呼び始めたな。俺、一応この会社の人間じゃねぇんだが。
アルコールで上機嫌になった上司から呼び出された俺は、溜息を飲み込みながら上司とその周りにいた社員達の注文を取ると、そのまま商売繫盛で大忙しの店員さんを捕まえて注文した。
クロノスに飲み会のことを連絡した後、俺は上司や他の社員達と共に上司行きつけの大衆居酒屋に行った。
何でも、この居酒屋は料理やお酒の種類が豊富で価格もリーズナブルな為、この国では台人気のチェーン店居酒屋らしい。
そんな人気店の店内に入ってすぐ、威勢のいい女性店員さんに大人数用の座敷席へと案内されて全員が席に着いた途端、上司が昼飯の時と同じように俺を指名し、上司命令で料理と人数分のビールを注文することになった。
何でも『昼もお前が注文したし、夜もお前が注文する流れだろ?』という理不尽極まりない理由で決まったのだが……そこまで、クソ上司を真似なくても良いのでは無いだろうか。
そんな頭の痛くなりそうなことを思いながら店員さんから料理とビールを受け取って全員に配り終えると、最初にビールが来た上司が上座から意気揚々と立ち上がるって乾杯の音頭を取った。
「みんな、いつも仕事ご苦労さん! みんなが仕事を頑張れば頑張るほど、みんなが会社に貢献しているから上司の僕としては鼻が高いよ! だから、今日はそんなみんなに僕自らが日頃の頑張りを労おう! 今日は無礼講だからね! 飲んで食べて疲れを癒してくれ! それじゃあ、かんぱ~い!!」
「「「「「「かんぱ~い!!!!!!」」」」」
声高らかに始まった飲み会を下座の注文が取りやすい場所から冷めた目で見ていた俺は、その光景に既視感を覚えつつ少しだけぬるくなってしまったビールを流し込んだ。
無礼講……か。果たして、この飲み会は本当に無礼講なのか? 少なくとも、俺が知っている会社の飲み会は無礼講とは程遠いものだったが。
元の世界での会社での飲み会と比較して感じた疑問は、飲み会が始まってから暫くして明かされた。
俺の抱いた疑問が明かされたのは、上司から注文を店員さんに伝え、座っていた場所に戻って残りのビールを飲み切った後のことだった。
しまった! さっき、どさくさに紛れて注文すれば良かった! あの上司の世話を焼いていたお陰で自分のことを疎かになっていた。はぁ……仕方ない、誰かのと一緒に注文するか。
小さく溜息をつきながら空のコップを持っている人を探そうと辺りを見回した瞬間、俺は妙な引っ掛かりを覚えた。
あれっ? よく見たら、ここにいる全員ビールかお冷しか飲んでないぞ。それに、テーブルの上にある料理だって上司が注文したものしか乗っていない。
『無礼講』とは縁遠い飲み会の様子に首を傾げた瞬間、脳裏に元の世界で参加していた会社での飲み会の光景が蘇った。
この光景、まるで元の世界での飲み会そのものだよな……まさか!?
初めてなのに既視感しかない飲み会の雰囲気に元の世界での飲み会ルールを思い出した俺は、恐怖から突然手が震え出した。
噓だ、そんなの嘘だ……だって、ここは未来の世界だぞ。そんなこと、あるはずがないじゃないか。
震える手を抑えてそっと目を閉じ、何回か深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、真実を確かめようと自分の鞄からスマホ……ではなくガラケーを取り出した。
そして、すぐさまメモ帳を開いて文字を打ち込むと、近くにいた男性の肩を叩いて座敷の下にあるガラケーの画面を見てもらうようにジェスチャーした。
『単刀直入に伺います。この会社の飲み会では、毎回上司が指定した料理や飲み物以外は注文してはいけないのでしょうか? 【はい】なら首を縦に、【いいえ】なら首を横に一回だけ降って下さい』
さっきまで隣の人と陽気に喋って笑っていた男性の表情が、ガラケーに視線を落とした途端真顔に変わり、文章を読み終えた男性と視線がかち合った。
頼む、首を横に振ってくれ。俺はこれをただの勘違いだと思いたいんだ!
祈るように男性のことを見ていた俺だったが、そんな俺の願いが虚しいものだと言わんばかりに、目の前の男性は表情を変えぬまま首を縦に一回だけ振った。
「やっぱり、か……」
男性の反応に、俺は喧騒の中で落胆の声を上げると大きく息を吐いた。
まさか、この理不尽極まりない飲み会ルールが適用されていたとは。あの上司、もしかするとクソ上司の子孫だったりするのか? どことなく容姿も似ているしな。
お誕生日席で、ご機嫌に大笑いしながら周りにいる綺麗で美人な女性社員達に話す上司を一瞥して再び大きく溜息をついていると、急に俺の肩が軽く叩かれた。
驚いて横を見ると、先程ガラケーの画面を見せた真顔の男性が今度は俺に視線を落とすようジェスチャーした。
どうしたんだ? 何か思い至ることでもあったのだろうか?
男性に向かって軽く頷いてそのまま視線を落とすと、男性のものらしきガラケーのメモ帳にさっき打ち込んだのであろう長文の文章が目に入った。
『あなたは、彼の為に頑張ってくれたので特別に教えますが、うちの上司は自称『居酒屋奉行』を名乗っていて、上司曰く『俺の注文した料理の飲み物に間違いはない!』と言って私たち部下の注文は一切取らせないんです。それに、上司の断りなしに私たちが勝手に注文した瞬間、上司から1時間以上の説教を受ける上に上司分の飲食代も払わされるんです』
うわぁ、マジかよ。理不尽にも程がある。
上司の横暴ぶりをガラケーを通して告白してくれた男性に深く感謝しつつ同情すると、ポケットに入れたガラケーを取り出してメモ帳を開き文章を打った。
『それじゃあ、飲み物がビールだけなのも上司の意向ですか?』
『はい。上司曰く『ビール以外の飲み物はありえん! それに、そっちの方が店側も片付けしやすいだろうが』と』
どんな理屈だよ! 単にビール以外の飲み物が高いから頼んで欲しくないだけだろうが! 料理だって、比較的安価なものばかり頼んでいたしな!
注文する際に見たメニュー表の内容を思い出して苦い顔をしていると、ふとある疑問を抱いた。
この店が上司の行きつけだとしたら、上司がこの店のメニューをある程度知っていて当然。だとしたら……
頭に浮かんだ疑問を確かめるように先程入力した文章から改行して素早く打ち込んだ。
『ちなみに、お支払ってどうしていますか?』
『もちろん、参加者全員で割り勘です』
『それって、上司も入っています?』
『そうですね』
男性の答えを見て、俺の中でようやく点と点が繋がり思わず小さく笑みを零した。
そうか。だから、上司は自ら『居酒屋奉行』と名乗って部下達に注文させなかったんだ……少しでも割り勘で支払う金を少なくするために。
『無礼講』と言いながら、実は全然無礼講じゃなかったケチ臭い上司に納得の笑みを浮かべると、ガラケーをポケットの中に入れて、不思議そうに小首を傾げている男性に向かって営業スマイルを浮かべた。
「ところで、あなたから見て上司ってどんな方ですか?」
突然の話題変更に男性は思わず目を見開き戸惑いつつも、少しだけ硬い愛想笑いを浮かべながら答えてくれた。
「そうですね……私は最近になってこちらの部署に配属されたので、よくは分からないのですが、とても有能な方だと思います」
「有能な方、ですか?」
あれが有能? 俺には、部下に仕事を押し付けることが上手い人間にしか見えないんだが。
店内に響く大笑いをする上司を一瞥して再び男性に目を向けた途端、男性の表情が愛想笑いから妙に興奮気味な笑みに変わっていて、今度は俺の方が目を見張った。
「はい! 何せ、今でも語り継がれる武勇伝の持ち主ですからね」
「武勇伝ですか?」
あのクソ上司の瓜二つとも言っても過言では無い上司の武勇伝とは?
思わず顔を顰める俺を気にすることなく、目を輝かせた男性が上司の武勇伝を語り始めた。
「何でも、上司は新卒で我が社に入社して1か月目で他の新入社員を差し置いて最初に契約を取ってきたらしいんです! そして、入社2ヶ月目には新入社員達の中で最初にノルマを達成し、入社3ヶ月目には新入社員で1番の売上を達成し、入社4ヶ月目には、社内で1番の売上をあげたらしいです! それに、入社して半年で大口契約を1人で取ってきたらしく、その年の社内賞を取ったみたいなんです! それから、入社して1年後には管理職になったようですよ!」
「へぇ~」
確かに、新卒で入社して1ヶ月目で契約取るなんてスゴイな! 元の世界で働いている会社に新卒で入社した俺でも、2か月ぐらいしてようやく初めて契約が取れたのに。
若くて綺麗な女性社員達を侍らせて上機嫌になっている上司と同一人物とは思えない彼の武勇伝に感心していると、上司を一瞥した男性の表情が優しい笑みに変わった。
「性格も……確か、上昇志向が強い人だと聞いたこともあります。私の前の部署の上司が、うちの部署の上司と同僚だったらしく、前の上司曰く『新入社員の頃から俺たち同期のことは最初から見下していたし、上の立場の人には媚売っている癖に下の立場の人には容赦が無い』と。一部では『未来の社長』って言われているみたいですよ。実際、私も上司と幹部達が仲良く話しているところは何回も見たことありますから」
「なるほど」
男性が上司に対して尊敬の眼差しを向けている横で、俺は今日お世話になった上司が典型的なクソ上司であったことを理解し、上司のことを冷たい目で見ていた。
人より上昇志向が強く、それ故にプライドも高く、付き合う相手も自分がのし上がる為なら容赦無く選ぶと……本当、何から何まであのクソ上司とそっくりだな。
ただの酔っ払いと化した上司に向かって小さく溜息をついていると、ふと上司のことをよく知っている男性のことが気にかかり、上司のことを心の底から尊敬しているような眼差しで見ている男性に声をかけた。
「ところで、最近配属された割には随分と詳しいんですね」
まぁ、この人自身があの上司のことを心酔しているだけなのかもしれないが。
再び営業スマイルで声をかけた俺に、男性は穏やかな笑みを浮かべながら話してくれた。
「まぁ、うちの上司は社内では知らない人がいないほどの有名人ですし、憧れの上司ナンバーワンですからね。それに、うちの上司の武勇伝は入社式の時に社長自らが語られますし」
「そっ、そうなんですね……」
あの上司が、憧れの上司……笑えねぇ。
思わぬ事実に乾いた笑いを漏らした俺は、再び羨望の眼差しで上司のことを見つめる男性から少しだけ距離を取ると、近くにあったお冷を空になったビールジョッキに入れて喉を潤した。
どうやら、この世界ではクソ上司は大変有能な人間として羨望の眼差しを浴びるみたいだな。
そんな俺にとって悪夢のようなことを思いながら、俺は異世界に来て初めて夜を明かした。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




