26日目 仕事と既視④
これは、とある男の旅路の記録である。
「それでさぁ、俺の若い頃は……」
すっかり冷めてしまった昼飯を気にすることなく上機嫌で喋る上司の独演会に俺はデジャヴを感じつつ、いつもの営業スマイルを貼り付けながら他の社員達と同じように適度に相槌を打って聞いていた。
まさか、こんなところもクソ上司と同じとは思わなかった。
上司が社員全員を連れて訪れたのは、会社からそこまで遠くない定食屋だった。
社員の後をついていくように店に入ると、営業スマイルを浮かべた女性店員が慣れたように大人数が入れる座敷に案内された。
初めて訪れる店で戸惑っている俺に比べ、他の社員達は動じることもなく次々と席に座っている。
社員達の様子からして、どうやらこの店は上司の行きつけらしいな。
そう言えば、あのクソ上司も部下をご飯に連れて行く時は、必ず自分が贔屓にしている和食店だったな。
元の世界でのことを思い出して比較的注文が取りやすい場所に座ると、上司が部下にメニュー表を一切見せることなくいきなり料理を決めた。
「よし、みんな揃ったな。それじゃあ、メニューはいつものやつで。渡邊君を待っていたお陰で時間が無くなってしまった。というわけで渡邊君、責任取って人数分のカツ丼を注文してくれ」
「えっ?」
上司からの理不尽なまでの注文決めと無茶ぶりに啞然としつつ、またもや感じてしまったデジャヴに思わず頭を抱えそうになった。
マジかよ、この理不尽さまでクソ上司と同じとか……この上司、実はクソ上司と血縁関係なのか? だとしたら、物凄く納得なんだが。
そんなことを考えていると、お誕生日席に座っている上司から注文の催促が来た。
「ほら早く、渡邊君!」
「はっ、はい! 分かりました! すみません、注文お願いします!」
思えば、元の世界で働いていた頃もこうやって上司からの無茶ぶりに何度となく応えさせられたな。もう数えるのも億劫になってしまうくらいにはこなした気がする。
元の世界で身につけてしまった臨機応変さに内心呆れながらも、大声で店員さんを呼んだ。
店員さんが来る間に近くにいた社員さんに上司の『いつものやつ』を教えてもらった。
そうして上司の独演会を聞いていると、さっき席を案内してくれた女性店員が注文を取りに来たので、上司が指定した料理と飲み物の注文をした。
「ところで、みんなお昼食べないの? もう少ししたらお昼休憩が終わるよ?」
俺が注文を終えたのと同時に始まった上司の独演会は、運ばれた時にはまだ温かったはずの料理がすっかり冷めきってしまってタイミングで終わりを告げた。
上司が小首を傾げると、俺とその場にいた社員達は揃って目の前にある冷めた料理を味わうことなく掻き込んだ。
こういうところもクソ上司と同じだな。まぁ、長い間クソ上司の下で働いている俺にとって、カツ丼を5分以内で完食出来るんだけどな。
そんな悲しい事実を思い出しながら完食すると同時に、他の社員達も全員5分以内に完食した。
ちなみに、最初に完食したのは上司だった。こういうところも(以下略)
「よし、みんな完食したね。それじゃあ、お会計は各自で済ませて。それくらい、みんな社会人なんだから当たり前のように出来るよね」
そう言って、高そうな長財布を持ってお会計に向かった上司の背中を見て、思わず溜息が漏れた。
あの、そんなところまでクソ上司に似なくても良いんですよ。本当。
キーンコーンカーンコーン!
「はぁ、終わった~」
就業時間の終わりを告げるチャイムがオフィス内に響き渡ると、完成した書類を保存して閉じると、凝り固まった肩をほぐそうと自席で大きく伸びをしながら首を左右に動かした。
とりあえず、大樹さんが今日中に終わらせないといけなかった仕事は全て終わった。
まぁ、途中で大樹さん宛の電話を俺が取ることになったり、大樹さんに確認しないと絶対進まない案件を上司から投げ込まれそうになったりしたが、元の世界で培った処世術が上手く活きたから何とかなったな。まぁ、一応引継ぎメモは書き残したが。
無事に与えられた仕事をやり終え、安堵の溜息をつきながらそっと周りを見ると、俺以外の社員達は全員パソコンに仕事をしていた。
そう言えば、元の世界にいた頃もこうして終業ベルをガン無視して仕事していたな。まぁ、大半はクソ上司から齎された仕事だったり、たらい回しにされた仕事だったりしたけどな。
「でもまぁ、今の俺には関係無いしさっさと退社するか」
残業確定の社員達に心の中で『頑張れ』と応援の念を送ると、目の前のパソコンの電源を落とすと机の上を綺麗に片付け始めた。
何度も言うが、今の俺はこの会社の人間じゃないから、仕事が終わったらすぐに帰宅したっていいのだ。
そうした方が、お互いの為にもなると思うしな。
さて、今日の晩飯は何にしようかな。昨日は、クロノスが気を利かせてデリバリーを取ってくれたから、今日は俺のお手製コロッケにポテトサラダにジャガイモ入り味噌汁のジャガイモ祭りでもしようか。
まぁ、本当は昨日作るつもりだったメニューだったんだけどな。
そんなことを考えながら片付けを済ませ、一刻も早く家路に着こうと席を立った瞬間、後ろから肩を軽く叩かれた。
ん? どうしたんだ? 俺の就業時間はさっき終わったんだが?
不審に思いながらそっと振り向くと、そこには下卑た笑みを浮かべた上司が立っていた。
「渡邊君、何処に行くのかね?」
俺、知っている。この笑顔を。
その笑みを見た瞬間、元の世界で備わった危険予知能力が久しぶりに発動した。
「ええっと、終業ベルが鳴ったので帰ろうかと」
「へぇ~、帰るんだ。まだ、一生懸命仕事をしている上司の僕や仲間達を置いて」
笑みを浮かべながら威圧するような言い方をする上司の言葉に、思わず口角が引きつった。
このやり取りも、俺は知っている。
元の世界で何度も見聞きしたり言われたりした言葉に、背中から嫌な汗が流れたのを感じた。
「あの……ご存知だと思いますが、この会社の人間では無いんですよ」
「うん、だからどうしたの? アイツの仕事が終わったから、自分の仕事が終わったとか思ったの?」
だからなんだろな、この先の展開が分かってしまったのは。
僅かに顔で近づけてくる上司の黒い笑みが、元の世界にいるクソ上司と重なった。
「そう、ですね。一応、そういうことでこちらにお世話になりましたから」
「そうなんだ。でもね、お昼の時も言ったけど、今の君はこの会社の人間なんだよ。だから……」
そう言って、上司は背中の後ろに隠していた大量の書類とファイルを何の躊躇いも無く綺麗にした机の上に置いた。
「君も、この会社の仕事をしなきゃいけないんだよ」
自分の仕事が終わったとばかりにひらひらと手を振りながら席に帰る上司の背中を見届けると、小さい溜息を落として席に座った。
分かっていた、あの上司が俺に自分の仕事を置いて行くことを。
「お~い、みんな! 今日の仕事は終わりにして、これから飲みに行くぞ~!!」
終業時間から約1時間後、上司から丸投げされた仕事を何とか全て終わらせたタイミングでオフィスの奥から上司の上機嫌な声が聞こえてきた。
「はぁ、何とか終わった。上司から押し付けられた仕事が、全てマニュアルや引継ぎ書に載っていた者だったことが幸いしたな」
予想したくなかった仕事量に疲れた俺は、綺麗にした机の上に突っ伏していると、またもや後ろから肩を軽く叩かれた。
全く、早く帰らせてくれよ……って、この流れなら恐らく無理だと思うが。
小さく溜息をついて営業スマイルで振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた上機嫌な上司が立っていた。
「おいおい、渡邊君。これくらいでへばっていたら、これから先やっていけないぞ」
おいおい、一体誰の所為でこんなことになったと思っている。
呆れたように肩を竦めるに上司に向かって乾いた愛想笑いを浮かべると、呆れ笑いをしている上司が小さく溜息を漏らした。
「全く、仕方ないね。上司である僕が労をねぎらえるようなお店に連れて行ってあげるから、渡邊君も他と部下達と一緒に行こう! 君もこの会社の人間であり僕の部下だからね!」
「あっ、あの……」
「それじゃあ、僕は先に行ってるから、渡邊君も急いで荷物を纏めて正面玄関に来てね!」
上機嫌に言いたいことだけ言った上司は、他の部下達を差し置いていの一番でフロアから颯爽と出て行った。
部下の話も聞かずに勝手に決める……本当、あの上司はどこまでクソ上司にそっくりだな。
そんな上司に小さく溜息をつくと、大樹さんのロッカーに置いてある通勤用鞄を取りに行こうと席を立った。
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