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26日目 仕事と既視③

これは、とある男の旅路の記録である。

 異世界に来てから初めて飲酒をした翌日、いつも通りの時間に起きた俺は、久しぶりに感じる出勤前の憂鬱な気持ちを抱えたまま朝飯を食べ終えると、先に食べ終わっていたクロノスが寝室から見覚えのある服を持ってきた。



「クロノス、これってもしかして?」

「【スーツ】ってやつだよ。この世界では、これを着ていかないと仕事出来ないらしいから律が寝ている間に部下が持って来てくれたのさ。一応、律が元の世界に着ていたものと同じようなものを用意したよ」

「そうか……わざわざ用意してくれてありがとう。部下の皆さんにも俺を言っておいてくれないか?」

「分かった」



 満足そうな笑みを浮かべるショタ神様から受け取ると、重い腰を上げてそのまま寝室へ逆戻りした。


 でも、まさかこの世界でも着て行くことになるとは。


 社会人になってからほぼ毎日着ている服を見て鬱屈としたものを吐き出すように深く溜息をつくと、渋々袖を通した。



「クロノス、お前の言った通り元の世界に着ていたのと同じでビックリした……ってクロノス?」



 ネクタイまできっちり絞めて寝室から出ると、リビングにはクロノスの姿が無く、小首を傾げながらあちこち探していると、玄関前で通勤用鞄を持ったクロノスが立っていた。



「やぁ、律。どうやら、僕の部下が用意したスーツは合っていたみたいだね」

「あぁ、着ていたのと同じサイズだし、色だって元の世界に着ていたものと同じでビックリしたぞ」



 上体を左右に捩じらせながら袖を通した紺色のスーツを見ている俺に、クロノスが小さく笑みを零した。



「フフッ、そうなんだね。それよりも、そろそろ行かないと間に合わないんじゃないのかな?」

「えっ、そうなのか!?」



 慌てて神様の加護が付与されている腕時計を見ると、今から家を出ないと会社に間に合わなさそうな時間になっていた。


 流石、時の神様。タイムキープはばっちりだな。



「本当だな。それじゃあ、行きたくないけど行ってくる」

「いってらっしゃい。靴も用意してあるから、それを履いてね」

「分かった。ありがとう」



 クロノスから通勤用鞄を受け取り、元の世界で履いていたような黒い靴を履いて家を出ると、そのまま地図を片手に重い足取りで歩いた。

 この世界の会社に行くことになったこの日、実は大型連休の中日だったらしく、目の前には元の世界で見慣れた慌ただしい朝の光景が広がっていた。


 未来の世界でも、平日の朝はこんな感じなんだな。


 元の世界ではすっかり見慣れてしまった光景に懐かしさを覚えつつ地図を頼りに歩いていると、目の前にそれらしき建物が見えてきた。





「ここか……」



 元の世界で勤めていた会社と似たような外観をしている建物に思わず苦笑いを浮かべていると、正面玄関の自動ドアが開いたのと同時に、俺の親父と歳が近そうなスーツを着た男性が駆け寄ってきた。



「律さん、遅いよ! もうすぐで始業時間だよ!」



 えっ、もうそんな時間が経っていたのか!?


 驚いて時間を確認しようとした瞬間、腕時計を嵌めている手首を勢いよく掴んだ男性が、俺を引っ張り込むように足早に会社の中へと入った。



「ほら、時間を気にしている余裕があるなら、さっさと仕事をして! 上司である僕が来た時点で()()()()()()()()んだからね!」

「えぇ……」



 俺を迎えにきた人が上司だったことに驚いたのと同時に、聞き覚えのある理不尽な言葉に軽く眩暈がきた。





「みんな、大樹君の代わりに来た律さんだよ」

「あぁ、どうも……」



 オフィスらしき場所の扉を勢いよく開けた上司は、勝手知ったる職場をズカズカと歩きながら俺の紹介を雑にすると、既に仕事を始めていた社員達の返事があちこち聞こえてきた。


 どうやら、上司の言ったことは本当だったらしい。


 既視感のある職場の雰囲気に乾いた笑いを漏らすと、上司がとある席の前で止まった。



「はい、これが大樹君の席だから、ここにある仕事を全部片づけてね」

「ぜっ、全部ですか!?」



 いやいや、絶対に無理だろうが!


 案内された席に積まれた大量の書類を見て驚きの声を上げる俺に、上司は当たり前だと言わんばかりに深く頷いた。



「そうだ。外資系企業に勤めている律さんならこのくらいの量、大樹君でも1日で片づけているのだから君だって出来るはずだ。それじゃあ、よろしく」

「ちょっ……」

「あと僕、彼の仕事よく分からないから仕事のことを聞かないでね。多分、彼の机を漁ればマニュアルか引継ぎがあると思うから、それを見ながら仕事をして」



 (この世界では)外資系企業に勤めているからって、俺と大樹さんを一緒にしないでくれ!


 話は終わったとばかりに俺にメモを渡して立ち去った上司に啞然としていると、近くで仕事していた社員が苛立ちを露わにしながら俺に指示した。



「ほら、さっさと仕事しろ。職場は遊び場じゃないんだから」

「あっ、はい……」



 社会人としての正論を言われて渋々返事をした俺は、大樹さんの席に座ると頼りない上司から渡されたメモに目を落とした。





 キーンコーンカーンコーン



「う~ん、とりあえず終わった~」



 お昼を告げるチャイムと共に慣れないデスクワークで凝り固まった体を解そうと大きく伸びをした。

 清々しい程のクズ発言と共に渡されたメモには大樹さんが今日済ませるはずだった仕事の一覧表が書かれていた。

 それと机の上にあったマニュアルを頼りに仕事を進めると、あっという間に任された仕事の半分を終わらせることが出来た。


 ふぅ、来る前はどんな仕事が振られるのかとても不安だったが、意外と何とかなったな。

 まぁ、クソ上司と似たようなことを言ったあの上司が言った通りになるのは癪だが。


 そんなことを思っていると、初対面に俺に遠慮なしに仕事を押し付けた上司が、部屋の奥からオフィス全体に響くような大声を出した。



「おい、みんな! 昼食べに行くぞ~!!」



 上司の声高らかな呼びかけに、職場のあちこちから疲れているような社員の返事が聞こえてくると、その場にいた社員全員が一斉に椅子から立ち上がった。


 ふ~ん、部下に仕事を押し付けるだけ押し付けているくせに、こういう時は上司らしく部下をご飯に連れて行くのか。

 まぁ、俺の知っているクソ上司も、上機嫌な時は『部下と親睦を深めたい』という名目で部下全員を無理矢理昼食に連れて行っていたな。

 あれは……正直、堪えた。主に『時間外勤務』って意味で。



「とは言っても、俺はこの会社の人間じゃないから関係無いと思うけどな」



 そんなことを口にしながら席を立ったその時、後ろから肩を叩かれた。


 ん? どうしたんだ?


 不審に思いながら後ろを振り向くと、そこには上機嫌な笑みを浮かべる上司が立っていた。



「やぁ、()()()。今日は()()()の代わりに仕事をしてくれてありがとう。お陰で大助かりだよ」

「あっ、ありがとうございます」



 あれっ、呼び名が変わってないか? というより、さっさとお昼に行った方が良いんじゃないですか? ほら、部下の皆様が全員揃ってあなた様を待っていますよ。


 妙に馴れ馴れしくなった上司に営業スマイルで答えつつ、強引に飲み込んだ本音を心の中で吐いていると、上司が俺の肩を無遠慮に叩いてきた。



「それでさぁ、渡邊君も一緒にお昼に行こうよ」

「ええっと、よろしいのでしょうか? 一応私、この会社の人間ではないのですが」



 正直、行きたくないんだが。


 上機嫌の上司からの突然の誘いに、困ったような笑みを浮かべながら遠慮がちに辞退しようとした。

 だが、そんな俺の態度に気をよくした上司がバシバシと肩を叩いてきた。



「おいおい、今の君はこの会社の人間で僕の部下だろ? だったら、僕が君をお昼に連れて行ってはいけない理由なんてないはずだ。それに、さっき大きなため息をついてたね。慣れない仕事に疲れちゃったんだ。だったら、上司である僕が部下の君を労わせてくれないかな」

「はっ、はぁ……それでは、僭越ながらご相伴に預からせてもらいます」

「うんうん、預かって頂戴!!」



 再び激しく俺の肩を叩いた後、更に上機嫌になった上司は意気揚々と部下達の待つ廊下に歩いて行った。

 その背中を見て小さく溜息をつくと、貴重品だけを持って足早に上司の後を追った。


 まさか、この世界でクソ上司の常套句を聞くとは思いも寄らなかった。



「というか……」



 フロアから廊下に出るドアを開けた瞬間、ふと立ち止まってフロアを見回した。


 他社勤務の人間に自社の仕事をやらせるとか、俺のいた世界ではよっぽどのことが無い限りありえないよな。

 こういう場合って、同じ部署……最悪同じ会社の人間が人員不足で生じた仕事をこなすものじゃないのか? いくら人員不足だからって、やっていいことと悪いことがあるだろう。それとも、この世界ではそれがまかり通っているのか?だとしたら……



「この世界のコーポレートガバナンス、一体どうなっているんだ?」

「お~い、渡辺君! 早くしないと、お昼終わっちゃうよ!」

「あっ、はい!」



 この世界の会社事情に首を傾げると、上司や他の部下達が待っている集団に合流する為にオフィスを出た。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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