26日目 仕事と既視②
これは、とある男の旅路の記録である。
「それで、大樹さんのお仕事って何ですか?」
「確か、総合職だって言っていました」
総合職か。ということは……
少しだけ考えこむと千尋さんに視線を向けた。
「大樹さんが言っていた『大事な仕事』とは、もしかして転勤を伴った仕事なのでしょうか?」
確か、総合職って俺のような一般職のサラリーマンとは異なり、会社の幹部候補として様々な仕事をこなす職業だと聞いたことがある。
その中には、転勤を伴うものもあるとか……正直、行きたくないが。
眉間の皺を僅かに寄せながらそんなことを思っていると、千尋さんが首を横に振った。
「いえ、本人は『自分は地域型の総合職』だから、転勤ではないと思います」
「そうなんですね。とはいっても、総合職はあらゆる仕事に精通する職業だと思いますから、私のような一介のサラリーマンでは無理かと」
辞退を示すように首を振り、そのまま持ってきたコーヒーに口をつける俺に、千尋さんは不思議そうな顔をしながら小首を傾げた。
「そうなんですか? 本人は『自分は名ばかり総合職だから、やっていることは一般職とそんなに変わらないよ』って言っていましたけど」
それ、会社側に問題がありますよね?
千尋さんの言葉に、危うく飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり軽くむせた。そんな俺にテーブルに置いてあった箱ティッシュを差し出した千尋さんは、そのまま俺に対して無茶なことを言ってきた。
「それに、律さんって『自分は一介のサラリーマン』って仰っていますけど、外資系に勤めていらっしゃるんですね? それでしたら、他社の仕事でも出来るんじゃないんですか?」
おいおい、外資系に夢を持ちすぎじゃないのか? それに、中身は本当にただのサラリーマンだからな。というか……
軽く頭をさげてティッシュでむせた時に零れてしまったコーヒーを拭き取ると、近くにあったゴミ箱に入れて再び千尋さんと向き合った。
「そもそもですが、他社で勤めている私が大樹さんの企業様に勤めるとは無理かと」
「えっ、どうしてですか!?」
目を見開いて前のめりになる千尋さんに思わず顔を引きつらせながら後ずさるように背中をのけ反らせた。
いや、どうしても何も……
軽く溜息をつくと前のめりになる千尋さんの肩を軽く押して椅子に座らせた。
「私が勤めている会社と大樹さんが勤めている会社とでは、企業形態が異なりますし業務内容も全く異なります」
つまり、今までコピー専門で売ってきた会社が、ある日突然ウォーターサーバー専門で売るようなものだ。
仕事を通して培ったノウハウでどうにか出来るとしても、それにも限界ってものがある。それに……
小さく溜息をついてコーヒーを飲むと、この世界における俺の立場を千尋さんに懇切丁寧に説明した。
「それに、先程から申し上げていますが私も会社に勤めている身。つまり、自分の仕事があります。ですので、大樹さんの仕事を請け負うのは無理なのです。お互いの会社にも迷惑がかかりますし、企業リスクの観点からして、出向でもない他所から来たサラリーマンが平然と自分の会社に立ち入らされるのは、会社からすれば多大なリスクを負うことになります。ですからで……」
「それって、律さんの持論ですよね?」
「えっ?」
今、この人何て言った? 社会人としての当たり前のことを言ったことが持論だと?
遮るように入ってきた言葉で呆気に取られていると、対面に座っている千尋さんの目が突然諌めるような目に変わった。
「ここに来る前にも言いましたが、夫から『律さんに任せて良いよ』という許諾も貰っていますし、夫が勤めている会社も『外資系に勤めている律さんならお願いします!』と言質は取っています。ですので、律さんがここで子どもみたいに駄々をこねても、既に決まっているんです」
大樹さんの会社がどうしてこの世界の俺が外資系企業に勤めていることを知って……って、それは大樹さんが会社を説得する時に言ったのだろう。
でも、既に決まっているってどういうことだ!? 駐車場にいる時は、会社に言質を取っていることも、既に決まっていることも言ってなかったじゃねぇか!
事後承諾とも取れる千尋さんの発言に愕然としながらも、俺は会社勤めのサラリーマンとして譲れないことを口に出した。
「ですけど、私は大樹さんから会社のことや仕事内容を聞いていませんし、私にだって仕事の都合がありまして……」
「そんなの、ご自身でやられて下さい。【リモート】って呼ばれる廃れたものを使ってお仕事されているのでしたら、そのくらいどうにか出来ますよね?」
「えっ?」
千尋さん?
急に態度が冷たくなった千尋さんに言葉を無くしていると、冷たい表情をした彼女が徐に立ち上がって蔑むような目で俺のことを見た。
「あと、仕事内容ですけど企業秘密なので明かすことは出来ません。そちらに関しては、明日会社に行けばどうにかしてくれるみたいですので安心してください。会社の場所でしたら、ここにメモがありますのでそちらに行ってください」
「そんな……」
そんな無茶ぶり、了承出来るわけ……
何とかして断ろうとした俺に、他人様の都合は全力で無視して大雑把に他人の仕事を押しつけてきた千尋さんが、空のコップを持って俺のところに来ると、そっと俺の肩に手を置いた。
「お茶、ごちそうさまでした。お陰で、落ち着きを取り戻せました。それじゃあ、仕事の件よろしくお願いしますね」
「…………」
話は終わったとばかりに満足げに笑う魔女は我が家のキッチンにコップを置くと、そのまま楽しく遊んでいるだろう子ども達を迎えに行った。
そんな魔女が帰っていく背中を、俺はただ見送ることしか出来なかった。
「律、どうだった?」
茫然自失になっている俺のすぐ横から金髪碧眼のショタ神様の気遣うような声が聞えてきた。
「あっ、クロノスか」
こいつがここにいるってことは、あの親子は本当に帰ったんだな。
小首を傾げるクロノスを見て、俺に無茶ぶりを言ってきた女のことを思い出して酷く怒りを感じていると、ポケットの中にあるスマホが突然鳴った。
なっ、何だ!?
慌ててスマホ取り出した瞬間、画面に表示された名前を見て危うく落としそうになった。
どっ、どうして俺のスマホにこの人の名前が……
愕然としている俺の横から画面を覗き込んできたショタ神様があっさりとした口調で種明かしをした。
「あぁ、本当に来たんだね」
「本当に来た?」
こいつ、まさか……
信じられないようなことをしたショタ神様を睨み付けると、視線に気づいたショタ神様が興味のなさそうな顔で俺の方を一瞥すると、着信音が鳴り続けているスマホに視線を戻した。
「そう。この世界では、どうやら【電話番号】ってやつを知っていないといけないらしいから、僕が神様の力で律のスマホにこの世界に住んでいる人間達の電話番号を登録したんだよ」
「お前、何てことしてくれたんだ!」
いくら神様でもやっていいことと悪いことがあるぞ!
デリカシー皆無なことをしたショタ神様に怒りを露わにすると、当の本人は肩を竦めながら酷くつまらなそうな顔をしながら口を開いた。
「だって、そうしないと僕たち【裏切者】って扱いになるよ」
「えっ!?!?」
この世界の住人達の電話番号知らないだけで裏切者扱いされるのか!?
時の神様から齎された事実に開いた口が塞がらないでいると、隣にいる彼が電話に出るように催促した。
「とりあえず、電話に出た方が良いんじゃない? 謂れのないことを疑われる前にさ」
「あっ、あぁ……」
確かに、長い時間電話に出ないのは社会人として失礼だよな。
社会人としての正論を言われて頭が冷えた俺は、大きく深呼吸すると通話のボタンをタップした。
「もしもし、大樹さ……」
『あぁ、律さん! 突然、仕事を任せてしまってゴメンね! でも、外資系企業に勤めている律さんなら大丈夫だよね! それじゃあ、明日はよろしくね! あと、違う会社だからって言って無断欠勤なんてことは絶対にしないでね。社会人としての信用を損なっちゃうから。じゃ!』
嵐のように電話が終わって静かにスマホを降ろした俺は再び大きく溜息をついた。
「社会人としての信用を損ねるようなことをしているのはどっちなんだよ……」
一方的に言われたお願いに持っていたスマホを強く握ると、隣にいるクロノスにやる気の失せた声でお願いを口にした。
「クロノス、ビール飲みたい」
「了解。【ビール】って飲み物は、確か冷蔵庫に入っていたからそのまま渡すね。あと、【デリバリー】ってものを使ってピザを頼むね」
「ありがとう……」
そそくさとキッチンに戻るクロノスの背中を見送ると深く溜息をついた。
その日、俺は異世界に来て初めて飲酒をした。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




