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26日目 仕事と既視①

これは、とある男の旅路の記録である。

「それじゃあ、後はよろしくね」

「はい!」



 元の世界で見慣れてしまった下卑た笑みを浮かべる上司に向かって爽やかな笑顔で綺麗にお辞儀をすると、そのまま振り返って『自分の席』と言われた席に戻った。


 クソッ、どうして俺がこんなことをしなきゃいけないんだよ!


 元の世界では暫く湧かなかった怒りの感情が久しぶりに込み上げてきそうになったのは、俺をこんな場所に送り込んだ奴のせいだった。


 どうして、俺はこの世界に来てもサラリーマンやらされないといけないんだよ。


 つきそうになる溜息を無理矢理飲み込むと、俺の親父が俺と同じ歳の頃に使っていただろうビンテージ物のデスクトップパソコンと向き合った。





 事の発端は、昨日の工場見学の帰りだった。


 子ども達の無自覚爆弾に見事打ちのめされた千尋さんと純粋無垢な子ども達と別れた後、楽しそうな笑みを絶やさない時司と一緒に工場見学を堪能し、見学し終えた人達の集う場所でお姉さんからお礼の言葉を聞いて見学者一行が解散した後、時司と仲良く車に乗り込もうとしたその時だった。



「律さん!!」



 悲鳴にも近い大声で名前を呼ばれて、思わず肩を震わせて急いで振り返ると、ガラケーを片手に息せき切ってこちらに走ってくる千尋さんがいた。


 なっ、どうしたんだ!? まさか、俺に子育てうんぬんに言われて逆ギレした勢いで警察に通報したのか!?


 握られているガラケーと千尋さんの鬼の形相に変な想像をして恐怖を覚えていると、走ってきた千尋さんが着いて早々俺の肩を強く掴んだ。



「律さん、先程のことは謝ります! だからお願いです!」



 鬼の形相かと思ったら実は涙に耐えた顔だった千尋さんから言われたお願いに、俺は絶句した。



「夫の代わりに仕事に行ってくれませんか!?」





「えっと……えっ?」



 大樹さんの代わりに俺が仕事に? この人は一体何を言ってるんだ?


 常識的とは思えない提案を聞いて言葉を無くしている俺に、千尋さんはまくし立てるように事の経緯を勝手に話し始めた。



「実はさっき、夫から高熱を出したと連絡があったんです! 一応、家にあった解熱剤を服用しているみたいなのですが、電話口で話す夫の様子からして今日の夜か明日には病院で診てもらおうと思ってるんですけど、そうなると夫の明日の仕事にどうしても影響が出てしまうんです! しかも、夫曰く『明日は、とても大事な仕事がある』とのことで、どうしても仕事に穴を開けたく無いんです! だから、外資系の会社に勤めている律さんに夫の代わりをして欲しいんです! 夫も『律さんなら良いよ』って許可を貰っていますし、会社の方にも既に伝えていて……」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってください!! とりあえず、落ち着いて!!」

「あっ、ごっ、ごめんなさい……」



 肩を強く握っていた手を無理矢理引き離した瞬間、正気に戻った千尋さんが途端に萎れてしまったかのように落ち込んでしまった。


 ふぅ、一先ず千尋さんの妄言は置いといて、とりあえず落ち着ける場所に移動しないと。

 俺たちいる場合が工場近くの駐車場とあって、工場見学終わりの大勢の参加者がこちらを見ているから、妄言の続きを聞くにしても人の目が多すぎる。

 それに、このまま話をしていたら妄言を聞いた誰かが悪意のある噂を流す可能性だってある。

 そうなると、蓮君と紬ちゃんにも良からぬ影響が出そうだから、ここではない場所で話さないと……って言っても、どこで話そうか?


 落ち着いて妄言を聞ける場所を探していたその時、聞き慣れた音が辺り一帯に響き渡った。



 パチン!!




 突然訪れたモノクロの世界に目を見張っていると、隣にいた時の神様が唐突にこんな提案をしてきた。



「律、落ち着いて話せる場所を探しているのなら、僕たちが住んでいる家に招こう」

「俺たちの家に……って、どうして俺がそんなことを考えているって知ってるんだよ!?」



 隣の神様に考えていたことを見抜かれて驚くと、隣の神様はクスクスと笑いながら自分の左手首をトントンと指差した。



「それは、合コンの時に僕があげた腕時計を律が後生大事につけているからだよ」



 そう言えば、そうだった。千尋さんの突拍子も無い提案に頭から抜け落ちていたが……まぁ、これのお陰で何度も助けてもらったんだけどな。


 つけている腕時計を一瞥して複雑な気持ちになっている俺にクロノスが提案の話の続きをし始めた。



「それに、律も知っている場所なら落ち着いてその人間の話を聞くことが出来るでしょ?」

「確かにそうかもしれないが……」



 白黒に染まった千尋さんの必死の表情ときょとんとしている2人の子どもの顔を見ると、クロノスに視線を戻した。



「そうなると、蓮君と紬ちゃんはどうしたら……」

「それだったら、僕が引き付けるよ」

「えっ、クロノスが!?」



 驚いて思わず後退る俺に、クロノスは自信に満ちたような笑みを浮かべた。



「うん、どうやら僕の擬態はこの世界では【好印象】って感情を持たれているらしいから、この2人の人間を引き付けるくらい造作もないことさ。それに、『高熱を出した』って人間は【安静状態】って状態に入っているらしいから家に招き入れても問題無いよ」

「まぁ、そこまでお前が言うなら……」



 余裕の笑みを浮かべるクロノスに渋々頷くと、時の流れが戻った世界で俺はクロノスが提案してくれたことを便宜上俺が考えたことにして千尋さんに提案した。



「とりあえず、家に来ませんか? ここだと、落ち着いて話が出来ませんし、大樹さんが薬を服用されているのでしたら、暫く容態は落ち着いていると思いますから」

「そっ、そうですね。では、ここはお言葉に甘えさせていただきます」



 申し訳なさそうに頭を下げる千尋さんの隣で、話を聞いていた蓮くんと紬ちゃんの目が一瞬で輝いた。



「ママ、今から時司君の家に遊びに行くの!?」

「うっ、うん……ちょっと、時司君パパと大事なお話をしないといけなくなっちゃったから」



 後ろめたい気持ちがあるのか曖昧な返事をする千尋さんとは裏腹に、事情をよく分かっていない子ども達の顔が一気に明るくなった。



「それなら、私たちも行く! 時司君、良いよね?」

「うん! 良いよ!」

「「わ~い! やった~!」」



 お友達と家で遊べることに大喜びしている子ども達に対して、大人達は互いに神妙そうな顔をしながら視線を合わせた。





「それじゃあ、パパが呼びに来るまでは自分のお部屋で蓮君と紬ちゃんと仲良く遊ぶんだぞ」

「分かった!!」



 千尋さん親子を家に招き入れると、時司はそそくさと我が家に(いつの間にか)あった大量のお菓子を蓮君と紬ちゃんと一緒に空き部屋もとい自分の部屋に持って行き、自分の部屋(これまたいつの間にかあった)たくさんのアナログゲームを部屋いっぱいに並べて、蓮君と紬ちゃんに何で遊ぶか相談していた。

 そんな時司に一声かけて部屋のドアをそっと閉めると、リビングに戻ってダイニングテーブルの椅子に憔悴しきった状態で大人しく座っていた千尋さんに声をかけた。



「……とりあえず、お茶、飲みますか?」

「あっ、はい。お願いします」



 一切こちらを見ようとしない千尋さんに小さく溜息をつくと、冷蔵庫から麦茶を取り出して2つのコップに注ぎ、そのままダイニングテーブルに持って行った。



「どうぞ」

「あっ、ありがとう、ございます」



 こちらに目線を一切合わせてくれないまま、差し出された麦茶を一口飲んだ千尋さんは、落ち着きを取り戻すように長い息を吐くと対面に座っている俺にゆっくりと目を合わせた。



「落ち着きましたか?」

「はい、みっともない姿を見せてしまい、すみませんでした」



 小さく謝る千尋さんに、人の良さそうな笑みを浮かべた。



「良いんですよ。それだけ、大樹さんのことが心配だったってことですよね?」

「はい、そうです」



 だとしたら、長居は無用だな。ここは、腹を割って聞いた方がお互いの為になる。


 緩やかに上がっていた口角を引き締めると、千尋さんに先程の話の続きを切り出した。



「それで、私が大樹さんの代わりに仕事に行ってほしいというのは、一体どういうことでしょうか?」



 俺からの真剣な問いに、千尋さんは一瞬呆けた顔をすると、そのまま小さく小首を傾げた。



「どういうことも何も、そのままの意味ですが?」



 どうやら、あの妄言めいたお願いは本気だったらしい。


 訳が分からないと言った顔を千尋さんに、思わず大きく溜息をついた。



「あのですね、千尋さん。そもそもの話なのですが、大樹さんがどんな仕事をしているのか私は分かりません」

「えっ、そうだったんですか? 既に知っているものかと思っていましたが」



 片手で数えられる程度にしか会っていない人の職業を知っている方がおかしいと思いますが。


 当然といった顔で俺のことを見てくる千尋さんに、出そうになった溜息を飲み込むと申し訳なさそうな愛想笑いで軽く頭を下げた。



「すみません、ここに来てから日が浅いものですから」

「そう言えば、そうでしたね! うちの子達と時司君が毎日のように遊んでいたので、てっきり、こちらに住み始めてから長いものだと思っていました」



 すみません、こちらに来て一週間ぐらいしか経ってないんです。それと、勝手な思い込みで人を判断するは止めた方が良いですよ。


 そんなことを思いながら、とりあえず大樹さんの職業を聞くことにした。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!


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