25日目 見学と家族(後編)
これは、とある男の旅路の記録である。
営業スマイルで反論する俺に、毒気が抜けたような表情をした千尋さんが大きく溜息をついた。
「なるほど、だからあなた方夫婦はそんなことが出来たんですね」
「そんなこととは?」
僅かに眉を寄せた俺を睨みつけた千尋さんが明後日の方向の結論を口にした。
「仕事の為に夫婦が別居するなんて選択を!」
「えっ?」
今の話を聞いて、どうしてそこに繋がった?
開いた口が塞がらない俺をよそに、千尋さんは再び熱弁を繰り広げた。
「良いですか! 子育てっていうのは、子どもが幼いうちは夫婦一緒にしなきゃいけないんです! 例え、お仕事が忙しいとしても、それはみんな一緒だから関係無いんです! だから、仕事を言い訳に幼い子どもに寂しい思いをさせるなんて言語道断! つまり、あなた達夫婦のやり方は子どもの気持ちに寄り添ったものじゃないんです!」
「それは……」
『子どもにとって一番多感で大事な時期に『仕事を理由に両親が別居』という大人の身勝手な事情を持ち込んでしまって良いのでしょうか?』
昨日、大先生から言われたことと似たようなことを鋭い眼光で睨み付けられながら言われ、思わず口を閉じた。
確かにそうかもしれない。それでも、俺の両親は俺と弟を立派に育てた! そんな2人の頑張りを他所の家族にとやかく言われる筋合いは無い!
それに、色んな家族の形があっても良いんじゃないのか! そうしたくても出来ない家族だって、世の中にはたくさんいるはずだ。だからこそ、親は子どもの為に色んなことを模索して、自分達の出来る範囲で子どもにとって一番良い方法を探すんじゃないのか!
俺の親父とおふくろがしてきたことが正にそうだ。仕事を忙しくしながらも2人の子どもを育てた両親を見て、俺は『子育てに正解なんて無い』ことを知ったのだから!
時司と繋いでいない手を強く握り締めて、濁流のように流れてくる怒りの感情に堪えていた時、隣から救いの声が聞こえてきた。
「でも僕、ちっとも寂しくないよ」
「時司!?」「時司君!?」
2人の保護者が驚いて時司の方を見ると、小さく口角を上げた時司が本音を口にした。
「確かに、パパとママが一緒にいないのは寂しいよ」
「「えっ!?」」
今お前、『寂しくない』って言ったじゃねぇか!
自分の言ったことをすぐさま否定する偽息子に思わず肩を落としそうになったが、その後に続く言葉に俺は救われたような気持ちになった。
「でも僕ね、ママがおじいちゃんの為に一緒お仕事をしているのを知っているよ。そして、ママが僕に寂しい思いをさせない為に毎日おはなししてくれることも知っているし、パパもお仕事忙しいのに僕の為に色んなことをしてくれていることも知っているよ。この前だって、僕がパパに『ご飯作りたい!』って言ったら、パパが『それじゃあ、パパとのお約束が守れるなら良いよ』って言ってくれたんだ!」
「えっ!? 時司君、ご飯作れるの!?」
驚くところそっちか。
啞然としている千尋さんとそれを見て内心で呆れている俺を気にしていない時司は、満面の笑みで大きく頷いた。
「うん! パパと一緒じゃなきゃダメだったけど、ママが作ってくれたお料理をパパと作れて楽しかった!」
「良いなぁ~。僕、お料理なんて作ったことが無いよ」
「私も。ママが『大きくなるまでダメ』って作らせてくれないんだよね~」
「そうそう」
不満顔の我が子に対して苦虫を噛んだような笑顔を浮かべる千尋さんに、時司が更に追い打ちをかけた。
「それに、僕には蓮君と紬ちゃんという大切なお友達がいるから、ちっとも寂しくなんてないんだ!」
「うっ!」
「時司君! それは僕だって一緒だよ!」
「私も私も!」
「わ~い! それじゃあ、みんな一緒だね」
親の手から離れてキャッキャッする子ども達に、完敗といった笑みを浮かべる千尋さんに対して、俺は片手で口元に手を当てると目を逸らした。
こいつが言っていることはまるっきり嘘だ。そんなこと、分かっている。でも、それでも……
『でも僕、ちっとも寂しくないよ』
満面の笑みで言われた言葉に、俺はガキの頃に抱いていた気持ちを思い出した。
あぁ、そうだった。確かに、両親揃って家にいるなんてことは滅多になかったし、それを寂しいと思ったこともあった。
でも、両親は俺と弟が寂しくならないように色々してくれたことも知っていたし、保育園や学校に行けば一緒に遊んでくれる友達がいた。
だから俺は、親父に中々遊んでもらえないことも、両親が揃って家にいないこともそんなに寂しいなんて思わなかったんだ。
そんなことを、まさか今になって思い出すなんて。
噓で塗り固められた偽息子の言葉に不覚にも涙が出そうになった時、隣から俺の服の袖を引っ張られた。
「パパ、どうしたの?」
そっと視線を前に戻すと、そこには小首を傾げて俺のことを見つめている子ども達3人の顔があった。
口元を覆っていた手をゆっくりと外して小さく笑みを浮かべると、子ども達3人の前にしゃがみ込んだ。
「いいや、何でもない。それよりも、蓮君と紬ちゃん。いつも時司と遊んでくれてありがとう。これからも時司と遊んでくれるかな?」
「うん、良いよ! 時司と遊びたいお友達、たくさんいるから!」
「本当?」
「本当よ! だから、時司君パパは心配しなくても良いからね!」
「あぁ、ありがとう」
任せてほしいと顔に書いてある偽息子の友達に笑いかけると、隣にいる偽息子の頭を優しく撫でた。
「時司も良かったな。ここでもお友達がたくさん出来て」
「うん! 僕、ここに来て本当に良かった!」
満面の笑みの時司の頭をクシャっと撫でると、ゆっくりと立ち上がってそのまま千尋さんに近づいて耳元で小さく囁いた。
「千尋さん、子どもは私たちが知らない間に大人になるんです。だから、大きくなっていく子どもと向き合うことも、立派な子育てでは無いでしょうか」
まぁ、俺は子育てなんてしたことが無いけどな。
耳元から離れると、うまく笑えていない顔で俺のことを見る千尋さんに小さく微笑んだ。そして、蓮君と紬ちゃんの方に軽く声をかけると時司と一緒に先に進んだ。
「ありがとう、時司」
「良いよ。僕はただ、パパの言葉を繰り返しただけだし。それに、あの人間が話していたこの世界における【子育て】ってものの考え方は、この世界では当たり前の考えみたいだよ」
「そう、だったんだな……」
小声で交わした後、俺たち(偽)親子は互いに小さく微笑んだ。
旅行25日目
今回は、千尋さん……というより、蓮君と紬ちゃんの突撃おねだりに負けて、時司と一緒にこの世界の工場を見学に行った。
この世界の工場は、俺のいた世界にあった工場とあまり変わりなく、見学用の大きな窓ガラスに張り付いてこちらを満面の笑みで見てくる時司に、幼い頃に家族で工場見学にいった在りし日を思い出した。
あの時は、弟と一緒に大はしゃぎして両親を困らせていた。
だが、今思えば、両親にとっては普段寂しい思いをさせている俺達が大喜びしている姿は何よりも嬉しかったのだろうか。
少なくとも、俺はそうあって欲しいと思う。だって、俺が時司を工場見学に連れて来て良かったと心の底から思ったから。
しかし、この世界では『子育ては両親が揃ってするもの』という固定概念が深く根付いているらしく、思わず『一体、何十年前の話をしているんだ!』とツッコもうとしたことは、ここだけの話としておこう。
それにしても……前々から思っていたがこの世界における常識ってやつが、どうも俺の生きていた時代より遥か昔のものを酷似しているように感じる。
俺のいた世界より遥かに先ある未来の世界なのだから、廃れてしまってもおかしくない考え方なのだが、どうしてこの世界では深く重んじられているのだろうか。
あと、この世界ではつまらない理由でガラケーが普及しているらしい。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




