24日目 演説と茶番②
これは、とある男の旅路の記録である。
「渡邊 律さんですね……はい、確認出来ました。では、空いている場所に座ってお待ちください」
「ありがとうございます」
体育館入口で本日2度目の本人確認を済ませ、営業スマイルを浮かべながら運転免許証を財布の中に戻して体育館の中に入ると、そこには既にたくさんの老若男女が体育館の床の上に座って、静かに演説が始まるその時を待っていた。
うわぁ、思った以上に人がいるな。見た限りでは、俺が座る場所が無いから……仕方ない、体育館の後ろの方で立っているか。既に何人か後ろの方でいるからな。
小さく溜息をつきつつ体育館の後ろの方に移動して、腕を組んで後ろの壁に背中を預けた時、開始合図のブザーが鳴った。
「皆様、大変お待たせ致しました! これより、我が地域の期待の新生、伊藤愛大先生の選挙演説を始めさせて頂きます!」
進行役の女性の高らかな開会宣言が響き渡った瞬間、体育館を揺らすような拍手と歓声に包まれ、思わず小さく肩を震わせた。
あの人、そんなに大人気の人だったのか!?
静寂に包まれていた会場内のボルテージが急に上がったことに気圧されていると、進行役の女性と目が合った。
「おやっ、後ろの男性の方? どうされましたか?」
女性の疑問を呈する声がこちらに向いた瞬間、歓声と拍手で包まれていた会場に再び静寂が訪れ、会場内にいた有権者の目が一斉に俺を見た。
怖い! 怖い! 怖い!
突如向けられた無数の嫌悪の目に内心で冷や汗を掻きつつ申し訳なさそう顔で頭を下げた。
「いっ、いえ。何でもありません。アハハ……」
最後に出た乾いた笑いが凍り付いた会場内に虚しく響き渡ると、進行役の女性のあっさりと声が響き返した。
「そうでしたか。それなら良かったです。ですが、今から伊藤愛大先生の選挙演説が始まりので、くれぐれもその邪魔はされないように」
「はっ、はい……」
あれっ? 俺、何か悪いことしたか? 突然盛り上がり場の空気に圧倒されていただけなんだが。
なぜ注意を受けたのかよく分からず内心で首を傾げながらも、威圧するような声と笑みに向ってもう一度頭を下げると、大きな咳払いと共に再び女性の高らかな声が辺り一帯を支配した。
「コホン! それでは、改めまして! 本日の主役にご登壇いただきましょう! これからの日本を背負えるのは、この人しかいらっしゃいません! 政界から今一番注文を集めている期待の新星にして、未来の内閣総理大臣! 伊藤 愛先生です!!」
大仰な紹介と再び沸き上がった歓声と拍手の中、未来の内閣総理大臣と言われた彼女は自信に満ちた笑顔で聴衆に手を振りながら舞台袖から現れてマイク前に立った。
「皆さん! 本日はお忙しい中、若輩者である私の演説の為に時間をさいてお越しいただき誠にありがとうございます!」
大袈裟なくらい綺麗にお辞儀をした彼女に拍手喝采が送られ、それを満更でもない笑みで受け止めた彼女は有権者に向かって更なる感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! 私、今日という素晴らしい日を迎えるまで『私のような政界の右も左も分からない若輩者が、果たして衆議院議員選挙に立候補しても良いのか?』と不安に駆られていました。皆様もご存じかと思いますが、私の両親はどちらも国内でもトップクラスの私立の難関校で理事長と副理事長をしており、私自身も難関大学の教育課程を主席で卒業した後、両親がいる学校で教鞭を取っていました。その時の私は、生徒達や先生方に保護者の皆様からとても親しまれていました。しかし、それが果たして有権者の皆様にも受け入れてもらえるかとても不安でした。ですか……」
一呼吸置いて体育館中を見回した大先生は、不安げな表情から再び満面な笑みを浮かべた。
「今、この場に立って思いました。『私は、こんなにもたくさんの有権者の皆様の期待を背負っている』ことを。思えば、私が今回の衆議院議員に立候補したのは、今の日本に不満を抱いた私のことを、当時教鞭を取っていた学校の生徒達・先生方・保護者の皆様が共感してくださったからでした。そんな方々と私の【政界進出】という決断を全力で応援してくれた両親の力を借り、私は地道な選挙活動をこなし続けました。その結果、この場にはたくさんの皆様が私の為に集まってくださいました。本当にありがとうございます!」
演説開始数分で涙を浮かべる大先生に、有権者から惜しみない拍手が送られた。中には、彼女の涙にもらい泣きした有権者がいたが……恐らく、彼女が言っていた『自分の思いに共感してくれた人』なのだろう。
一見、自分を支持してくれた有権者に対して感謝の言葉を述べているように見える大先生の挨拶。
でも、それを後ろの方で冷静に聞いていた俺には、なぜだか自己主張が激しい挨拶のように聞こえてた。
彼女、お淑やかに見えて実はプライドが高い人なんだろうな。
あ~あ、俺のいた世界で同じ演説をしたら間違いなく有権者から総スカンを食らいそう。
彼女のマイクパフォーマンスに内心で呆れながら壇上を見ていると、ポケットから取り出したハンカチで目元を覆った大先生が再びマイク前で口を開いた。
「皆様、温かい声援と拍手ありがとうございます。私は本当に幸せ者ですね。そんな皆様に愛されている私が本日演説するのは、この国の現状についてです!」
おっ、やっと演説が始まるのか。前説が長かった気がするけどな。
そう思いながら壇上にいる彼女を伺うと、そこには先程まで浮かべていた笑みを潜めて、物音ひとつ立てることも許されない静けさが漂う会場を真剣な表情で見つめている立候補者がいた。
「皆様は、ピンクのドームをご存じですよね! そう、平和な私の生活に突如として現れたあのピンクのドームです! 私たちから平穏な日常を奪ったあのピンクのドームは、私たちにとって憎き敵と言っても過言ではありません! そして、今でもあのピンクのドームは、私たちの日常に多大な影響を及ぼしています。その影響は、ピンクのドームを知っている私たちなら言わずもがなだと思います。私たちに害しか与えないピンクのドーム! 未来のある子ども達の為にも、あのピンクのドームは何としても取り除きたい!」
拳を作って力強く演説する大先生の言葉に多くの有権者は理解を示すように深く頷いたが、俺はその言葉に感心したように頷いた。
えっ、あのドームってこの世界にそれほどの多大な影響を及ぼしていたのか? 帰ったらクロノスに聞いてみるか。
「ですが! そんな我らが敵についてですが、つい最近とある事実が発掘されたのです!」
大先生が『言わずもがな』で省略したところについて、帰ったらゲームしてるであろう時の神様に聞こうと固い決意を心の中でしていると、大先生の自信に満ちた声が聞こえてきた。
あっ、これってもしかして、昨日言ってた戯言か。
そんなことを思っている俺を置いていくように会場内に動揺が走る中、大きく深呼吸した大先生はその事実を口にした。
「それは……あのピンクのドームには、我らと同じ国民が捕らわれていることです!」
彼女の言葉に会場内にいる有権者達が静かにざわついていると、大先生はそんな様子をものともせずしない演説を披露し始めた。
「皆様が、動揺するのも無理はありません。この私自身も、つい最近までその事実に驚きを隠せませんでしたから。ですが、これは事実です。あの中には善良な国民が無差別に捕らわれているのです!」
『無差別』という言葉に有権者達から次々と悲鳴が上がった。
まぁ、無差別に見知らぬ場所に捕らわれるなんて知ったら悲鳴も上げたくなるよな。
でも、昨日の先生曰く、あのピンクのドームにはこの世界の犯罪者達が連れて行かれるはずだ。だとしたら、『無差別に捕らわれる』のは明らかに違うんじゃねぇのか?
それに、あの中にいる人達がこの世界に来たら『裏切者』として警察にしょっぴかれるんだったら、どうしてそんな奴らを『善良な国民』なんて言うんだ?
悲鳴を上げた有権者に同情しつつカオスな状況になった演説会場で、昨日と少し違うことを言っている彼女に思わず顔を顰めると、そんなちぐはぐなことを言った大先生が、動揺の収まる気配の無い会場内を力強い言葉で支配した。
「どういった経緯であのピンクのドームに人々が捕らわれているのか、現在国をあげて調査をしています! ですが1つだけ、確かなことが言えます!」
ざわついていた会場内が彼女の言葉で静けさを取り戻すと、一呼吸置いた大先生は拳を作って張りぼての事実を口にした。
「それは、あのピンクのドームには悪魔が住んでいるということです!!」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




