24日目 演説と茶番①
これは、とある男の旅路の記録である。
思えば、俺が未来の世界を訪れてからこういう場所に来るのは初めてだった。まぁ、俺があの場所に行くことになったのは、爽やかな朝の終わりを告げる音がきっかけなんだけどな。
ピンポーン! ピンポーン!
「律」
「あぁ、分かったよ」
またかよ。今、クロノスが頑張って作ってくれたチャーハンを食べている最中なんだけどなぁ。
対面に座っている紺碧の瞳と目配せした俺は盛大に溜息をつくと、のろのろと椅子から立ち上がり重い足取りで玄関に向かった。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
ハイハイ、聞こえているからそれ以上はやめて。インターホンが壊れるから。
朝から騒がしい呼び鈴の音に再び盛大な溜息をつきながらもいつもの営業スマイルを瞬時に作ると玄関ドアを開けた。
「はい、何でしょうか……」
「遅い!!」
玄関ドアを開けると、そこには何時ぞやのご近所マダムが大層ご立腹な顔をしながら仁王立ちしていた。
「あの、すみませ……」
「全く、今日は何の日か知ってるの!?」
またこのやり取りかよ。そんなの、この世界に来たばかりの俺が知るわけ無いだろうが。
お怒りぎみのマダムから投げられた質問に答えを持っていない俺は、申し訳なさそうな顔をしながら頭を掻いた。
「申し訳ないのですが、存じ上げな……」
「やっぱり! そんなことだろうと思った! 全く、仕事と子育ての両立が大変なのは分かるけど、それはみんな一緒なんだからね!」
「はぁ、すみませ……」
「それよりも、これ! 今日は、伊藤愛先生の選挙演説なんだから、必ず参加するように!何せ、伊藤先生はこの地域で生まれ育った素晴らしい人物なんだから、彼女の新しい船出を地域全員で応援しないといけないからね! それじゃあ、忘れずに来くるのよ!!」
捲し立てるよう言って帰って行ったご近所さんを啞然とした顔で見送ると、そのまま強引に押し付けられたチラシに目を落とした。
「『伊藤愛先生』って……昨日青空教室で教えていた人か」
まぁ、あれは授業っていうより講演会だったけどな。
昨日のことを思い出して苦笑いを浮かべつつ【この日本に、本当の平等を!】というスローガンに自信に満ちた表情でガッツポーズをする青空教室の先生が映ったチラシから目を離すと、そっと玄関ドアを閉めた。
「おかえり、律。どうだった?」
リビングに戻ると、朝飯を食べ終えたクロノスがソファーに寛ぎながら据え置きゲームで遊んでいた。
「ただいま。今回も朝から理不尽に怒鳴り散らされながら、こんなものを渡されたよ」
「ん? 何これ?」
ゲーム画面をポーズ画面にしたクロノスが、ソファーから降りてダイニングテーブルの上に置いたチラシを手に取った瞬間、可愛らしい眉が少しだけ寄った。
「選挙演説のお知らせだ」
「選挙演説?」
チラシから目を離したクロノスが俺の方に小首を傾げた。
「選挙の立候補者が自分の掲げる公約や抱いている抱負を有権者に訴える演説のことだ」
「へぇ~、でもどうしてそんなことをするの?」
「そうしないと有権者から多くの支持が貰えないからだ。選挙っていうのは、簡単に言うと国を動かすのに相応しい人物を選ぶものなんだ。だから、多くの有権者から支持を得ないと国を動かす立場に立てないんだ」
「ふ~ん、多くの人間達から【支持】ってものを得られないとその立場に立てないんだね」
「まぁ、それだけ俺たち人間にとって重要な立場だってことだ」
だからこそ、大学院卒業して1年後で衆議院議員になった翔太の凄さがより分かるんだけどな。
俺の説明に納得したように頷いたクロノスが再びチラシに視線を落とした。
「それで律、その【選挙演説】ってやつには行くの?」
「行くも行かないも、あの剣幕で『来い!』って脅されたんだから行くしかないだろう。まぁ、本当は行きたくないけどな。俺、この世界の人間じゃないから関係無いし」
「そうだね。でも、行ってくれば? この世界の【選挙】ってやつがどんなものか、この世界の人間じゃない律だからこそ行く価値があるんじゃないかな? まぁ、残念ながら僕は【有権者】って者じゃないから、今回は律と一緒に行くことは出来ないんだけどね」
「えっ?……あぁ、本当だ」
クロノスが持っているチラシに目を落とすと、そこには【有権者限定!!】と大きく記載されていた。
「なぁ、クロノス。この世界では何歳から有権者になれるんだ?」
チラシから隣にいるクロノスに視線を移すと、チラシを持ったまま視線を外したクロノスが考え込むように少しだけ顔を上げた。
「え~っと、ちょっと待ってね……あっ、20歳からみたいだよ」
「20歳から!? 18歳からじゃなくて?」
「うん。それも、翔太が総理大臣を辞任した後に20歳からになったらしいよ。ちなみに、律のいた世界では18歳からだったの?」
「あぁ、そうだな。確か、法律が改正されて18歳に引き下げられたはずだ。でも、確か俺の親父が俺と同じ30歳だった頃に法改正されたらしいから、この世界からすればそれなりに昔の出来事になんだが……」
ここって、未来の世界だよな? それなのに、どうして親父が若い頃に適用されていた法律が再び適用されているんだ? それも翔太が総理大臣を辞任してからって……あっ
未来世界の現行法に首を傾げると、不意にこの世界に来てからずっと引っ掛かっていることあることを思い出した。
「そう言えば、この世界に来てからスマホを使っている人を見た覚えがないな」
「スマホ?」
「ほら、お前がナビをする時に使っているやつだよ」
ポケットからスマホを取り出してクロノスに見せると、隣の神様が思い出したかのように頷いた。
「あぁ、これね。ちなみに、これってナビ以外の用途ってあるの?」
「もちろん。電話したり、インターネットを使ったり、動画を見たり、ゲームをしたり、音楽を聴いたり……色々と便利な機能が搭載されているんだ」
「ふ~ん、まるでライフウォッチみたいだね」
「確かに、そうかもしれないな。でも、こいつに『注文』って言ったところで何もないところから物体は出ないぞ」
まぁ、音声検索に引っかかりはするかもしれないが……それにしても、この世界に来てからこれを使っている人間を見かけたことが無いな。
まぁ、単に俺がスマホを使っている人間に遭遇していないだけなのかもしれないが。
「それよりも、律。そろそろ行かないと、【選挙演説】ってものが始まるんじゃない?」
「えっ?……あぁ!!」
お知らせに書かれていた開始時間とスマホに表示されている時間を見比べると、そろそろ家を出ないと間に合わない時間になっていた。
慌てて残りのチャーハンを平らげ、そのまま寝室に戻り外出用の服に着替えて貴重品をズボンのポケットに突っ込んで足早に玄関に向かうと急いで靴を履いた。
「クロノス、悪いが俺が家を出た後に鍵を閉めてくれないか? あと、掃除を頼んでも良いか? 洗濯は俺が帰ってきた後にやるから」
「分かった」
「ごめんな! それじゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
玄関まで見送りに来たクロノスが持っていたチラシを受け取って、慌ただしく家のドアを開けてスマホの地図アプリを立ち上げるとそれを頼りに勢いよく駆け出した。
「はぁ、はぁ、はぁ……何とか着いたぞ」
地図アプリを頼りに選挙演説が行われる小学校の正門前に辿り着き、大きく深呼吸して乱れた息を整えると、昨日と同じように正門前にある受付に足を運んだ。
急いでいたからお知らせに記載されていた場所をそのまま地図アプリに入力して、それを頼りに来たんだが……まさか、昨日と同じ場所だったとは。
演説会場が昨日訪れた場所だったことに心の中で安堵しつつ、受付で自分の(偽の)運転免許証を提示し、名前の記入欄に自分の名前を記入すると、営業スマイルの受付のお姉さんが記入した名前と運転免許証を見比べた。
「渡邊 律さんですね……はい、確認出来ました。では、演説会場である体育館にお進みください。その際、体育館入口で再び本人確認をさせていただきますので、先程提示していただいた身分証明書がすぐに出せるようにしてください」
「分かりました。ありがとうございます」
へぇ~、体育館でも身元確認するのか。この世界の選挙演説って、随分とセキュリティが固いんだな。
そんなことを思いつつ返却された運転免許証を上着ポケットに入れて営業スマイルでお礼を言うと足早に正門をくぐった。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




