23日目 授業と虚偽②
これは、とある男の旅路の記録である。
「時司。受付済ませたから蓮君と紬ちゃんと一緒に行ってきて良いぞ~」
「わ~い! パパ、行ってきま~す!」
受付を済ませて戻ってきた俺に満面を浮かべた時司は、先に行ってしまった蓮と紬を追いかけるべく駆け足で正門を通ると、正門近くで待っていた蓮と紬に合流して、3人で仲良く追いかけっこをするように校舎へと走って行った。
「本当、子どもって朝から元気だな」
朝から校庭を全力ダッシュとか、今の俺には絶対無理だろうなぁ。
「フフッ、そうですね」
俺の呟きが聞こえてしまったのか、子ども達と一緒に先に行ってしまったかと思っていた千尋さんと大樹さんが正門前で苦笑いを浮かべながら立っていた俺のところに来た。
「おや、先に行かれていたのでは?」
「そうしたかったのですが、旦那が『どうせなら、律さんと一緒に行っても良いんじゃないか』と言い出して」
「まぁ、ご実家の都合でこちらに帰ってきた律さんにとって、日本の学校も随分と久しぶりだろうから、迷ってもいけないだろうと思い」
「そうでしたか、それはとても感謝します」
まぁ、俺の場合はこの世界の住民でも無いんだが、この世界の学校のことを知らない俺にとってはありがたい気遣いだ。
そんなことを億尾にも出さずに正門前に立っていた保護者3人は、ゆっくりとした足取りでこの世界の学校の正門をくぐった。
「へぇ~。じゃあ、今はリモートを使って在宅勤務をさせているんだ」
「そうですね。会社も『それなら構わない』と言ってくれましたし」
校舎に向かう道中、俺は大樹さんから繰り出される質問に営業スマイルで答えていた。
どれも、クロノスから事前に言われていた設定だったので難なく答えられたが……そこまで他人のプライベートを根掘り葉掘り知りたいのか。
仕事や家庭のことだけでなく俺自身のことを聞かれ、内心でうんざりしていると今度は大樹さんの隣にいた千尋さんから質問が飛び出てきた。
「ちなみに、奥さんはこのことはご存知なんですよね?」
「えぇ、もちろん。そもそも、彼女から『リモートでお仕事って出来ないのかな?』って何気なく呟いたことがきっかけなんです。その時に私にとっては目から鱗だった方法だったので、ダメもとで会社に提案したら、あっさり了承を頂いたんです。本当、彼女には頭が上がりません」
「へぇ~、そうだったんですね」
ちなみに、これも昨夜にクロノスが教えてくれた設定である。
頬を軽く掻きながら照れたように笑う俺とは反対に、千尋さんと大樹さんは何かを諌めるような目を向けながら黙って聞いてた。
さっきも思ったが、どうしてそんな目をするんだ? 受付をしている時も、俺が1人だけだと分かった瞬間、受付の人から一瞬だけそんな目で見てきたが。
2人の様子に首を傾げそうになった瞬間、大樹さんが静かに口を開いた。
「なぁ、律さん」
「はい、何でしょう?」
急に真剣な表情なった大樹さんに、俺は戸惑ったような顔を彼と目を合わせた。
「あんた、奥さんに不満とか無いのか?」
「えっ?」
大樹さんからの突然の問いに、思わず素が出た。
不満も何も、俺の奥さんは時の神様とその部下達が作ってくれた架空の存在だから、そもそも不満なんてものはない。
そんなことを考えていると、急に黙りこくった俺を何かと勘違いしたらしい夫婦が、校庭の真ん中を通り過ぎたタイミングで口が回った。
「だって、子どもの折角の晴れ舞台に仕事を理由に来れないなんておかしいだろうが!」
「そうよ! 律さんだって仕事があるはずなのに、時司君の為の時間を作ったのに自分はその時間さえ作れないなんて……そもそも、子育ての一切を全て律さんに任せるなんて!」
「そうだ! 子育てとは、夫婦が一緒にしていくはずのものなのに、仕事を理由にそれを放棄するなんて信じられん!」
「本当よ! お仕事が大変なのは重々承知しているけど、だからって妻として母親としての仕事を押し付けるなんて、子どもが可哀想なんて思わないのかしら! 夫に全てを押しつけて子どもに寂しい思いをさせるなんて奥さん失か……」
「あのっ!!」
2人の会話を遮るように大きな声を上げると、声に気づいた2人が討論を止めてゆっくりと俺の方を見た。
そうだ、こいつらが貶めているのは俺の架空の奥さんだ。俺自身のことじゃなく、いるはずもない見ず知らずのやつのことだ。だから、こいつらが勝手に言ってることなんて適当に聞き流せば良い。どうせ、実在しない人物のやつのことを言っているのだから。
だけど、それでも……
大きく深呼吸すると、こちらを見ている2人に営業スマイルを向けて感情的にならないように穏やかな口調を意識しながら口を開いた。
「確かに、お2人が仰っているのは最もだと思います」
「そうですよね! でしたら……」
「ですが!!」
そう、これはあくまでも架空の奥さんの話。だから……
勝ち誇った笑みを浮かべる千尋さんの言葉を遮ると、立ち止まってもう一度大きく深呼吸をして驚いている2人に優しい愛想笑いをした。
「これは、妻が私の父を助ける為に選んだことなのです」
「「あっ……」」
言葉を無くした2人に優しく微笑みかけると、俺は静かに語り始めた。まるで、本当に奥さんのことを話すように。
「私から『父が倒れた』と聞いた時、妻は真っ先に『私がお義父さんの看病に行きたい!』と言い出したのです。もちろん最初は反対しました。『時司のことやお互いの仕事のこともあるから、父のことは病院に任せればいい』と。しかし、妻は私に『私は、大切な人を救えるチャンスをふいにしたくない!』と力強く言ったのです。確かに、今の状況は時司にとって良くないのかもしれません。今の時司の年頃だと、何かと母親に甘えたいことがあると思いますから。ですが、私は彼女の『父を助けたい』という純粋な思いに負けてしまいました。妻の『父を救いたい』という思いが痛いほど伝わってきました。ですから、父の入院先で人員を募集してることを知って、妻が勤めていた病院と話し合って『人員派遣』という形でこちらの病院に勤めることを止めませんでした。むしろ、彼女の選択に私は感謝しかありません。それに……」
そっと校舎の方に目を向けると、教室に背負っていたリュックを置いたのであろう時司が『パパ~!』と勢いよく足元に抱きついてきた。
そんな彼を優しく受け止めると、満面の笑みで俺を見ている時司の頭を優しく撫でた。
「時司もこのことを知っています。だから、時司は『母親がいなくて寂しい』なんて思っていないと思います。なぁ、時司?」
「うん?」
可愛らしく首を傾げながら抱きついている時司の手をゆっくり外して、そのまま時司前にしゃがむと時司の両手を取った。
「ママがいなくて寂しいか?」
「ううん! ママがおじいちゃんを助ける為に頑張っているのを僕知っているし、僕が寝る前に必ずママとおはなししているから、ちっとも寂しくないよ!」
「「えっ??」」
自慢げに話す時司に驚いた夫婦を盗み見て小さく笑みを零すと、立ち上がって再び時司の頭を撫でた。
「彼女、毎晩時司が寝る1時間ぐらい前にビデオ通話をしているんです。実は、実は彼女からの提案なんです。私が子育ての一切を全て任せることになったと分かった時に、彼女が『律に子育ての一切を任せてしまうのはとても心苦しいから、せめて時司の話し相手はさせて!』と。最初聞いた時は『仕事放り出してそんなことして良いの?』と呆れてしまいました。ですが、彼女は『無理だったら、最初から言わない!』ってきっぱり言ってしまって……まぁ、そのお陰で時司は寂しい思いはさせていませんし、私も彼女と時司がビデオ通話してる間だけは自分のことが出来て感謝しているんです。本当は、私以上に激務な仕事ですので体のことを気遣って何度か『休んでくれ』と言ったことがあるのですが、その度に彼女は『時司と話していると、元気になれるから大丈夫!』と言うんですけどね」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




