22日目 自然と差異③
これは、とある男の旅路の記録である。
「それじゃあ、時を戻すね」
「あっ、あぁ……頼む」
この世界の山登りルールを聞いて茫然としている俺に声をかけたクロノスは、つまらなそうな顔をしながら前を向くと指を鳴らした。
パチン!
時が再び動き出した世界に戻った俺たちは、他の参加者達の和気あいあいとした雰囲気を感じながら山を登っていると緑に囲まれた空間が一気に開けた。
「ふぅ、ようやく着いたみたいだな」
「そうだね!」
汗を掻きつつも時司と一緒に登り切った先に見えたのは、雄大な自然が眼下に広がる荘厳な光景だった。
どうやら、ここが山頂みたいだな。久しぶりの山登りだったが、こんな素晴らしい景色が拝めたなら頑張った甲斐があった。
そっと息を吐いて周りを見渡すと、そこには大勢の登山者達が目の前の景色を見ることもなく思い思いに体を休めていた。
この山が誰でも登れる山だからだろうか。山頂には、大勢の人達が集まっているな。まぁ、この世界は、現在大型連休中みたいだし人気の山なら仕方ないのかもしれないが。
辺り一帯を見ながらそんなことを思っていると、拡声器を持った男性が参加者達の前に立った。
「皆さん、山頂までの山登りお疲れ様でした。では、今から休憩に入ります。ここまでの疲れを十分癒して下山に備えてください。帰るまでが山登りですからね。では、解散」
それだけを言うと、参加者達はランチを楽しむために近くにある食堂のような建物に入ったり、すぐ近くあったウッドテーブルに集まって楽しくお喋りを興じたりするなど、それぞれ休憩を取り始めた。
「さて、どこに行こうか……」
「パパ!!」
辺りを見回しながら行き先を考えていると、隣にいた時司が俺の服の袖を引っ張りながら遠くの方を指していた。
「僕、あそこに行きたい!!」
そう言って時司が指した方に目を向けると、少し離れた小高い場所に大きな屋根が見えた。
「あれは……展望台か?」
頑丈そうな柱と屋根しかない建物を見て首を傾げる俺にお構いなしの偽息子は、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねながら駄々を捏ねた。
「ねぇ、パパ! 行こう! 行こうったら!」
「あっ、あぁ……そうだな。行こうか」
「わ~い!」
戸惑いながらも了承した俺に両手を上げながら大喜びする時司。そんな彼に思わず目を細めると、そっと息子に手を差し出した。
「ほら、パパと手を繋がない子はあの場所に連れて行かないぞ~?」
「あぁっ! パパ、ズルい!! 行くから手を繋ぐ~!」
頬を膨らましながらも嬉々として手を繋いできた時司を微笑ましく思うと、子どもの歩調に合わせて展望台を目指して歩き出し……否応なく突きつけられる無数の冷たい目線に微かな嫌悪感と違和感を覚えた。
「パパ~! スゴイよ!!」
時司と共に展望台らしき建物に着いた途端、目を奪われるような大自然が広がっていた。
おぉ! 広場で見た景色も良かったが、少し登っただけでこんなにも景色が違うんだな!
感嘆の声を漏らす俺を他所に、時司は持ってきたデジカメで建物から見える風景を幾つか切り取ると、そのまま俺のところに来てデジカメを差し出した。
「パパ~! 僕を撮ってとって~!」
期待の眼差しを向けてくる時司に思わず小さく笑みが零れると、小さな両手に収まっているデジカメをそっと受け取った。
「あぁ、いいぞ。どこから撮って欲しい?」
「えっと……ここ! ここから撮って!」
頑丈な柱と屋根しかない建物を歩き回った時司が指定したところは、丁度建物に入ってきてすぐ目に飛び込んできた風景をバックにして撮れるところだった。
ここからだと逆光になるが……まぁ、どうにかなるだろう。
少しだけ溜息を漏らして手早く逆光設定にすると、満面の笑みでピースしている小さな被写体にカメラを構えた。
「時司、行くぞ~!」
「うん、いいよ!」
笑顔で頷く時司をファインダー越しに捉えた瞬間、不意に在りし日の思い出が蘇った。
そう言えば、俺がガキの頃、今の時司みたいに親父にせがんでよく写真を撮ってもらってたな。
あの時は、親父にカッコイイ自分を撮ってもらうことがとても嬉しかったが……大人になった今なら、あの時の親父の気持ちが少しだけ分かる気がする。
カッコ良くピースする時司とガキの頃の自分を重ね合わせながら、俺はシャッターを切った。
「パパ、撮れた?」
「あぁ、撮れたぞ~。見てみるか?」
「うん!」
時司の目線に合わせようとしゃがみ込んだタイミングで、期待に満ちた眼をした時司がそそくさと俺のところにやって来た。
そんな彼に撮った写真を見せると、彼の顔がひまわりのような眩しい笑顔を浮かべた。
「パパ、スゴイ! 本当にすごいよ!」
大はしゃぎしながら抱きついてくる偽息子を優しく受け止めながら、俺はこの世界にはいない親父に思いを寄せた。
なぁ、親父。親父もガキの頃の俺に写真をせがまれた時、今の俺みたいに喜んで撮ったのか? だとしたら……
偽息子からの手放しの賞賛に満更でもない気持ちでいると、入口付近からから聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
「あらっ、律さんに時司君。どうしてこんなところにいるの?」
「ん?」
時司と共に声のした方に顔を向けると、そこには恵子さんと拡声器を持った男性が不思議そうな顔をしながら俺たちのことを見ていた。
「何って、ここで写真撮影をしているんです。息子がどうしても撮りたかったみたいで」
営業スマイルを浮かべながら事情を話しつつ、抱きついていた時司をそっと離して立ち上がると、事情を理解した恵子さんが困ったような笑顔で頬に片手を添えて小首を傾げた。
「あら、そうなんですか。山登りで写真を撮ることって普通はしないんですけどね」
「そうですな。普通だったら撮らないですよね」
普通だったら撮らない……まさか!?
恵子さんと拡声器を持った男性の妙にとげのある言い方に、思わず眉間に皺を寄せそうになったが、モノクロの世界でクロノスから聞いたこの世界の山登りルールを思い出した俺は、嫌な胸騒ぎを感じながら焦ったように聞いた。
「あっ、あの! もしかして、ここって写真撮影禁止だったりしますか!?」
もしかして、ここもクロノスが言ってた『撮影禁止の場所』なのか!?
不安で冷や汗が止まらない俺の問いかけに、恵子さんと拡声器を持った男性は揃って驚いたような顔をすると互いに顔を見合わせて内緒話をしだした。
あれっ? 俺、変なこと言ったか?
2人の様子を見てそんなことを思っていると、納得したように頷いた恵子さんがぎこちない笑みを浮かべながら俺のことを見た。
「いいえ、ここは写真撮影禁止の場所ではありませんよ。ねぇ」
「そうですな」
良かった……まぁ、ここが撮影禁止だったら後ろにいる子どもが『ここで写真を撮ろう!』なんて提案はしないよな。
安堵のため息をつきつつそっと横を見ると、いつの間にか隣に立っていた黒目黒髪の少年が不思議そうな顔で俺に向って首を傾げていた。
「ですが、ここで写真を撮ることは普通ないんですけどね」
「そうですな」
また言っている。そんなに普通じゃないことがダメなのかよ。他人様の迷惑をかけているわけでもないのに。
気持ちが緩んだ俺にかけられた言葉は何かを咎めているように聞こえ、こみ上げてきた不快感を抑えつつ再び視線を戻すと、どこか厳しい目をしている恵子さんがごく普通のことを聞いてきた。
「そう言えば、お昼を召し上がりましたか?」
「えっ?」
恵子さんが急に厳しい目を向けてきたから何かと思って警戒していたが、至って普通のことを聞かれて安心した。
厳しい表情から出てきた比較的易しい質問に心の中で安堵しつつ、清々しい愛想笑いを浮かべながら答えた。
「いえ、今から取ろうと思いましたが」
そう答えた途端、恵子さんと拡声器を持った男性が揃って信じれないといった顔で俺たちのことを凝視した。
あれっ、俺また変なことを言ったのか!?
背中に嫌な汗を感じている俺に、恵子さんが静かに口を開いた。
「この程度ことは常識の範囲内かと思って言わなかったのですが……まさか、本当に知らなかったのですね」
「えっ?」
あからさまに戸惑っている俺を見た拡声器を持った男性は呆れるように大きく溜息をついた。
「まぁ、知っていたらここで呑気に写真を撮るなんてことはしていませんよ」
「それもそうですね」
「あのっ、一体何のことでしょうか?」
一体、何の話をしているんだ?
2人が交わしている会話の意図が全く読めずいる俺に、目の前の2人が揃って大きく溜息をつくと拡声器を持った男性が咎めるように口を開いた。
「そろそろ、下山の時間ですよ」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




