22日目 自然と差異①
これは、とある男の旅路の記録である。
「それでは皆さん! 出発しますよーー!!」
「おーー!!」
山の入り口近くでガイド役らしき女性の溌剌とした出発の合図がなされた直後、大勢の山登り参加者が威勢のいい声で拳を突き上げた。
隣にいる時司も大人達に負けじと元気いっぱいに雲一つ無い青空に向かって元気よく両腕を突き上げていた。
そんな息子を横目でにこやかに見ながら、内心で大きくため息をついた。
どうして、俺と時司がこんな場所にいるのか? それは、穏やかな朝が唐突に破られたからだった。
「「ごちそうさまでした」」
クロノスが作ってくれた朝飯を仲良く完食すると、空になった皿達を2人で分担してキッチンに持って行った。
この世界に来てから【料理を作る】というものに興味を持ったショタ神様は、初めて料理を作って以降、毎日朝飯を作ってくれる。
毎朝誰かが作ってくれた美味しい料理にありつけるのは、現在進行形で独身の俺にとって大変ありがたいことだ。それが、時の神様なら尚更ありがたみを感じる。
ちなみに、昼飯はその時の状況に応じて俺かクロノスが作っているが、晩飯は俺が作っている。とはいっても、大して凝った料理は作れないけどな。
先にキッチンに入ったクロノスが、慣れた手つきでスポンジの上に食器用洗剤を流している隙に使った食器をシンクの中に入れた瞬間、玄関から呼び鈴が鳴った。
ピーンポーン
「ん? 誰だ?」
こんな朝っぱらから、しかも来客なんて初めてだな。あの世界にいた頃は、来客なんてものは一切来なかったからな。
人と関わることを極端に嫌う世界で過ごした日々を思い出して不意に苦笑いが零れると、矢継ぎ早に呼び鈴が鳴らされた。
ピーンポーン! ピーンポーン!
「律、悪いけど行ってきてくれない? 今の僕だと色々と【不都合】ってやつが生じるみたいだから」
「あぁ、分かった。念の為に時司になってくれないか? 家には入れないつもりでいるが、何が起きるか分からないからな」
「うん」
ピーンポーン! ピーンポーン! ピーンポーン!
けたたましく鳴らされる呼び鈴の音に思わず舌打ちが漏れた。
「チッ、うるせぇなぁ。そんなに鳴らしたら近所迷惑になるとか知らないのか?」
「律」
「分かってる」
まぁ、いつまでも出てこない俺が悪いんだろうけどよ。
不快感を露わにしながら足早に玄関に向かい、大きく深呼吸をしながらドアノブに手をかけると、即席の営業スマイルでドアを開けた。
「すみません! 遅くなってしま……」
「遅い! こんなに人を待たせて、一体何なんだと思っているの!? 全く、これだから最近の若い子は!」
「はっ、はぁ……」
扉の先にいたのは、手を腰に当てて仁王立ちをしながら俺を睨み付ける初対面のエプロン姿のおばさんだった。
確かに、すぐに出なかった俺も悪かったですけど、インターホンを連打するのもどうかと思いますよ。
「それより、今日のことを知ってるの?」
「今日のこと、ですか?」
初対面にも関わらず苛立ちを一切隠さないおばさんの言葉に思わず首を傾げた。
今日、何かあったか? 確か、昨日クロノスが『明日は【裏切者】って言葉の意味を知ることは不可能だと思うから』って言っていたが、それが関係しているのか?
顔を少しだけ顰めながら昨日ことを思い出していると、正面から盛大な溜息が聞こえてきた。
「はぁ、やっぱりそうだと思った。全く、これだから『シングルファーザー』ってものは」
「あの……私一応、妻がいるので、シングルファーザーではありませんよ」
「そんなの知ってるわよ! あの家に一切帰って来ない奥さんのことでしょ! 旦那に子育ての全てを押し付けて自分は仕事に専念するなんて、本当に信じられない!」
俺、この人と初対面だけど、一瞬で嫌いになった。他人様の奥さんを貶す人間と仲良くなんてなれるわけない。
「あの、それにも色々訳があって……」
「それより! 今日のことなんだけど、今日のお昼から町内会全員で近くの山に山登りに行くから必ず来て! ここには『希望者参加』って書いてあるけど、基本的に全員参加だから!」
そう言って山登りのことが書かれたチラシを強引に俺に押し付けたおばさんは、用が済んだとばかりにそそくさと帰ってしまった。
あの人、朝からテンション高かったなぁ。
あっという間に姿が見えなくなったおばさんが帰って行った方に乾いた笑いを漏らすと、静かにドアと鍵を閉めて押し付けられたチラシを凝視しつつ、洗濯機が回る音を耳に入れながらゆっくりとした足取りでリビングに戻った。
「律、お帰り」
「ただいま、クロノス。俺が来客対応している間に片付けが終わらせて、洗濯までしてくれたんだな。ありがとう」
「うん」
リビングのドアを開けると、黒目黒髪の少年がオレンジジュースの入ったコップを片手にソファーで寛ぎながらテレビを見ていた。
何だか、まるで休日のお父さんみたいだな。見た目は子どもなのに。
そんなくだらないことを思っていると、俺の手元に興味を示したショタ神様が、コップを置いてソファーから離れると俺のところに駆け寄ってきた。
「ねぇ、律が手に持っているものって何?」
「あぁ、これか。さっき家に来たおばさんが、怒鳴り散らしながら押し付けてきた物だよ」
本当、他人様の迷惑を一切考えてなさそうなおばさんだったな。
玄関でのひと騒動に大きく溜息をつきながら押し付けられたチラシをクロノスに見せると、興味深そうにチラシを凝視したクロノスの口角を小さく上がった。
「律、これを押し付けられたとき、その人間から何か言われなかった?」
「確か『全員参加』だって言われたな」
「全員参加?」
「つまり、『ここら辺に住んでいる人達は、全員これに参加しろ』ってことだ」
「ふ~ん、それじゃあ僕たちも参加しないといけないんだね」
「あぁ、そうだな。全く、希望者参加って書いてあるのに全員参加って……だったら、最初から『全員参加』って書けばいいんだけなんだが」
忌々しく言った俺の呟きに反応したクロノスは、チラシから俺に顔を向けると小さく溜息をついた。
「それは、この世界に住んでいる人間達が【建前】ってものを大事にしているからだよ」
「建前? 確かに、大切かもしれないが……そこまですることか?」
「さぁ、人間のことを未だに理解出来ていない僕には分からないし」
そう言えば、そうでしたね。あっ、だとしたら……
呆れたように溜息をついた俺は不意に浮かんだ疑問を何の気なしに聞いてみた。
「なぁ、クロノス」
「何?」
「もし、これに参加しなかったらどうなるんだ?」
「え~とねぇ……【村八分】ってやつになるみたいだね!」
「ええっ!?」
参加しなかっただけで、村八分とか極端すぎるだろうが!
山登りに参加しなかった時の代償に言葉を失った俺は、力が抜けたかのように項垂れながらその場にしゃがみ込んだ。
全く、どうしてよりにもよって大型連休中にやるんだよ。いや、大型連休中だからこそやれることなのか? まぁ、どちらにしても……
小さく溜息をつきながら顔だけ上げるとチラシを忌々しく睨みつけた。
「強制参加だしな。行くとしますか」
「そうだね。それじゃあ、早速準備しないと。どうやら、僕たちに残された時間は、そう無いみたいだからね」
「そうだな。とりあえず、洗濯機を回している間に2人分の弁当でも作るか」
「えっ、律。お弁当作れるの?」
心底意外と言った顔を向けてくるクロノスに少しだけイラッときてしまったのは、単なる不可抗力だと思いたい。
これでも、実家にいた頃はたまに弁当を作っていた。社会人になって一人暮らしを始めてからも、時間に余裕があれば弁当くらい作っている。
「簡単なものなら作れるぞ。この前、興味半分で買ったお弁当向けの冷凍食品があるし、朝飯で残った白飯もあるからな。それらと冷凍庫にあるものを使えばあっという間に完成だ」
「へぇ~、そうなんだ。ねぇ、僕もお弁当を作ってもいい?」
「あぁ、良いぞ」
そうして、慌ただしく山登りの準備を済ませると、チラシに記載されていた地図を頼りに集合場所である近くの公園に辿り着いた。
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