21日目 恋愛と理想⑥
これは、とある男の旅路の記録である。
「えっ?」
恍惚とした笑みを浮かべた彼女が告げた言葉の意味が分からず、思わず素が出てしまった。
確かに俺はこの世界の住人ではないが、それと理想のタイプとどんな関係が?
啞然とした表情で隣に座る美女を見つけると、笑みを深めた彼女が緩やかな動きで俺がさっきまで飲んでいたグラスを手に持って中身を一口飲むと優雅に微笑んだ。
「前提として、この国に住んでいる日本人じゃないと付き合いたくないんです」
「そっ、そうなんですね……」
それはまた……
突如として告げられた彼女の理想のタイプに困惑しながらもしっかり頷いた俺を一瞥した彼女は、整った眉を軽く顰めながら持っていたグラスを軽く回した。
「だって他所から来た人って、何というかその……何を考えているのか分からないじゃないですか」
「そうなんですか?」
俺にはそうとは思えないんだが。
独特な持論に首を傾げた途端、音を立ててグラスを置いた彼女は目を吊り上げさせながら少しだけ顔を近づけてきた。
「そうなんです! 他所から来た人達って『自分が一番じゃないと気が済まない』って感じがしますし、『自分が思っていることは、絶対に正しいんだ!』なんて思っているじゃないですか!」
「はっ、はぁ……」
この世界にきて一週間足らずの俺には、この世界に住んでる人達こそ『自分の思っていることが絶対正しい!』と思っているじゃないだろうか。
表面上では怒っている彼女と距離を取りながら戸惑いつつも、頭の中で今まで出会った我の強そうな人達のことを思い出していると、怒りを吐き出して冷静になった彼女がひどく残念そうな顔で俺のことを見てきた。
「まぁ、駿さんは見る限りそんな感じには見えませんけど……でも、ここの住人じゃないって分かったので、私のタイプから外れますね。あ~あ、せっかく理想のタイプに出会えたって思ったのに」
「……それで、木村さ」
「綾」
「……綾さんが抱いている理想のタイプとは何ですか?」
俺のことを容赦なく切り捨てた彼女はきっと高尚な理想のタイプをお持ちなんだろな。ご丁寧に前提まで言ってくれたから。
こみ上げてくる怒りを抑えながら困惑を浮かべた笑みで彼女に聞くと、大きくため息をついた彼女は面倒くさそうな目を向けてきた。
「はぁ、そうですね。これも何かの縁ですし、土産話として教えてあげます。と言っても、普通なんですけどね」
そう言って、さっき置いたグラスと手に取って再び口づけた彼女は、高飛車な笑みを浮かべながら理想のタイプについて饒舌に語り始めた。
「まず、先程も言いましたけど、前提として、この国に住んでいる日本人であること。出来れば、ご近所さんだったらなお良いですね。他所から来た人達は信用出来ませんし、住人同士の方がお付き合いの方が何かとスムーズにいくので。
容姿は、駿さんみたいに私より背が高くて、程よくスラッとしていて、顔立ちも私と同じくらい整っている人が良いです。周りに堂々と紹介出来た方が、私の株が上がりますからね。
性格は、駿さんのようなとても穏やかで人当たりが良くて周りに気を配れて、だけど私のことを一番に大事にしてくれる人が良いです。何かと楽ですしね。
お仕事は、駿さんみたいな一流企業に勤められている方が良いですね。将来的に考えると、とても安定した生活が送れそうですし、家族や周りの人達が安心出来るので。あと、子育てには積極的に参加して欲しいです。家庭の為に仕事を頑張っていることはとても良いんですけど、それは私だって同じなので……あっ、私一応、結婚しても働くつもりです。子育ては何かと入り用だと両親から聞いたことがありますし、生まれてくる子どもに英才教育を受けて欲しいって考えているので。だから、仕事を言い訳にせず私と一緒に子育てをしてくれる人が良いです。
あとは……高望みはしないんですけど、出来ればあまり干渉して欲しくないです。いくらパートナーと言っても私も自立した1人の人間なので、あまりプライベートには干渉して欲しくないですね。でも、これって『出来れば』じゃなくて『当たり前』ですよね」
「…………」
意気揚々と話した彼女の理想のタイプを聞き終えた俺は言葉を失っていた。
容姿にしても、中身にしても理想のタイプにしては、あまりにも業が深すぎる。それに、彼女は『普通』と前置きをしていたが……正直、聞いてて『そんな男いるか!』と思った。しかし……
彼女の持論を聞いている時に容赦なく注がれている数多の視線を興味本位で一瞥した時のことを思い出し、思わずため息をつきそうになった。
彼女にバレないように周りを軽くチラ見したのだが、周りの男女が全員彼女の理想のタイプに深く頷いていた。どうやら彼女の理想のタイプは、この世界ではごくありきたりなものらしいが……この世界に住んでいる男達はそんなハードモードな常識の中で生活しているのか。
「あの、駿さん? ちゃんと私の話を聞いてましたか?」
おっと、彼女の理想のタイプという名の持論は終わっていたんだったな。
この世界の男達に心の中で同情しようとした俺に、不機嫌な様子を隠さない彼女。そんな彼女に俺は完璧な張りぼての笑みを向けた。
「えぇ、聞いていましたよ。ただ、綾さんの素晴らしい理想に少しだけ驚いただけです」
もちろん、そんなことは微塵も思っていないが。
営業スマイルで答える俺に、彼女は感心したような顔で何度か頷いた。
「へぇ~、ちゃんと聞いてたんですね。たまによそ見をされていたから、てっきり聞いていないものかと思ってました」
マズイ、盗み見ていたがバレてた。
思わず表情が固まりそうになった俺を特に気にも留めなかった彼女は、グラスの中身を少しだけ飲んだ。
「ですが、私の理想のタイプを『素晴らしい理想』ですか……まぁ、この国に住んでいる人なら全員抱くものなんですけど、容姿が整っているあなたに言われると悪い気はしませんね」
「アハハ、それはどうも」
ちっとも嬉しくないが、とりあえず笑っておこう。そして、この場から立ち去ろう。『この世界の合コンに参加する』というミッションは既に達成されたんだからな。長居は無用だ。
自然な流れでこの場から離れられるよう、噓を得意とする神様の加護を受けた腕時計に視線を落とした瞬間、アナログの時計番が何者かの手で塞がれた。
驚いて視線を上げると、底意地の悪そうな笑みを浮かべる彼女と目が合った。
「駿さん、突然腕時計なんかを見てどうしましたか?」
こいつ、俺は腕時計に視線を落としたことに気づいて意地悪しやがったな。本当は俺が帰ろうとしているのを分かっているくせに。
再びこみ上げてきた怒りを抑えるように、営業スマイルを崩さないまま口を開いた。
「いえ、少しだけ時間が気になってものですから……」
「へぇ、私が理想のタイプを言った瞬間に気になりだしたんですね? 駿さんって、本当に不思議な方で、大変失礼な方なんですね」
「それは、その……あなたという素晴らしい考えを持っている人の前で行うものではないものでした。すみません」
「別に謝らなくて良いです。これはただの感想ですから。それに……」
そっと耳元に顔と近づけた彼女は優しく囁いた。
「私が駿さんの理想のタイプでは無いって分かったから、早くこの場から立ち去りたかったんでしょ?」
ちっ、やはりバレてたか。
彼女に見透かされてしまった本音を隠すように、俺は営業スマイルを張り付けたまま彼女と間に少しだけ距離を取った。
「そうですね。私があなたという素晴らしいお方に釣り合わないと分かり、かなりダメージを受けてしまったので、私はここで失礼させていただこうかなと」
「やはり、そうでしたか。まぁ、これ以上引き留めるわけには……と言いたいところですが、1つだけ確認させて下さい」
確認? 理想のタイプではないと切り捨てた男に対して、確認しておきたいことって何だ?
一瞬だけ眉をひそめた俺は、困ったような笑みで彼女に問い質した。
「確認、ですか?」
「はい、どうしても確認しておきたいと思って。それに答えてくれたら、帰ってもらってもいいです」
「分かりました……ちなみ、それは私に答えられるものですか?」
「もちろん。むしろ、あなただけが答えられるものです」
彼女の含みのある言い方に嫌な寒気が襲ってきたが、これで解放されるなら答えてやる。
この場から離れたい一心で彼女からの問いかけに応じたが、悪女のような笑みを浮かべる彼女が投げられた問いかけを聞いた瞬間、俺はこの判断が間違いであったことを激しく後悔した。
「斎藤 駿さん」
「はい、何でしょうか?」
「あなたって、本当は……【渡邊 律】って名前ですよね?」
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




