19日目 図書と隠蔽(中編)
これは、とある男の旅路の記録である。
おかしい、本当にこの本が歴代首相の記載されている物だとしたら【渡邊翔太】の名前があるはずだ。やり方は酷いものだったかもしれないが、それでもあいつはこの国の為に尽力したのは間違いないのだから載っていないはずが……
目を閉じて大きく深呼吸してから、目を開けて閉じられた本に顔を落とすと、苦い顔をしながら目次が記載されているページを開いた。
もしかすると、俺が見落としていただけなのかもしれない。だとしたら、ここになら翔太の名前があるかもしれない……いや、あってくれ!
藁にも縋る思いで俺が元の世界にいた頃に在任していた首相から後の首相の名前を指でなぞるようにゆっくりと探したが……
「やっぱり……」
目次の最後まで指でなぞっても【渡邊翔太】という名前はどこにも無かった。
落胆するように大きく溜息を落とすと、今度はページの後ろの方をめくり始めた。
翔太の名前がどこにも記載されていなかった。それに……
本の一番後ろに記載されてた首相のページを開くと、そこには在任期間の就任年のすぐ隣に短い横棒が一本だけ引かれ、その隣には数字が記載されてなかった。
どうやら、この世界では【渡邊翔太】という内閣総理大臣は存在しなかった者とされ、翔太の辞任と同時に廃止されたと思われる内閣制度は、この世界には今でも健在しているようだ。
つまり、この世界は歴史そのものを改竄しているか隠蔽しているってことになるのか。
《私は、この国の最後の内閣総理大臣になります》
47人の長の前で言った翔太の言葉が脳裏に蘇って思わず眉間に皺が寄せると、ふと翔太の作った功績がこの世界ではどうなっているのか気になり、椅子から立ち上がって持っていた本を本棚に丁寧に戻すと、今度はあの世界に関して記載されていそうな本を探し始めた。
ショッキングピンクのドームで囲まれたあの世界だって【日本】の一部には変わりない。
それに、この世界が今でも存在し続けているのは、ひとえに翔太とAIのお陰だと思う。だとしたら、翔太とAIがこの国の為に尽力したことを別の形で書かれている本があるかもしれない。
歴史書コーナーにある本棚をくまなく巡りながら血眼になって探していると、横からポンポンと肩を叩かれた。
ん、何だ? 俺は今、この世界のことについて知ろうと忙しんだが。
書籍探しを途中で止めさせられ、ほんの少しだけ怒りを覚えながらも営業スマイルでゆっくりと肩を叩かれた方を向くと……そこには、恰幅の良さそうな男性職員に、後ろにはここで本を読んでいただろう大勢の人達が、全員揃って怒りを露にしながら俺のことを見ていた。
えっ、何これ!? 俺、何かしました!?
突如として大勢の大人から睨み付けられている状況に、内心で大量の冷や汗を掻きながら背後をチラ見すると、後ろにもいい年した大人達が俺のことを逃がさないように、退路を塞ぎながら睨み付けていた。
ヒィィ! 何だよ、これ! 俺、本当に何かしました!? 大勢の人達の怒りを買うようなことをした覚えは……あっ、もしかして。
思い当たる節を見つけた俺は、申し訳なさそうな顔で男性職員のことを見た。
「あっ、あの……俺、うるさくしましたよね?」
そう、俺がここに来てから数多の人間からの怒りを買うとすれば、俺が立ててしまった物音があまりにもうるさかったことくらいだ。
一応、細心の注意を払いながら動いていたつもりだったのだが、どうやらこの世界の住人達にとっては、耳障りになるような騒音だったらしい。
俺からの問いに、男性職員の眉が更に吊り上がった。
ヒィィィィ! 本当にうるさかったんですね! 本当に申し訳ございませんでした!
男性職員の鬼の形相を見て反射的に土下座をしようとした瞬間、男性職員が静かに口を開いた。
「『うるさくしましたか?』か……どうやら、自分が何をしでかしたかを自覚していないようだな」
「えっ?」
違うのか? 俺が物音をうるさく立てていたからじゃないのか?
首を傾げる俺に、目の前の男性職員が小さく呟いた。
「無知というのは、本当に罪深いものだな」
「ん?」
その言葉って……
聞き覚えのある言葉に思わず顔を顰めた瞬間、男性職員は天井に向かって大きく息を吸うと、館内に轟かせるような大声を出した。
「ここに、国家反逆罪を犯した人間がいる!! よって我々は、今から正義の名の下に罪深い人間を捕らえる!!」
「「「「うぉーーーーーー!!!!」」」」
「はぁーーーー!?!?!」
ただのサラリーマンでしかない俺が……国家反逆罪!?
「ちょっと待ってください! 俺、そんな大罪を犯すようなことはしてません!!」
俺はただ、ここで本を探して読んでいただけだ!! 決して、この世界に対して反逆するようなことは大それたことは一切していない!!
突然着せられた大きすぎる濡れ衣に一瞬だけ頭が真っ白になった俺は、犯罪者呼ばわりした張本人に大声で問い詰めると、俺と男性職員を囲っていた人達から野次が飛んできた。
「うるせぇ! とっとと捕まりやがれ!」
「この裏切り者! あんたみたいなやつはみんなの為に立ち去りなさい!」
「あんたみたいなやつがご近所さんとか、本当に恥ずかしくてしょうがないわ!」
「あんたの子ども、うちで預かっておきますからな!」
「そうよ! 子どもに申し訳ないと思っているなら、大人しく捕まりなさい!」
ちょっと待て! 俺は目の前にいる職員と話しているのに、どうしてあんた達が会話に入って来るんだよ!
それと、野次を飛ばしている奴らの中に、時司を拉致するみたいなことを言った奴がいただろ!
ダメだからな、それは本当にダメだからな!
いくら俺とは血が繋がっていないどころか、実は正真正銘の神様だったとしても、他所様の子どもを白昼堂々と連れ去るのは人道に反する愚行だからな!
聞こえてきた野次を心の中でツッコミながら困惑していると、俺と対峙していた男性職員がゆっくりと口を開いた。
「これが、真実であり正義だ」
「いやいや、どこが真実ですか!? どこに正義がありますか!? ただ、あなたと私以外の人々が好き勝手に言ってるだけではありませんか!?」
「ほう、あんたにはそう聞こえるのか」
どこか余裕な笑みを浮かべる男性職員に思わず怖気づいた。
「そっ、そうですけど……そういうあなたには、この声はどう聞こえるのでしょうか?」
俺に対しての集中砲火が止まらない中、男は静かに口を開いた。
「俺には、正論にしか聞こえない」
「くっ!?」
勝者のような笑みを浮かべる男性職員に、俺は苦い顔しながら頭をフル回転させた。
ダメだ、こいつらとは話が出来ない。だが、このままだと確実に捕まってしまう。
どうする? 仮に俺が捕まったら、次に狙われるのは時司だ。
あいつのことだからきっと、神様特有のチート能力で難なく切り抜けると思うが、俺が捕まっていると知ったら……いや待て。
この19日間一緒に旅してきた分かった相棒の性格を思い出した俺は、小さく笑みを零した。
そうだ、時を司っているあいつならきっと……いや、絶対この事態を把握している。だとしたら……
周りの人達から襲われないよう護身用に上げていた手をゆっくり下ろすと目を閉じて大きく深呼吸した。
「言いたいことはそれだけか?」
「まぁ、そうですね」
見下すような笑みを浮かべている男性職員に、ゆっくりと目を開けた俺も同じような笑みを浮かべた。
そう言えば、こうして心の底からあいつのことを信じるのは初めてだな……いや、あっちの世界に初めて来たときに信じたよな? でも、あの時はあいつが神様だってことを知らなかったからノーカンになるのか?
まぁ、良い。そんなことは、あいつと再会した時にでも聞こう。
確認するように辺りをゆっくり見回すと、犯罪者である俺を取り押さえようと下卑た笑みを浮かべる大人達がじりじりと距離を縮めていた。
怖いなぁ。これから俺、大の大人達に取り押されようとしているのか。いくら週に2、3回ジムで鍛えている俺でも、この人数が一斉に襲ってきたらあっさりとパワー負けするな。でもまぁ……俺は絶対に理不尽を正義と掲げている奴らに捕まらないが!
降参の意思表示をするように両手を上げながら再び目を閉じた瞬間、男性職員が声を張り上げた。
「犯罪者が抵抗を止めたぞ! 今だーー!!」
「「「「「うぉーーーー!!!!」」」」
全く、ここは図書館だぞ。館内では静かにしないといけないだろうが……まっ、それは俺にも言えたことか。
近づいてくる雄叫びを他人事のように聞いている俺の左手首が重く大きな手に捕まった。恐らく、目の前にいた男性職員が我先に俺の身柄を抑えようと掴んだのだろう。
頼むぞ、時の神様!
心の中で相棒の名前を呼ぶと、それに応えるように指を鳴らす音が館内に響いた。
パチン!
横に引っ張られようとした感覚は、聞き慣れた音と共に消えた。
ほら、やっぱりな。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




