19日目 図書と隠蔽(前編)
これは、とある男の旅路の記録である。
「律、本当に行くの?」
クロノスが取ってくれたホテルで一晩を明かし、ホテルの美味しい朝飯で腹を満たした後、昨夜のうちにクロノスに伝えた今日の目的地に向かって車を走らせた。
「あぁ、この世界にもあるなら行くしかないだろう。それより……昨日のようなことにはならないよな? 行った途端、門前払いされるなんてことは昨日の出来事で十分なんだが」
車が信号につかまったタイミングで不安げな目を助手席に向けると、隣の神様は視線を手元のスマホに落としたまま何の気なしに返事をした。
「それなら問題無いさ。僕たちが今から行く場所に必要な物は、昨日うちの部下達が持って来てくれたから、それを提示すれば昨日みたいなことにはならないはずだよ」
そんなものまで準備してたのか。さすが時の神様。というか……
「必要な物?」
「うん。昨日、律が言ってた『スムーズに入れる物』だよ。律が寝静まったタイミング部下達に聞いたら、部下達が『これです』って持って来てくれたんだ。それを提示すれば、スムーズに入れるはずだよ。目的地に着いたら律に渡すね」
「わっ、分かった。用意してくれてありがとう、クロノス」
「別に、僕はこれくらいしか出来ないからね」
いや、十分だから! あと、いつもありがとうございます、クロノスの部下さん達。でも、本当にあったんだな。
小さく溜息をつきながら信号が青になったタイミングで車を走らせた俺の隣で、クロノスは両手を後ろに組んで座席シートに体を預けると、珍しく呆れたような溜息をついていた。
「でも、まさかこの世界でも行くことになるとはね。本当、律の考えてることが分からないよ」
奇遇だな、俺もお前が考えていることが分からねぇよ。でも、この世界にもあったあの場所なら……もしかしたら、あの世界とこの世界のことが知れる良い機会かもしれないんだ。
「律、これがこの場所に入る為に必要な物なものだよ」
「おぉ、ありがとうな……っ!?」
ホテルを出発してしばらく、今日の目的地に併設されている駐車場に車を止めたタイミングで真横から手渡された物達をありがたく受け取ると、既視感のあるそれらに思わず顔を強張らせた。
これって、どれも見た目は俺が元の世界で見たことがあるカードばかりだ。まさか、この世界でお目にかかるとは……この世界、一応俺のいた世界より未来の世界なんだよな?
今から行く場所に入る為に必要なカード達に言葉を失っていると運転席側の窓がノックされた。
驚いて咄嗟に目を向けてみると、視線の先には満面の愛想笑いを浮かべた黒髪黒目の俺の(偽の)息子が覗いていた。
お前、実はこの場所に来ることを楽しみにしていたのか?
綺麗な眼差しで見ているショタ神様に小さく笑みを零すと、ゆっくりと運転席側のドアを開けた。
「お待たせ。それじゃあ、行くとするか……図書館に!」
「うん!」
ひまわりのような笑顔を向ける時司の手を取ると、眼前にあるコンクリート造の大きな建物に足を運んだ。
「いらっしゃいませ。本日は当館にお越しいただきまして、誠にありがとうございます」
入口の自動ドアをくぐると、そこには綺麗なお姉さんが受付嬢として恭しくお辞儀をしながら俺たちを迎えてくれた。
「それでは早速、本人確認の身分証明書をご提示ください」
「分かりました」
営業スマイルでそう言うと、財布から偽の運転免許証に、偽の子ども用の保険証、偽の図書館専用カード2枚提示した。
これは、先程駐車場で受け取ったカード一式だ。昨日、クロノスに目的地を伝えた後に『もし、図書館にスムーズに入れるような物があったら用意してもらっても良いか?』と頼んだが……まさか、本当に図書館専用カードだけでなく、運転免許証に保険証までも必要になるとは。
この世界の図書館は、俺がいた世界以上にセキュリティがしっかりしてるのかもしれない。
「渡邊律様に、渡邊時司様ですね……はい、確認出来ました。ご協力、ありがとうございます」
こちらからは一切見えない受付カウンター内で俺たちの身元を目視で確認した受付嬢が、綺麗な営業スマイルで提示したカード全てを小さな盆の上に乗せてカウンターの上に置いた。
『ご協力ありがとうございます』って、ここに入るには必要な物なんだろ?
そんなことをおくびにも出さず営業スマイルで盆の中の物を取ると、受付嬢の視線が再びカウンター内に向けられた。
「では、本日来館されて目的を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい。今日は閲覧しに来ました」
「……あの、つかぬことを伺いますが、本日は閲覧だけでしょうか?」」
顔を上げながら綺麗に小首を傾げる受付嬢に、危うく営業スマイルを崩しそうになった。
えっ、この世界では閲覧目的だけで図書館に来てはいけない決まりがあるのか?
「はい、今日のところは閲覧だけをしようかと思いまして……なぁ、時司?」
「うん! 『今日は、ご本を読むだけ』ってパパと決めたんだよね!」
ありがとう、クロノス。俺のアドリブに合わせてくれて。
俺が満面の笑みを浮かべる時司に心の中で礼を言っている傍で、受付嬢は少しだけ困ったような笑顔を浮かべていた。
「そうですか。当館を訪れる方は、みなさん必ず当館が所蔵している書籍等を借りられていきますから」
それはただの偏見ですよ、お姉さん。
お姉さんの偏った見方を心の中でバッサリ切ると、困惑気味な顔をしていた受付嬢が再び営業スマイルを浮かべた。
「でしたら、時司様は左側の廊下に、律様は右側の廊下を通って、当館に入られて下さい」
「……えっ?」
右側? 左側? どういうことだ?
困惑したような笑みを浮かべている俺を他所に、受付嬢がこの世界の図書館について説明してくれた。
「当館では、左側の建物を子ども専用の図書館で、右側は大人専用の図書館となっております。ちなみに、お客様が現在いらっしゃる場所は、当館の受付兼休憩スペースとなっております。もしかして……ご存知なかったのでしょうか?」
非難するような目を向けられながら聞かれて、思わず身が竦んだ。
怖っ! 確かに知らなかったが……そんな目を向けられることか!?
「すみません、知りませんでした」
「はぁ、そうですか。ですが、当館はそういうシステムになっておりますので、ご理解の程よろしくお願い致します。あと、当館にはいくつか注意事項がございますので、図書館入ってすぐに掲示してあります注意事項を必ずご確認ください」
「あっ、はい」
大きく溜息をつきながら呆れたような顔で俺たちのことを見る受付嬢に対して、釈然としない気持ちを抑えつつ申し訳なさそうな顔をしながら軽く頭を下げた。
俺、図書館に来てまでどうしてこんな気持ちになるのだろう。
「それでは、ごゆっくりお楽しみください」
再び綺麗な営業スマイルで綺麗なお辞儀をした受付嬢に少しだけ引きつり笑いを浮かべて軽くお辞儀をすると、受付から少しだけ離れて手を繋いでいる時司の前にしゃがんだ。
「悪い、時司。パパとはここでお別れだ。でも、時司は時計が読める良い子だから、時計の長い針と短い針が一緒になったら、またここに来て欲しい。そしたら、時司が食べたい物を食べさせやるから」
「うん、分かった! パパ、僕良い子にして図書館でご本読んでくるね!」
「……あの、ご歓談のところ申し訳ありませんが、そろそろどいてくれませんか? 他のお客様の迷惑になりますので」
「えっ!? あっ……はい、分かりました」
いつの間にか俺の後ろに立っていた困り顔の受付嬢に驚きつつも腰を上げた。
一応、邪魔にならない場所に移動したつもりだったんだが、どうやら違ったらしい。
「じゃあな、時司。また後で」
「うん!」
元気に右側の廊下を駆け出した時司の背中を見送ると、俺はゆっくりとした足取りで左側の廊下を進んだ。
『へぇ~、ここがこの世界の図書館か』
廊下を進んだ先にあった大人用の図書館は、人がいるはずなのに人気を感じさせない静寂に包まれていた。
『物音を立てようとすれば、すぐさま周りの人達から睨まれるような静かな雰囲気だが……それよりも、この世界に関する書籍を探さないと』
静かすぎる図書館へと踏み入れた俺は、図書館入ってすぐにあった注意事項と案内板に目を通すと、読書を楽しんでいる人達の邪魔にならない程度の足音で歴史書のあるスペースに向かって足早に歩いて行った。
『まずは、この世界の歴史書を探すか。この世界の歴史書を見つければ、この世界について大まかなことが書かれているはず。あわよくば、この世界から見たあの世界のことが書かれているはずだ』
脳内に記憶している案内板の地図を頼りに図書館奥に配置されていたこの世界の歴史に関する書籍が配架されている場所に辿り着くと、早速本棚の中にある書籍の背表紙を1つ1つ確認するように目を通した。
『う~ん、どれも俺のいた世界にあったような歴史書しか見当たらないな。俺のいた世界より先の世界なんだから、それなりに進んだ歴史が記載されている本があってもおかしくはないんだが……ん?』
本棚の中身に違和感を覚えて首を傾げていると、とある本の背表紙に書かれていたタイトルに目が止まった。
『【歴代首相図鑑】?』
他の本に比べて分厚いそれを本棚の中から引き出して持つと、そのまま本棚の近くに配置されていた木製の1人用の椅子に腰かけた。
『タイトルからして日本の歴代首相が記載された本だよな? だとしたら、あいつの名前が載っているかもしれない……そう言えば、この世界の住人達はあいつのことをどう思っているのだ?』
【この世界のことを知る】という目的から少し逸れてしまう罪悪感と僅かばかりの期待感を抱きながら本を開くと、そこには日本の歴代内閣総理大臣が1ページ毎に記載されていた。
『やっぱり……学校で習ったような歴代首相がいれば、俺が元の世界にいた頃に在任していた総理大臣も記載されている。ということは、元の世界にいた頃に在任していた総理大臣が記載されているページから先は俺の知らない未来の総理大臣ってことか。まぁ、あいつ以外はあまり興味が無いから読んだらすぐに忘れると思うが』
そう思いながらページをめくっていくと、あっという間に最後のページに辿り着いた……が、俺はある違和感を覚えた。
あれっ? あいつの名前が見当たらなかったぞ。
俺が唯一知っている未来の総理大臣の名前が見当たらず、確かめるように今度は後ろからゆっくり本を捲って探すが、俺が元の世界にいた頃に在任していた総理大臣が記載されているページまで戻った瞬間、俺はパタンと本を閉じて天を仰ぐと小さく呟いた。
「どうして……」
どうして、【渡邊翔太】という名前が無いんだ?
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!




