ダリアの憂鬱・5
その日、天竺牡丹は珍しく客が少なかった。午後を過ぎた今は『彼』だけとなっている。
「キアラ姉…」
「んー!?どうしたぁ?」
「私、決めたの」
「…向き合ったのね、婚約者と」
「うん。『彼』と話してくるね」
「そう?今なら人もいないし良いわよ」
静かな店内は寒々しく感じてもいいはずなのに何処か温もりがある。緊張する心を叱咤して深呼吸する。ずっと伝えたい想いがあった。
けれど言葉にならずに心の中に燻ったままになって総て投げやりに…おざなりになっていた。今なら分かる。キアラが何を伝えたくてアランと向き合えと言ったのか。
「あの…話したい事があって…」
やはりフードに隠れて表情は見えないがきっと彼なら聞いていてくれるとセレスティは確信していた。
「前に助けて下さってありがとう。凄く感謝していたのに…あの場ではお礼がしっかり出来なくて気になっていて…」
「何かと思ったら…そんな事全然気にしなくて大丈夫ですよ」
「えっと…後……伝えたい事があって…」
胸の突っ掛かりが大きくなった気がする。けれど、前に進むならば言わなければならないと自分に言い聞かせて言葉を更に紡ぐ。
「ずっと…ずっと好きだと思ってました」
「思っていた?」
そう。思っていたのだ。助けてくれた大人らしい姿に。騒がしい食堂で落ち着いて食べる姿が。
けれど、だけれど、それは。
「憧れだったんです。やっと気付けたの、私。ここに来るのを楽しみにしていたけれど…名前を聞こうともしなかった。フードを取って顔を見せて欲しいとも思わなかったんです。色々知りたいと思う人が出てきて初めて分かったの…笑顔が見たいと思ったり、違う一面を見ると心臓が煩くなって。認めたくないけど…きっとその人が気になっているんです」
「…そうですか」
「変な告白をしてごめんなさい。でも、感謝しているから伝えたくて。私…多分もうここには来ないから。お別れを言いたかったんです」
自由にするのはここまでにしようとセレスティは決めていた。アランの言葉を聞いてからずっと考えていたのだ。逃げるばかりではいけないと。自分がしてきた事で実っているものもあるのだと。『公爵』の身分はとても重いけれど、アランが支えてくれるなら一緒に努力していきたい。
「はぁぁ…お前はいつまでそうしてるつもり?」
「えっ…?キアラ姉?」
「セレスの事じゃないよっ!!」
それまで店の奥にいたキアラが大股で近付いてくる。セレスティは何事かと目を丸くして見ていたが次の瞬間、キアラは彼のフードをおもむろにひん剥いた。
「えっ!?アラン様!?」
「焦れったい男だよっ!!しっかりセレスに謝りなさい!!」
アランは気まずそうに頭を掻くと大きく溜め息をついた。
「これだから姉さんは嫌なんだよ……姫、申し訳ありません。欺くつもりは無かったんです」
「えっと…説明して下さる?」
「えぇ、もちろん。まずは…そうですね…私とキアラは姉弟になります。前に姉の事は話しましたね…私は伯爵家に入りましたが姉は仕事が気に入っているからと蔓薔薇亭を続けているんです」
「そうなのね。どうして顔を見せないようにここに来ているの?」
「単純な話しなんですが…貴族のお上品の食べ物は腹に溜まった気がしなくてね。でも、ここに来ると私の事を昔から知っている常連連中が人をだしにして宴会を始めるんですよ。姉さんに迷惑がられるので顔を隠してひっそりと食べてたって訳です…あと…」
「あと?何?」
「姫が気付かないかなと。貴女の生き生きした姿を見たかったんです。楽しそうで。社交界の毒々しい雰囲気と違って姫らしくて」
「ねぇ、まだ姫と言うの?」
「貴女が言ったんですよ、そう呼べって。思い出しませんか?」
姫と呼べなんて言った覚えはないと首を傾げる。けれど、頭のどこかに引っ掛かるものを感じ記憶を辿る。キアラの弟ならば子どもの頃に出会っているのだろう。
「あっ!!」
ガキ大将のキアラにはいつも隣に可愛らしい少年がくっついていた。ニコニコと話しかけてくれるのが嬉しくて…
「自分から姫って言ったのでしょう!!」
「思い出してくれたのですね。セレスがいつまで経っても気が付かないので腹が立っていました」
可愛らしい少年は幼い頃、辿々しい口調で結婚してくれと言っていた。きっとお嫁さんになってねと。まさか本気だったとは。
「先程の知りたい人物は…私だと思って良いですか?」
「えっと…」
「ねぇ、セレス。焦らさないで。散々待ったんです。相手にされない小さい時から貴女の事を想っていました。良い返事を下さい」
本人だと気付かずに告白してしまった自分が恥ずかしい。けれど、高鳴る鼓動も熱くなる顔の理由もきっとひとつだ。そのまま言葉に出来ないセレスティは目の前のアランの手に自分の手をそっと重ねると想いを込めて優しく握った。
この温もりと一緒に歩みたいと願いながら。
***
「…………あ様……かあ様…お母様!!」
「あら、ごめんなさい。何かしら?」
「もう…」
物思いに耽っていた所為でメリッサの言葉を聞き逃してしまっていた。出会いを思い出すなんて久しぶりだと考えながら自分によく似た娘を見つめた。
「お父様を頼みます、と申しましたのよ、私。いつも心配しておりますのに。ふたりの仲睦まじい姿ってあまり見てないのですもの…」
「ふふふ…紳士、淑女の礼としてある程度の距離感は大切でしてよ」
アランが母親によく似たメリッサを溺愛する姿をみれば分かる事だと思うが、まだ子どもなのだろう。可愛い娘を見詰めながら緩く微笑んだ。
その微笑みは歳を重ねて尚、大輪の花のように優美であった。
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