春の伊吹
「こればかりは譲れないかなぁ。臣下としてしっかりと主君の命令には従って欲しい」
「陛下こそ、まだ王位を継いだばかりで慣れないのかもしれませんが…そろそろ感情だけで臣下を動かそうとするのは止めて頂きたいものですな」
「へぇ…?僕に楯突くの?」
執務室に剣呑な雰囲気が漂う。
レイナードが王位を継いで三月程。戴冠式までは後一月程かかるが、腐敗した臣下達の処理は粗方終わっていた。
暦の上では春になるがどこかまだ寒々しい。
***
元々の腐敗払拭はメリッサの父である宰相が始めた事である。長い王家の歴史の中で貴族達は立場にかまけていた。そんな中、下級貴族出身の宰相は貴族よりも平民のような生活が長かった所為だろう。貴族として政治に関わるようになり違和感を持っていたのだ。傀儡の様に臣下の意見に従う王にも、己の為だけに国を修める臣下たちにも。
彼らは政治をしているのではないと。
私腹を肥やすのが何が政治だと。
しかし、当時彼の立場は弱かった。公爵家に婿入りしたものの元を正せば男爵家出身である。侮られるのが当たり前になっていた。腐敗したこのままの状態が続いていくのかと嘆いてたのだ。
『…懐かしい顔だな』
独り書架を調べていた折りに話し掛けてきたのは当時の陛下であるレイナードの父であった。
『懐かしい…ですか。今更話し掛けてくるとはどういった心持ちの変化ですか?』
『手厳しいな。其方は。旧友だと思うておるのに』
鷹揚に笑う姿は排他的であり、同年代だと思えない程に眼窩は窪み、瞳はどこか濁っていた。
(昔はこんな風には笑わなかったな…)
騎士団に所属して直ぐに出会ったのが初めだったか。お忍びだというのに全く隠す気もなさそうに無邪気に笑っていたのを思い出す。庶民に寄り添おうとする姿が好ましく、仲良くなるのに時間はかからなかった。良い王になると信じていたのに。どこで彼は道を違えてしまったのか。
『約束を違える貴方が旧友だと?』
『余にはどうしようもない事であろう?老臣に四肢を押さえ付けられ動けないままでおる』
『…抗う事もせずに受け入れているのは怠慢ですよ?』
『あはは…そうだな。では…抗おうか。其方に立場を与えよう。余の力では末端の立場しか与えられぬが…そこから這い上がってくればいい。民を思うなら余の四肢を自由にしてくれ。いつかの約束が叶うように』
話したのはいつの事だったか。
それ以来陛下とふたりで話す機会はほぼ無いままだった。公式の場に出る陛下は華やかな姿のままで書架で会ったのは幻ではないかと疑う程であった。
けれど、その後すぐに命が下った役職を考えると幻ではなかったのだろう。
レイナードに王位を譲った今、彼が何を思っているのか宰相には分からなかった。
***
「父様もお祖父様もケンカは止めて下さいっ」
口を尖らせながらレクリオが二人の間に入った。
「だってレクリオを連れて行くって言うから…父様悲しくて…」
「たまには我が家に招いて夕食を共にと言っただけではありませんか。大体、メリッサが里下がりをしているんです。息子としては母に会いたいでしょう」
「父親と過ごす時間も子どもには大事だと思うな。それに…メリッサもレクリオも側にいないなんて耐えられない。ねぇ、レクリオ?」
「…僕…今日は父様とお祖父様と三人でご飯を食べたいです…」
「レクリオ…!!!もちろんだよ。一緒に食べようね」
幼い息子を力一杯抱き締めるレイナードを宰相は半ば呆れながら見つめた。溺愛もここまでくると面倒臭い。しかし、レイナードが子煩悩になるとは意外であった。先代陛下とレイナードは公的な場でしか言葉を交わさない…主君と臣下の様な親子関係である。
「僕、お勉強に戻りますね」
そう言うとテクテクと小走りでレクリオは出ていった。
「メロメロですな…」
「メリッサそっくり。頑張り屋で可愛いでしょ?」
「子どもは可愛いものですな…きっと陛下も父君にとって可愛い息子だったでしょう」
レイナードは一瞬目を伏せると自嘲気味に笑った。
「どうかな…?父上は心が壊れてしまっているから。僕が見えていたとは思えないよ…いつか心が戻ったら色々話せると良いね」
彼は未だに自由では無いのだろうか。
窓の外を見ると枯れた枝にひとつ、ふたつ蕾が芽吹いていた。寒さはまだ和らがないがすぐそこまで春が近付いているのだと感じさせてくれた。




