事務所のゴリ押しで起用した若手俳優があまりにも棒読みだったのでセリフをなくしました
こちらは完全にフィクションです。
実際はスポンサーがここまで口を挟むことはないだろうと思って書いてます。
「うわあー、やめろおー」
監督は頭を抱えていた。
来春公開予定のオリジナル劇場アニメ『深紅のツバサ』で、主人公の声を担当する若手俳優・羽生翼が想像以上に棒読みだったからだ。
学芸会よりもはるかに劣るほどの演技力。
まったく抑揚のない声は、緊迫したシーンを台無しにしている。
「そこまでよ! 助けに来たわ、ツバサ!」
「あ。おまえはアイリーン。助けに来てくれたのか」
ヒロイン役が人気声優だけに、余計に羽生翼の下手さが目立つ。
そもそも監督は彼を起用するつもりはなかった。
主人公役にふさわしい別の声優をキャスティングしていた。
しかし直前になってスポンサーから圧力がかかったのだ。
「主人公役は、今事務所が推している羽生翼にしてください」
もちろん監督は拒否したかったがスポンサーには逆らえない。
渋々承諾したものの、いざ声を当ててみるとあまりに棒読みすぎて愕然となった。
「羽生くん、ここはもう少し気合いを入れてしゃべってくれるかな」
やんわりと指示を出す。
本来ならもう少し厳しめに言うのだが、事務所がゴリ押ししているだけに強く出られなかった。
「はい、わかりました!」
素直で返事はいいものの、本当にわかっているのか不安になるほど何度やっても結果は同じだった。
同じトーンでしゃべっているのが逆にすごいとさえ思える。
「羽生くん」
「はい!」
「……いや、いい」
監督は悩みに悩んだ末、主人公の設定を変えることにした。
しゃべれないことにしたのである。
過去に負った傷が原因で主人公は言葉をなくし、身振り手振りで感情を伝えるというキャラに変えた。
羽生翼の役割は、時たま「ハハ」と笑ったり「うー」とうなったりするくらいである。
試しにやらせてみると、違和感はあるもののセリフを言うよりかはマシになった。
「うん、これならなんとかなるな」
せっかく作った映像だが、主人公の部分だけ作り直すことにしよう。
脚本も大幅に変更しなければ。
そう思っていた矢先。
どこで嗅ぎつけたのか、スポンサーがやってきた。
「監督さん。風の噂で聞いたんですが、『深紅のツバサ』の主人公をしゃべれない設定に変えたというのは本当ですか?」
「どこでそれを?」
「どこだっていいじゃないですか。それよりも本当なんですか?」
「え、ええ、本当です。でもしゃべれないというわけではないです、ちゃんと声はありますよ」
「ちょっと台本を見させてください」
高圧的な態度のスポンサーに台本を渡すと、案の定憤慨した。
「ちょっと! これはどういうことですか!」
「どういうことと申されましても……」
「羽生翼は事務所の看板アイドルなんですよ? なのにこんなうめき声のようなセリフばかり」
「そういう流れの方がいいかと思いまして」
「ダメです。羽生翼の声優デビュー作品なんですから、ちゃんとしたセリフを言わせてください」
ちゃんとしたセリフが言えないからキャラを変えたのだが。
などと言えるわけもなく。
監督は台本を受け取ると「承知しました」と頭を下げたのだった。
さて、主人公をしゃべらせるのはいいとして、羽生翼の演技力はどうしよう。
アニメーションの映像は文句なし。
ベテランのスタッフたちのおかげで、古今類を見ないほどの出来に仕上がっている。
しかし羽生翼が声をあてるだけで見るに堪えない映画になりかねない。
観客からは批判も来るだろう。
そこで監督は思い付いた。
何もセリフを日本語にする必要はないのではないかと。
日本語でしゃべるから下手さが目立つだけで、架空の言語にすればいいのではないか。
幸い主人公は日本人ではない。
別の世界からやってきた異世界人だ。
むしろそんな主人公が日本語を話すことのほうがおかしい。
思い立ったが吉日。
すぐに監督は新しい脚本の執筆に取りかかった。
結果『深紅のツバサ』の主人公は、彼の言語を翻訳する妖精とともに日本に召喚された異世界人という設定にした。
羽生翼は意味不明な言語を言うだけでよくなったのだ。
そして主人公のセリフは一緒にやってきた妖精が代弁してくれることになった。
妖精もベテラン声優を起用した。
「よし、これで文句は出ないだろう」
新たに妖精が加わるシーンを作るのは時間がかかったが、なんとか公開日までに間に合いそうだった。
しかし。
いざアフレコを開始しようというタイミングでまたもやスポンサーから物言いがついた。
「監督さん、ふざけてます?」
「え? なにがですか?」
「主人公のセリフがなんで意味不明な言語なんですか?」
「もともと日本人ではないので。逆に日本語をしゃべるのは不自然かなと」
「エンターテイメントでしょう? 変にリアルさを出さなくてもいいじゃないですか」
「いや、しかし……」
「日本に召喚されたとき、ついでに言語も習得したという設定に変えてください。エンタメ重視ですよ」
そのエンタメ性が羽生翼によってダメにされそうなんだよ、とは口が裂けても言えない。
「そうは言っても、彼の言語を翻訳する妖精の存在も作りましたし……」
「ダメです、ちゃんとしたセリフをしゃべらせてください。羽生翼のファンは彼のセリフを聞きたいんです。こんな意味不明な言語じゃなくね」
もういっそのこと羽生翼のアフレコを見てもらおうか。
あまりの下手さに考えが変わるかもしれない。
そう思ったものの、やはりスポンサーには逆らえなかった。
「わ、わかりました。脚本は元に戻します」
「お願いします」
いよいよ困った。
監督にとって『深紅のツバサ』は3年ぶりの力作である。
企画段階からかなり力を入れて取り組んできた。
監督業としての代表作にしようと思ってたほどだ。
それを、たった一人の芸能人に台無しにされるなんて冗談じゃない。
何かないか。
何かないか。
考えに考え抜いた末、監督は思い立った。
(そうだ! 主人公をアンドロイドにしよう!)
感情のないロボットが日本にやってくる。
それなら主人公の抑揚のない声も違和感がないかもしれない。
すぐに羽生翼にいくつかのセリフを試してもらった。
すると意外や意外、思いのほかよかった。
声のトーンが一定というのが逆にロボットらしくていい。
「うん、いいんじゃないか?」
監督はすぐに脚本を書き直し、主人公は機械の王国からやってきたアンドロイドという設定にした。
新たに付け足した妖精キャラも、ケガの功名と言うべきかいいアクセントとなっている。
(異世界から来たアンドロイドと妖精の物語。想定していたストーリーとは大きく変わったが、これはこれで人気が出るかも知れないぞ)
問題のスポンサーも羽生翼が主人公役としてたくさんのセリフをしゃべることに満足してくれた。
こうして新作劇場アニメ『深紅のツバサ』は無事に完成したのだった。
しかし──。
公開直前になって衝撃のニュースが飛び込んできた。
主人公役の羽生翼が未成年でありながら飲酒をしたうえ、一般女性に性暴力を振るって逮捕されたというのだ。
このニュースは速報で全国に流れ、所属事務所は対応に追われた。
そして。
一週間後に公開を控えていた『深紅のツバサ』は上映中止となった。
主人公役が羽生翼と大々的に宣伝していたこともあり、人々は主人公=羽生翼と認識してしまい、代役を立てようにも彼の姿がチラつくキャラクターとなってしまったからだ。
一度ついてしまったイメージはなかなか払拭できない。
結局、『深紅のツバサ』はその数ヶ月後に代役を立てて上映したが、結果は散々だった。
もともと羽生翼に合わせて後付けで作った設定だったこともあり、レビューは酷評の嵐。
監督も叩かれまくった。
『主人公が羽生翼にしか見えなくて生理的に無理』
『この監督、頭おかしい。奇抜な設定をしとけばいいと思ってる』
『羽生翼を起用しようとした時点で終わってるよな』
SNSで飛び交う批判コメントを眺めながら、監督は酒を浴びるように飲んでいた。
「お前らに何がわかる……。お前らに……」
『そもそも素人をキャスティングする意味がわからん』
監督はスマホを壁に投げつけながら叫んだ。
「お前らにオレのなにがわかるんだー!」
彼は吠えた。
その声は近所中に響き渡るほどだった。
そして監督はそれ以来、一切アニメを制作しなくなったという。
お読みいただきありがとうございました。
映像はすごく綺麗なのにキャスティングで損をしてるアニメ映画ってけっこうありますよね。
声優のプロを起用してたら神作品なのにってよく思います。
でもたぶん大人の事情もあるんじゃないかなーと思って書きました。




