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ルリーナ、船に乗る。

 一週間。そう一週間の強行軍だった。

 港街の路地裏で、ルリーナは暗がりに隠れていた。

 噂に聞く優美な都の様子や、贅を尽くした料理などというものを楽しむ暇もなく、ルリーナは白王国を抜けていた。

 というのも、国境の関所を避けたは良いものの、街道には巡回している兵も多く、いつどこから告げ口されるか解らないものだから、立ち止まるわけにもいかなかったのだ。

 白王国の言葉は貴族すべてが使うものだし、ルリーナも使えないわけではないのだが、見る者が見れば、怪しさに気づくだろう。一人旅というのもいけない。


「その怪しさが手伝って、というのも複雑なものですが」


 港まで辿り着いたは良いが、どうやって海を渡ろうか、いっそウェスタンブリアに出る船の船倉にでも隠れて……などと考えていたのだが、どうやら密航をする船が有るらしい。

 それを教えてくれたのは、如何にも海の男、しかも質の悪いやつ。有体に言って、海賊とかその類の男だった。

 ルリーナの頭巾を深く被って、路地裏でこそこそしている姿は如何にも怪しかったらしく、同業者か何かかと思って話しかけられたのだ。

 海の事は解らないが、ウェスタンブリア付近の海は無法地帯だという。というのも、彼の地は内戦で忙しく、外洋には貿易以外で出ないものだから系統だった海軍というものは存在しないとのことだ。

 勿論、貿易船は守らねばならないから、護衛船というのもあるのだが、それらは雇われのものらしい。

 つまるところ、海の傭兵といったところか。白王国側も別の場所に戦力を割いている関係上警備はおざなりで、傭兵だか海賊だか解らない船がうじゃうじゃしてる。

 渡りに船とは言ったもので、少々、怪しいとは思ったものの、これに頼らない手はない。


「そろそろ、時間ですかね」


 今は、夜。灯りを手に街を見回る夜警を幾度か見送って、月を見上げて時間を測る。

 海賊船……もとい、密航船はこの夜のうちに港を出る予定だ。ルリーナは夜の街路を歩き始めた。

 こういうのは、こそこそするからいけないのだ。と、気づいたのは最近の事である。


「おやご婦人、こんな時間に歩かれると危ないですよ。灯りはいりませんかね」


 蝋燭持ちがそんなことを言いながらついてくる。

 傍から聞けば実にご丁寧な話だが、実際には彼らが悪漢と組んでいるということも少なくない。

 灯りがないと危ない。というよりも、灯りを買わないと危ない目に会わせるぞ。ということだ。嘘はついてない。


「一人で歩きたい気分なので結構です。けれどそうですね、そのお気持ちに、ということで」

「おっ、毎度。いやぁ、ありがたいこって」


 幾らか包んで渡すと、蝋燭持ちは追従の笑みを浮かべてあっさりと引きさがっていった。

 彼がその手の輩だったとしても、こうしておけば安全という訳だ。


「こうして見る街も綺麗なものですねぇ」


 そうして蝋燭持ちと離れてみれば、仄かな月の灯りに照らされた街は、しんと静まり返り、ひんやりとした夜風が頬を撫でていくのを感じると、現実感がどこかへ吹き飛ぶようだ。

 機嫌も良く、軽くステップを踏みながら歩いてしまう。街につきものの臭いも、涼しい夜にはそれほど気にはならなかった。

 道の中央を流れる汚水を避ける。どうしてか、白王国では道の端ではなく真ん中を低く作ってあることが多かった。

 うまく水がはけないので、渡し板などがところどころに置かれている。

 服が汚れないように裾を持ち上げて渡り切る。

 潮風の香りが近づいてきた。もう一つ、道を抜ければ海が見えるはずだ。


「ふわぁ……」


 と、声が漏れた。広い広い海。それは昼に見ても圧倒されたものだが、今は一面黒く、その中で波が月明かりに照らされてきらきらと輝いている。

 大海原は静かなもので、寄せては返す波が、岸壁に当たって控え目な音を立てるだけだ。

 遠く、広い海を見るために征服行を為した英雄の話は、まさかそれだけが目的でもあるまい、と笑ったものだが、これを見ればそれも本当だったのかもしれないと思える。

 夜空と海の際も曖昧で、どこまでも深く、どこまでも続くようで、まるで、星空がもう一つ、地上にあるようだった。


「おう姉ちゃん、こっちだ」


 そんな海を見ながら船着き場まで歩いていくと、例の海賊っぽいのが話しかけてきた。

 改めて見れば、かなり歳のいった、長い髭を蓄えた男である。潮風と陽に焼かれた肌は皺だらけで、片幅広く力は強そうである。


「おいおい、海なんてこれから嫌ってほど見れるぜ」

「それもそうですね。それで、前払い、って話でしたが」


 それでもちらちらと海を見ていたルリーナを彼は笑う。長く海に居たのだろうから、こんな風景も見慣れているのだろう。


「おう。金さえもらえば、何も聞かねぇよ」


 ちらり、と船の方に目を向ければ、なかなかの量の積み荷と、船員ではない武装した男たちの姿が有る。

 どうにも船に慣れない感じの彼らは、ルリーナと同じく海を渡る傭兵達だろう。その形は実に様々で、装具にも共通点がない。

 おそらく、積み荷がメインで、密航は小遣い稼ぎといったところか。


「解りました。それでは、海の上ではよろしくおねがいしますね」

「応。海の漢は約束を違えねぇんだ」


 約束「は」違えないの間違いだろう。さておき、ルリーナが少々色をつけて金貨を渡せば、彼はくしゃっと顔をゆがめて笑って見せた。

 信用はできそうだし、まぁ良いか。と、船に乗る。どうにも、足元が動くというのには慣れない。

 ルリーナの目からすれば、家が一つ二つでは済まない大きさの船はとても大きく見えたものだが、これでも小さい方だと言う。

 多少の不便は我慢してくれ、という旨を、他の傭兵と共に船長に聞かされた。そう、先ほどの男が船長だった。


「よし、これで全部だな。出港するぞ。今のうちに陸地を目に焼き付けときな」


 さほど待つこともなく、船は夜闇にも映える白い帆を満帆にしてそろりそろりと海を滑り始めた。

 心の準備も何もあったものではないが、文句を言っても仕方ない。

 離れて行く船着き場には見送りの一つもなかったが、後ろ暗いことのある船だろうからそれも当然と言えた。

 夜闇の中を走る船は、その大きさからは想像できないくらいに速く、ルリーナがこれまで過ごしていた大陸が、離れていく。

 暫く、いくらかの感傷と共に遠ざかる陸地を眺めていた。そうしていたのはルリーナ一人ではない。傭兵らの顔には様々な表情が浮かんでいる。

 やがて、それが見えなくなったころ、空が明け始めた。天頂の深い紺、青、薄くなっていく空に黄金に照り返す海原。船の穂先は波を砕き、白い渦を作っていた。


「さて、そろそろ気を入れ替えて行きますか」


 これからは、家や同胞といったしがらみを捨てて、自らの為だけに剣を振るうのだ。

 そう考えると、胸が高鳴る。思えば、純然たる自らの意思だけで何かを選ぶ、というのはこの旅を始めた時が初めてだったのではないか。

 これからは何が起きるかもわからず、まさに大海原の中を手探りするような気持ちではあったが、寧ろそれが喜ばしい。

 船上から見る朝陽は、まるで初めて見るように美しかった――。


――それからしばらく。


「ここが噂のウェスタンブリア! 待っててくださいね心のお姉さま!」


 初めて見るウェスタンブリアの地、真珠の港をその目にとらえて、ルリーナの口から出たのはそんな言葉だった。

 そう。これから、がルリーナの紡ぐ、ルリーナのための物語。心赴くままに振舞う彼女の顔には、眩いばかりの笑みが浮かんでいた。

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