10.夜空
「俺が扉を抑えておくから、その隙に行け」
そう言ったのは、例の弓兵だった。
「しかし、そんなことをすれば……」
と、口にしたところで、彼の様子がおかしいことに気づいた。
暗闇の中でわかるほどに顔色も悪く、どうにも体を曲げている。どこか傷を庇っているような……。
と、その時、彼の歩いてきた道を示すように、点々と血が落ちているのに気付いた。
「その怪我は」
「ん? ああ、どうやら弩で射られたみてぇだな」
いつの間に、と思い返せば、城壁の回廊で当たった兵に止めを刺していなかったことに思い当たった。
「まさか、あの時に」
「ははっ、まぁ、ついてなかったってことだ」
何でもないように言う彼だが、その足の震えは隠しきれていなかった。
どうやら、もう立っているのも限界に近いらしい。ヨアンと入れ替わりになった彼は、そのまま倒れ込むようにして扉の前に座り込んだ。
「ほら、行ってくれ」
脱出できたからといっても、助けに戻ることは出来ないだろう。
気休めにでも、そう言えれば、と思ったがそうは口にできなかった。
「早く行け!」
「……それでは」
ヨアンが一つ頭を下げると、弓兵は口を歪めて小さく笑って見せた。
その背後の扉から、槍の頭が顔を覗かせる。
「ああ。じゃあ、な」
ヨアンらは、別の階段を探して走り始める。幾つもあるそれだったが、今は城内の兵がこの城壁を目指している。
「三人、か」
誰かが呟いたその言葉が、存外、重く響いた。いつの間にか、七人からそこまで減っていたのだ。
「何をしている! 貴様ら!」
「ちっ、もう上ってきたか」
走っている最中に、正面から敵兵が顔を出した。咄嗟に、反対側へ足を向けようとするが、そちらは今、弓兵の彼が居る扉と、バーナードの守っているはずの塔があるだけ。
ここを切り抜ける以外に手はない。ヨアンは剣を握りなおした。残った二人も、得物の握りを確かめている。
「ままならねぇなぁ」
出来る事なら、戦闘は避けたかったものだ。
不測の事態、というのはいつだって起きるものだが、何処から計画が崩れたものか。
いや、思えば、穴だらけの計画だ。それは、立案したエセルフリーダも知っていたものだろう。
だから、死を前提として志願を募り、七人はそれを受け入れたのだ。
「おらぁ! 一体、何人いやがんだ!」
剣を打ち合わせながら、ヨアンらは押されるように下がっていた。
階段から上がってくる兵は、数を増すばかりで、既に十を超えている頃だろう。
「大人しくやられちまえ!」
そう言って振り下ろされた斧を何とか剣で受け流す。刃の一部が欠けて、頬に当たり傷をつけた。
投降して時間稼ぎ、とでもいければ良いのだろうが、どうやら相手に交渉に応じる気持ちはなさそうだ。
外からは、即席の破城槌が門を叩く音が聞こえる。城壁に集まる人数は増えるばかりだ。
「くそ、どうしろってんだ」
敵兵から距離を取った三人は、背中合わせのようになった。じりじりと包囲を詰めてくる敵に剣を向けて、後ずさるしかない。
後方には、城壁の縁があるだけだ。前に活路を求めようにも、数を増すばかりの敵は三人では如何ともしがたい。
今、必要なのは援軍だろうが、友軍が城門を破って侵入してくるには、攻城戦には実に短く、しかし、ヨアンらにとっては絶望的に長い時間が必要だった。
「もう後がないぞ! どうする!」
「どうするもこうするもねぇだろ! 覚悟決めるぞ」
残った傭兵の二人は、得物を構えなおした。城壁の縁を背に、せめて抵抗をして見せようという事らしい。
もちろん、ヨアンも最大限、暴れて見せるつもりだ。
「すまんな、兄ちゃん。老人の戦いに巻き込んじまって」
「いえ、私の望んだ戦場ですから」
跳ね橋を下ろして、落とし戸を上げられたのだから、ヨアンらの任務は達成されているのだ。
ここで倒れても、軍全体の勝利は約束されたようなものだろう。
意味のある死。多くの偶然で生と死の別れる戦場で、その価値は説明するのも難しいものだった。
それでも、手が、足が震える。そのヨアンの姿を見て、老兵は笑った。
「いくぞ! 後は頼んだ!」
一人目が剣を振りかぶって決死の突撃を敢行する。もう一人は、ヨアンに向き直った。
「兄ちゃん! 飛び降りるんだ!」
「しかし……」
「こうなっちまえば運次第、兄ちゃんがそこまで付き合う義理はねぇ」
城壁は高く、飛び降りた先には堀がある。ここから飛び降りて無傷ではいられないだろう。
夜闇の中から見下ろしたそこは、ただただ暗く、深く見えた。
「ここで兄ちゃんに死んでもらっちゃ、顔が立たねぇよ」
「ですが、それならあなたも」
「いんや、それは出来ねぇ相談だ。それとも何か、飛び降りるのが恐いのか?」
そうこう話しているうちに、一人目の背中が敵に呑まれて見えなくなった。
「さあ、行け! 俺たちの働きをよろしく伝えてくれ」
ヨアンは逡巡した。ここで彼らを置いて、自分だけ逃げるようなことが出来るか。
「兄ちゃん、どうしてこの作戦に志願したんだ」
迷いを見て取ったように、老兵はそう続けた。その言葉に、はっ、と息を呑む。
そうだ、武功を上げるために志願したのだが、それは何の為だったか。ここで死すれば、全て無意味ではないか。
ヨアンが考えに捉われている間に、敵兵は迫っていた。
ただ一人残った老兵は、それを横目に見ながら、城壁の縁との距離を見定めた。
「悪く思うなよ!」
ヨアンの身に、突然の衝撃と、続いて浮遊感が襲った。残った老兵に押し飛ばされて、城壁の縁から落ちたのだ。
何が起きたのか理解したときには空中で、意識を失うまでの最後に見たのは、遠ざかる城壁上の灯りと、暗く、星一つ見えない夜空だけだった。




