ルリーナ、服を買う。
一面、緑の山。抜けるように青い空。ここまで見事に晴れてくれると、気分も良くなるものだ。
旅の準備を整えるためにしばらく泊まることにした村は、実に賑やかなところだった。
旅籠の窓から顔を出せば、洗濯桶の上で、色鮮やかな服を身にまとった乙女たちが、裾をからげて、白い足を見せつけるように洗濯物を踏んでいる。
彼女らの雑談に興じる声は、まるで小鳥の鳴く声のようで、ルリーナの笑みも深くなろうものだった。
そのうちの一人がこちらに気づいて、軽く手を振ってきた。
はちみつ色の髪を三つ編みおさげにして、陽に焼けた肌にはそばかすが浮いている。
貴族の子女とは比べるべくもないが、きらきらと輝く黄褐色の瞳といい、カモシカのような太ももと言い、健康的な可愛らしさを感じる。
うむ。あの太ももとふくらはぎは良い。
恥ずかし気に頬を染める彼女の初心な反応に、寧ろこちらが気恥ずかしさを感じて、頬を掻きながら手を振り返した。
「あのお洋服、かわいいですね」
口から出たのはそんな言葉だった。
今居るのは、神聖帝国の外れ、峰の連なる山岳地帯だ。
山脈の常として国境線が近く、ルリーナの所属していた傭兵団とは因縁の深い、白十字の傭兵国家もこの近くにある。
どうしてそんな場所に居るかと言えば、白王国に入るにあたって、正規ではない手段を取るつもりだからだ。
いわゆる密入国というやつである。
これまでは元からの貴族身分と、腰に提げた傭兵団の剣で関所などを抜けてきたものだが、白王国、現在の神聖帝国の敵対国に入るとなると、どちらの身分もむしろ邪魔になる。
かといって、それぞれの身分証明になるものを捨てるのは嫌だし、ウェスタンブリアに渡った後にも困るだろう。
何より、下手に身体検査とかされるのは癪である。白王国に良い印象なんて有るはずもないのだから、当然だけれど。
そういう訳で、監視の甘い複数国の国境かつ、山岳地帯に来た訳だ。
この辺りは神聖帝国でも辺境であり、大公の治める領地ではあるものの、国に編入されたのはそう遠いころではない。
国境が近い、という村の特長から、実に豊かなように見える。村娘たちの様子がその証左だ。
つまるところ、同じ神聖帝国領でありながら、この辺りは文化が違う。同じ言葉を話しているようで、時折、聞いたこともない単語が飛び出てくるのは面白かった。
村娘たちが着ている服もそうだ。色鮮やかな胴衣に白い肌着、そして長いスカートと薄青色の前掛け。これはこの山岳地帯でしか見られない服装だ。
国境を越えた辺りでも見られるそうだけれど、少なくとも神聖帝国ではここだけである。
素朴ながら見目も良いそれは農婦のドレスと言っても良いかも知れない。
「お嬢さーん、腸詰がゆで上がったよ!」
「はーい! 今、参ります」
そう、文化が違うと言えばこれもだ。腸詰に麦酒がこの辺りでは盛んに作られている。
すっかり楽しみになった食事のために、階段を下りる足取りも軽くなる。
「白の腸詰は昼を越す訳にはいかないからね」
「ほほう、どういうことですか?」
今は朝には遅く、昼には早い時間帯。正午の鐘が鳴る前だった。
「他の腸詰と違って、足が早いんだ」
「腸詰って、てっきり保存食だと思っていたのですが」
わざわざ腸詰に加工しなくても、そのまま焼けば良いのではないかと思うところだけれど。
湯の張られた鍋に浸けてある白い腸詰を見る。
腸からはがして、甘いジャムのような調味料を付けて食べるのだと言う。
お約束のように、横には麦酒が置かれていた。
「あれ。美味しい……」
様々な疑問を持ちつつも、腸詰に齧りついてみれば、ふんわりとした食感と新鮮な豚肉の味が口内に広がった。
これは、美味い。今まで食べてきた腸詰とは違った風情がある。
あっという間にそれを平らげてしまい、寧ろ、空腹がより意識されるような気がする。
聞けば、昼の食事はまた別に用意されているとのことだ。これは軽食らしい。何とも贅沢な話だけれど。
ほんの少し、口に残った脂を麦酒で流す。その麦酒も、実に風味の良いものだ。
ルリーナにとって、腸詰や麦酒というのは決して珍しいものではなかった。
傭兵生活をしているうちに、そのどちらも嫌というほど食卓に上ったものだ。
しかし、それらは保存食という意味合いが強いものだった。
ただただ塩辛く、燻されて、元の肉が何とも知れない腸詰と、もはや風味も何も飛んでしまったような麦酒。
この土地に来て知ったのは、そのいずれも鮮度の良いものは味も良い。という事だ。
考えてみれば、ルリーナの好きだった食事といえば、鳥を丸々串に刺して焼いたものだったり、豚や牛を捌いてすぐに焼いたものだったりする。
新鮮なものは美味しい。というのは当然のこととも言えた。
「それじゃあ、私はちょっと出てきますね」
「あいよ。昼までには帰ってくるんだよ」
「はーい」
面倒見のよさそうな女将さんに告げて、村を歩く。
先ほどの服を買うのも良いかも知れない。服を買う、となると、結構なお金と時間がかかるものだ。
作り置きなんてあるわけもないので、服を買うとはそのまま、服を誂えるという事になる。
「これからはのんびりしている暇もありませんからねぇ」
旅路というのは実に危険に満ち溢れている。
賊の類は自然発生的に、いくら間引いたところでどこにでも現れる。
それ以外にも関所なども厄介なものだ。それらを避けるとなると道なき道を行くことになり、それはそれで骨が折れる。物理的にも。
「ちょっとゆっくりしていっても良いかも」
ルリーナの脳裏には、先ほどの村娘の姿がある。少しくらい仲良くしても罰は当たらないだろう。
食事も美味しいし、もしかしたら、これが神聖帝国を見る最後になるかもしれないのだ。
「そう考えると、不思議なものですね」
国というもの、故郷というものに、特に未練が有るとは思っていなかった。
しかし、こうしていざ出ていく、と思えば、思わず胸に詰まるものがあるのだ。
これがどうしてなのかはわからない。あるいは幸福だったと言える幼少期の思い出のせいかとも思ったのだが、どうやらそうではない。
ただただ、何故か寂しい気持ちを感じて、ルリーナは首を振ってそれを散らした。
「ううん。そう。私には私のやることがあります、よね?」
ウェスタンブリアに渡るというのは、確かに大冒険だ。しかし、その先に待つ未来を思えば、辛くはない。
あるいは成らなかったとしても、その努力をしたという事実は、間違いなく自身に残るのだ。恐れることは何もない。
「でも今だけは」
一人旅をしていると、どうにも独り言が増えていけない。
今だけは、そう、そんな郷愁のような想いに身を任せてしまっても良いだろう。
「おじょーさん。素敵なお洋服ですねー」
そう。この地ではお嬢さんという言葉すら違う。
先ほど目が合った少女は、洗濯物を抱えて、これから乾しにいくところだったようだ。
話しかけられたことに驚いている様子で、手に持っている服で顔の半ばまで隠してしまった。
「この村の仕立て屋さんってどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「え、あ、その……仕立て屋はこの村になくて、その……」
おどおどとした様子の彼女を見ていると笑みが浮かんできて、我ながら性格が悪いな、と思う。
思えば、女の子の友達と呼べる人は、これまでの生活が生活だけに居なかった。
ここでそれを作るのも良いかも知れない。聞けば、村では自分たちで服を縫っているのだと言う。
「それじゃあ、貴女にお願いしても良いですか?」
「えっ、いや、私……?」
「勿論、お金は払わせていただきますので」
「そうじゃなくて、えっと、私で良いの?」
時間もあるし縫物は得意だ、とのことだった。それなら、何も悪くはない。
「ええ。貴女にお願いしたいのです」
ルリーナが満面の笑みを浮かべて言えば、少女は、頬の赤を耳にも移した。




