8.道中
陽はまだ低く、うっすらと白い靄に包まれた草原を力なく照らしている。
ただただ続く緑の平原に、目を凝らせば山麓が遠く見えるだろう。その上には小さく、石造りの城が見えるはずだ。
霜柱を踏みつける音が、幾重にも響く。朝の寒さは、夜よりも厳しく思えるもので、薄い毛布でも寝床が恋しくなるものだ。
白い息と共に馬が嘶く。まだ重い瞼を無理やりに開くと、すぐに目が乾いて涙が出てきた。
大きくあくびをして、肺に刺さるような空気を吸う。冬も終わりに近いはずだが、まだまだ寒さは引くことを知らないようだ。
「ふふっ、まだ眠いですか」
「ええ……いえ、恥ずかしい所をご覧に入れました」
カタカタと、車輪の音をさせながら進む馬車、その御者席からエレインが笑いかけてくる。
大口を開けてあくびしていたのを見られていたらしく、少々恥ずかしい気持ちになった。
彼女は貴族然として、笑うときにすら口元を隠しているというのに。
「うー、ねむい……」
とはいえ、その横に座っているニナを見れば、まあ良いか、という気分にもなる。
相も変わらず朝にめっぽう弱いらしく、死にそうな顔をして背を曲げて手綱を握っている彼女は、その様子で事故でも起こさないかと心配になるほどだった。
いつもの元気さはどこへやら。もう一方の馬車を御するナナの方はと言えば、いつもの様子と変わらない……と思いきや、顔色が悪い。
常の調子との落差で姉の方が目立つが、姉妹揃って朝は苦手な様子だった。
同じ姉妹で言えば、エセルフリーダとエレインの方は、早朝に限らず、常に疲れた様子は見せない。
貴族の矜持、というものだろうか。そうとは思わせない自然な態度だったが。
「おう、兄ちゃんら、また頼むぜ」
「ギブソンさん達も働き者ですね」
「勝ち馬には乗らねぇとな」
馬を寄せて来たのはギブソンだ。彼もまた、諸侯に雇われて今回の戦闘に参加する組である。
エセルフリーダの隊は、再びノルン卿に雇われている。騎士とはいえ、あくまでも傭兵隊なのだ。
元の鞘に納まった、というのが正しいだろうか。
「しっかし、兄ちゃんも良い馬乗ってんなぁ」
「騎士の皆さまほどではありませんが、まぁ、いい馬ですよ」
ノルンの首を叩いて返す。ギブソンの馬は、乗用とはいえ、戦馬ではなく、農耕馬のようなもので、立っていれば見上げるような長身の彼を今はヨアンが見下ろしている。
翻ってノルンは、エセルフリーダや騎士らの跨っているような、いわゆる騎士の馬と比べれば体格に劣るが、確かに馬種は戦馬である。
気性も大人しく、従順な彼はよくヨアンの指示にも応えてくれる。数か月の付き合いともなると、愛着も湧くものだった。
「ギブソンさんなら、騎士を捕まえて取れるのではないですか」
「俺はどう思われてるんだ」
ギブソンは苦笑しながら鼻をこすった。
「まぁ、騎士様を捕まえることもあるけどよ、馬なんて売っ払っちまうんだよ」
大体、そんな馬が居たところで、馬上で戦えるだけの技術がない。その言葉にはヨアンも大きく首を縦に振る。
馬だけ居たところで、戦力にはならないのだ。それなら、馬車を曳かせるなりしたほうがマシであり、それならば戦馬でなくて良い。
「大体、世話に金もかかるからな」
牛飲馬食、という言葉があるように、馬はよく食べる。
騎士の馬は大柄で、胃腸が強いのは良いのだが、如何せん維持に金と手間がかかるのは事実だった。
それならば売り払って金に換えた方が賢い。という訳だ。
「騎士様方は羨ましいこった」
「……そうですね」
鎧や槍、そして馬を揃え、さらには従士を従えるとなれば、領地の一つでもなければ賄えない。
領地が有るから騎士なのか、騎士だから領地があるのか。
傭兵隊であれば、騎士一人を抱えるだけの費用で数人は養える訳だから、滅多に見ないのも当たり前だ。
エセルフリーダは領地こそないものの、騎士として国から多少の禄を得ている。
王国の戦力不足という背景もそれには有るだろう。
長弓兵やエセルフリーダ本人、騎士と言った戦力を抱えるだけの俸給は得られている訳だ。
自身の傭兵隊の指揮に戻るギブソンと一旦離れ、周りを見れば、雑談などに興じながら歩く傭兵が長蛇の列になっているのが見える。
周りを見る余裕も最近では出来てきたものだ。ゆらゆらと彼らが持つ槍の穂先が揺れ、上り始めた朝日に煌めいている。
これからはまだ道も長い。気楽に行かなくてはもたないだろう。そのうち、皆、余裕がなくなってきて言葉少なになるものだが。
「平和なものですね」
「敵さん、何処まで逃げたものかねぇ」
霧の晴れてきた平原は見渡す限り草がそよぐだけである。
耳を澄ませば、河の流れる音も聞こえるだろうか。実に長閑な風景だ。
一歩一歩進むしかない訳だが、遠くに見える山脈は一向に近づいては見えなかった。
「いざ、城攻め、となったら何か手はあるのですかね」
「あー、それか。まぁ、着いたらわかるさ」
「そうですか?」
このまま進めれば、リュングの城まで碌な抵抗はないように思える。
だが、そのリュング城が攻めるとなると問題だ。
もちろんのこと、山城であり、獅子王国と竪琴王国の間にあるという位置的条件から、かなり堅牢なものとなっている。
天然の要害と言っても良い。これを攻めるにはどうしても少数ずつの戦力という事になり、落とすには難い。
かといって、無視して進むのは不可能だ。そうすれば後背と横面からの攻撃を受けることになる。
エセルフリーダが元々、ここの城主の継嗣として教育を受けていたために、詳細な図面を起こしていた。
それを見れば、おそらく易々と攻めよう、とは言えないだろう。
攻めやすく作っている城、などと言うものが存在する訳がないので当然とも言えるのだが、数で押すにしても多大な出血は避けられないだろう。
兵糧攻めという選択も、余りに多い被害から選ばれる手段だ。
無血開城が一種、美徳のようになっているのも、当然とは思えた。
勝ち目がなければ、互いの出血を減らしたいものだ。
「そうだな。兄ちゃんも行けるか」
バーナードの言葉に首を傾げるが、彼は笑うだけで、話をはぐらかしていた。




