7.後退
「やぁ、ヨアンくん。無事そうで何よりだ」
「閣下! こちらにいらしていたのですか」
本陣に戻ってみれば、諸侯の輪の中にノルン卿、かつてヨアンが住んでいた村一帯の領主が居た。
「いやいや、私はもう君の主ではないのだから、閣下などとは呼ばないでくれよ」
彼は穏やかに笑いながらヨアンの肩を叩いた。
どうやら、今回の援軍はノルン領のものだったようだ。挨拶だけを交わして、ノルン卿は諸侯らとの会話に戻る。
忙しい中、わざわざ声をかけてくれたことだけでも、十分にありがたいものである。
話に聞き耳を立ててみれば、どうやら冬前の会戦で早めに戻ったこともあり、今回の戦に軍を向けることに決めたらしい。
今回の戦では員数外に数えられていたものだから、援軍に来る、というのは計算外だった訳だ。
自領の統治をこの短期間に取り戻して軍を率いて戻るとは、貴族の務めをよく果たしたものだ、とは諸侯の言葉だ。
勝利の立役者となったノルン卿は、まさに英雄のような扱いだ。
「帰還の準備を始めますか?」
「うん? いや、少し待とうか」
エセルフリーダに問いかければ、そんな指示を与えられた。
どういうことか、と首を傾げる。とりあえず会戦は勝利に終わり、後は撤収するのみではないだろうか。
やはり周囲の兵らはいそいそとその準備をしている。
「兵らは待機を、ヨアン、君はそう伝えておいてくれ」
「了解しました」
エセルフリーダから兜を受け取る。彼女はそのまま、軍議の行われる天幕へ向かうようだった。
「待機、かぁ」
バーナードが頭頂の薄くなった髪をガシガシと掻く。
鉄兜を常に乗せている物だからそうなるのだ、と言われると少々、恐くなる。
言われてみれば、傭兵らの中には禿頭の者も少なくない。
「まぁ、ノルンとこの旦那も来たばかりだしなぁ」
「どうせならこのまま攻めたいって所だよな」
傭兵らが話すのを聞けば、どうやら戦闘は続くものと予想しているらしい。
獅子王国の本隊はここで下がるが、それとは別に諸侯の隊が戦線を押し上げに向かう、という訳だ。
本体は春を待って動くにしても、ただ放っておいてはこの勝利が無意味になってしまう。
「上手くいけば、このままリュングを取り返せるかも知れないしな」
楽観的な予測、ともいえないものだった。
敵勢の様子を見るに、どうやら、足並みを揃えて動いている様子ではない。
竪琴王国による攻撃、というよりは、一部の諸侯の連合軍による攻撃、というのが正しそうだ。
それを噂していたのは、軍についてきた吟遊詩人……というより、紋章官見習いといった風情の者だった。
彼らは戦の詩を唄うだけあって、軍事や諸侯についても詳しい。
歌には興味がないが、彼らの言葉は意外と的を得ていることも多く、無視はできない存在だった。
「でも、補給の辺りはどうするのでしょうか」
と、問いを口に出そうとして気づいた。いつの間にやら、と言うべきか、従軍商たちが既に砦には居た。
商魂逞しいというか、兵らから戦利品を買い取ったり、その兵らを相手に物を売ったり、いつも通りの戦場の様子になっている。
雇われた護衛や、付き物の様々な職の者らや、兵の妻子といったもので、対象は実に賑やかなものだ。
「これは、続けるしかないのかもしれませんね」
物資の輸送というものは、おおよそ彼ら従軍商が担っているものである。
戦と聞いて駆け付けた彼らは、それまでに十分なだけの糧秣などをかき集めてきただろう。
ここで戦は終わりです。等と言ったら、大赤字となるのではないか。
ヨアンの視線を追ったバーナードが、ああ、と首を縦に振った。
「まぁなぁ。売れないよりは多少なりとも売れた方が良いだろうしな」
「烏みたいなやつらだが、居ないと困るんだよな」
自らは命を賭けないで金だけを巻き上げていくとして、商人は傭兵らからの評判が低いものだったが、それでも、彼らが居なければ何も回らないのは確かだった。
金さえ払えば、というのは翻って、金がなければ生きるのに必要な諸々すらも渡さないということで、その結果、盗賊に身を落とした者から狙われたりもするのだが、そこはそれである。
「いつも通りになるってこった」
今度は諸侯が主力となって、従軍商が兵站を担う訳だ。それがいつもの方法である。
馬の手入れをして、腰かけて休んでいれば、エセルフリーダら諸侯が天幕から出てくる。
「諸君、ご苦労。疲れているところ悪いが、我々は明朝から竪琴王国の軍勢の追撃に移ることになった」
一言目からしてそれである。大方予想はついていた事なので、傭兵らは特に顔色を変えることもなかった。
幾つかの隊では驚くような声が上がっているが、彼らが共に戦闘に向かう者だろう。
砦の中は俄かに慌ただしさを増していた。帰る者はゆっくりと、追撃に向かう者は慌ただしく、商人らも話を聞いたか、旅に出る準備をしていた。
「いよいよもってリュングに入るのか」
「そうか、そうなるんだよな」
感慨深そうに古参の傭兵らが言う。リュングは山の上にある城だけではなく、その麓の平原までも含めた広大な地帯を指すものだ。
かつては辺境領として、リュング辺境伯が治めていたもので、竪琴王国との国境を挟むそこを治める者は勿論のこと、大領主だった訳である。
現リュング城伯を中心とした者らが分割するまでは、ということだが。
リュング出身の者らからなる古参傭兵達であったが、彼らの住んでいた村々は離れていたりする。
山の向こう側、竪琴王国側の村出身の者すら居るものだから、リュング辺境伯、ひいてはその継嗣であるエセルフリーダがどれだけ慕われているものか、という事が解ろうものだ。
「俺の村も遠くはねぇ。こりゃ、立ち寄ることもできるかな」
「そうなると良いな」
「ああ、もう数年ぶりだ。あいつら元気にやってるかな」
傭兵らの顔は総じて明るい。それもそうだろう。数年来の悲願に一歩近づいたのだから。
ヨアンもまた、胸元に下げた護符を握りしめる。その間に倒れた者も少なくないのだ。
「さて、そうと決まれば準備していくぞ」
「応!」
バーナードの声に応える傭兵らの声も、気合が入っているように思えた。




