5.一石
寄せては返す波のように、海が変わらずあるように、戦場もまた、変らずにあった。
正面衝突となって、両軍数日と続けば息切れを起こし始めてはいる。
戦闘での負傷者の数もさることながら、冬の気候で凍傷や肺病といったもので歯抜けになった軍は、既に機能不全も目の前だ。
とはいえ、どちらもここで退く気はないらしい。このままだとまた、互いの陣に引きさがっての睨み合いとなるだろうか。
「結局、どうして冬の開ける前に出てきたのやら」
「さぁな。それほど焦る理由もないと思うんだがなぁ」
いささかうんざりとした気持ちでぼやいてしまうのも仕方あるまい。
後方を抑えられた時には一時欠乏しかかった食糧なども、今は備蓄が出来て戦線は安定している。
敵方については解らないが、どうやら物資不足を期待することはできない様子だ。
「一体どこから持ってきているのやら」
「あんまり考えたくはねぇんだが、村からじゃねえか」
「また戦後大変そうですね、それは」
農村にとって、冬越しというのは一大事業だ。
毎年、夏に麦の収穫を終えてからその後は、ただただ冬に向けた準備といった印象だ。
だからこそ、春の訪れほど嬉しいものはないのだが。
「今年は、冬明けだからと言ってもいられなさそうですね」
「まぁなぁ。農村という訳でもないからな」
「収穫祭とか懐かしいなぁ」
話を聞いていた傭兵の一人がしみじみと言う。
そうか、傭兵となれば収穫などとも無縁であるから、季節ごとの行事もないのか。
そう考えると寂しいものである。ヨアンはふむ、と息を吐いた。
「まぁまぁ、俺らにゃ俺らの仕事があるだろ」
「一仕事終えりゃ、祭りも目じゃねぇ」
そうだそうだ、とばかりに傭兵らが盛り上がっていく。
ただの農夫と比べれば、傭兵の方がその得られる報酬は遥かに多い。
一般に雇われた兵、平民の兵では食事こそ保証されても、領民の義務としてほぼ無償ということも少なくない。
そもそも、農夫は仕事ではない。生業、と言えば良いのだろうか。生きるためにそれをしているだけで、報酬と呼べるものもない。
だから必ずしも、兵として動員されることは悲劇ともいえない訳だ。
農家の次男三男が多い、という事は知っての通りだが、そもそも、彼らはそのままでは食いっぱぐれるのだ。
食べるための戦争で、食べるための生業。生きるために生きるというのが、平民にとっては自然なことだ。
とはいえ、それだけでは如何ともしがたい所で、だから、戦地での略奪や追いはぎめいた戦利品の獲得は許されるのが通例だった。
何とも味気ないように感じるが、その中でも人々は楽しそうに生きている。それをヨアン自身知っている。
農村での暮らしを恋しいと思わないこともない。
ヨアン自身は恵まれた待遇であるという自覚はあるが、それでも農夫らに混じって鍬をもって畑を耕し、収穫の為に大鎌を振るっている時には彼らが眩しくみえたものだ。
「ま、肉も酒も嫌という程、ってのはこの仕事の特権だな」
「それに、盗られない、っていうのもな」
古参の者らは本来がエセルフリーダの領民なのだから、その理屈でいけば無償でも良いようなものだが、そこはそれ、傭兵という身分として扱っている。
どこからそんな資金が出るものか、という所だが、それはエレインの書類仕事を見ていればわかることで、その実、綱渡りのようなやりくりをしていた。
「伝令!」
すわ、何事か、と飛び込んできた騎手を誰もが振り返る。
この前は悪い報せを持ってきたものだが、今回もまた、何か厄介なことが起きたのだろうか。
王の下に駆け込んでいったそれを見た者は、誰もが不安げな表情を浮かべた。
最前線は今も変わらず、竪琴王国との衝突中である。しかし、そこに変化が見えた気がした。
「何が起きた?」
「いや、まだ解らんが」
「どうだ兄ちゃん、何か見えるか」
「いえ……」
馬に跨った分だけ他の者より高い視点から、首を伸ばして周囲を見渡すが、何が起きているのかは見て取れなかった。
何やら喇叭の音が聞こえるが、入り混じって何の指示かもわからない。
戦線が揺れ動いているのは確かだが、どちらの軍勢が押しているかも定かではなかった。
エセルフリーダの方を見れば、その鷲を思わせる目を閉じ、何かを待つようにそこへ佇んでいる。
葦毛の馬、白銀の鎧、白皙の肌、白金の髪。大理石の彫像のように彼女はそこにある。
「援軍だ」
「本当かよ」
ざわざわと、王の隊から囁き声が広がっていく。
援軍は来ないというのが事前からの話だった。春を待って、というのなら計画通りに動くはずだが、まだ冬は開けていない。
動き出したのは何処の隊だろうか。目を凝らしてみれば、確かに戦線右翼に新たな隊が加わろうとしているようだ。
「旗印は見えるか」
「いんや、さすがに遠すぎだぜ。青っぽいって程度にしか」
ヨアンからは旗がある、というぐらいにしか見えず、色も黒く見える程度だ。隊で一番目が利く例の弓兵頭にも旗印までは未だ見えないらしい。
遅れて、王の隊から喇叭の音が戦場に響き渡る。
「全軍、前進か」
どうやら援軍に来た隊は、数はそれほど揃っていないようだが、それでも今の状況を変えるには十分に思えた。
事実、突然の事に敵軍は後退を始め、友軍は意気軒高といった様子で前進を始めている。
それならば、この勢いに乗って進軍するべきだろう。
伝令が増援に来た隊に向かって矢のように走るのを見送りながら、兜の緒を締めた。
「お館様」
「ああ。前進する」
長い一日になりそうだ。そっと溜息を吐いて、ノルンの腹に拍車を添えた。




