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6.往生

 その変化は唐突だった。


「なぁ、兄ちゃん。良かったらこれ貰ってくれや」

「これは?」


 プラットがヨアンに差し出してきたのは、年季の入った首飾りだった。

 擦り切れてその図柄ははっきりとしないが、かつては聖人が彫られていたのだろうことが窺われた。


「お守りだ。今まで持ち歩いてて、矢玉に当たったことはねぇな」

「でもそれは、プラットさんに必要なのでは」

「いや、もういいんだよ」


 その表情はとても穏やかではあったが、どこか、こうすることが義務だからこうしている。というような、よそよそしさを感じた。


「……娘さんと再会する、って言ったましたよね?」

「あ? ああ、そうだな」


 その言葉がとても場違いなように、彼は目を見開いて驚いた様子で答えると、口をもごもごと動かした。

 何かを口の中で呟いているような様子である。


「ま、良いんだよ、もうそんなことはな」


 どこかおどおどと目をそらす彼の姿に、ヨアンはもはや何も言えなかった。


「なあ、人は死んだら何処へ行くんだろうな」


 彼はどんな言葉も求めていないように見えた。

 何か質問じみた事を呟いては、答えを得る前にまた別の話を始める。

 それはおそらく、誰かに聞くのではなく、自身に問いかけたものが口から零れているだけだろう。

 時折ヨアンが尋ねかければ、自分で言った言葉にようやく気付いた様子で、それが突拍子もない質問であるかのように目を瞬かせる。


「いいんだよ、いいんだよ。そんなことはな」


 村の事、家族の事、戦の事、そういったことを尋ねても、帰ってくるのは同じ言葉だ。

 これが昨日までと同じ人間なのかと訝し気に見てしまうのは、仕方のないことだろう。

 煩わしいという態度を隠そうともしなくなった彼の目を覗き込んでみれば、拒絶と、恨みにも似た否定の色があった。

 もはや、何も理解できない。それは生きる者が生きることを話しているからだ。死者の側にはそれは意味がないのだ。

 そう語っているような目に、ようやくヨアンはどういう事なのかを理解した。


「既に彼はここには居ない」


 そう口に出してみれば、これ以上にしっくりと来る言葉はなかった。

 その夜まで、何か異質なものとなってしまった彼と共にいるのは、苦痛と言ってもよかった。

 これまでその人となりを聞いて知ってしまったゆえに、その変化は受け入れがたいものだ。

 死、というものが形をもってすぐ目の前にあるようで、居心地が悪い。


「プラットさんはもう……」


 夜、エレインがいつものように看護に来た時に、ヨアンにだけ聞こえるように囁いた。

 もしも、プラットに聞かれていたところで、彼は気にも留めなかったかもしれない。


「時々、あるんです。それまでは順調に治っていると思っていたのに、という事が」


 彼女は眉を寄せ、唇を曲げながら言う。自らの無力感を悔やむように、うなだれる様子に何もいう事はできなかった。


「おう、プラット、何か嬢ちゃんに言っておくことはあるか」

「応、そうだな、無事でいてくれたらそれでいい。幸せにな。って伝えといてくれ」


 顔を出したバーナードに問われて、実に事務的にプラットはそう答えた。

 最早、誰もがこれが最後だと疑う事もなく、古参の傭兵らが次々と顔を出す。

 そのたびにプラットは数瞬、こちらに戻ってきたように二言三言と返していった。

 やはりその姿はまだ死に瀕しているとは思えず、ヨアンは遠巻きにその様子を眺めていた。

 重苦しい雰囲気に何か感じるものがあったのか、村の若衆たちもだんまりを決め込んでいて、隊は異様な静けさに包まれている。

 時折、別の隊のはしゃぎ声が聞こえるのがひどく場違いで、いら立ちを覚えるほどだった。


「なぁ、ここ数年の付き合いだったけどよ、お前ら……」


 ここで彼は何か言葉を探すように目を泳がせた。


「良いやつだったよ」


 それだけ言うと、もう話すことも終わった、とばかりに目を宙に向けたまま口を引き結んだ。

 天幕の一点を、そこに何かがあるように凝視して、最後の一撃を待ち受けるような面持ちだった。

 幾度かエレインがその手を取って手首に指を当てたりとしていたが、その度に彼女は悲し気な面持ちで首を横に振った。

 処方する手もなく、彼には酒が与えられ、静かに唇を濡らすようにそれを傾けたのが、最後に意志を感じた動きだったように思う。

 変化が始まったのが唐突であれば、その終わりも唐突だった。

 彼が目を閉じて、浅い眠りについたと思えば、急に眼を見開き、最後のけいれんを始めた。


「また一人、か」


 その体がどこかへ飛んでいくかのように、古参の傭兵らの数人は彼の腕を抑えていた。

 そして、既に抜け殻となった体の、瞼を急いで閉じさせると、誰かが小さく呟いた。

 いつかは訪れるその最後を目の当たりにして、涙を流すべきだと思ったが、存外に瞳は乾いていた。

 もしも自らがそうなったとしても、同じように人は思うのか。


「こいつも早く還してやんねぇと」

「そうだな」


 重い体を数人で持ち上げて、陣を離れて行く。

 それの行きつく先は共同の縦穴と、心ばかりの祈祷。そして、簡素な墓標だ。

 忘れ去られるだけの存在となったそれを見て、ヨアンが感じたのは恐怖だった。

 他人の死というものには慣れているつもりだった。しかし、こうして突然ではなく、緩やかな死への流れを目の当たりにすると、背筋の凍る思いがする。

 彼が残した護符を握り、既に彼の顔も漠然としか覚えていない自身に驚愕した。

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