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9.小戦

 そんな日々が暫く続いた。すっかり作業と化した両軍の衝突だったが、その日はどうにも様子が違った。


「右翼が出てきているな」


 馬上のエセルフリーダがふと呟いた。

 その言葉に敵の戦線を確認すると、確かにわずかに斜行して右翼、こちらから見て左翼側が前進しているのが見える。


「あの旗印は……何処のものでしょう」


 馬車から顔を出したエレインが首を傾げる。その手には、貴族、平民に問わず滅多に見ることない本がある。


「エレイン様が解らないという事はぁ」

「貴族じゃないのでは」


 エレインはどうやら紋章についての知識があるらしい。その手に持っている本は紋章学のそれだろう。

 貴族の紋にはそれぞれ規則があり、それを見るだけで生まれや系譜が窺えるものである。


「間違いないですな、あれは傭兵の紋だ」


 バーナードが遠方を確認して告げた。ヨアンにもようやく図柄が見えてくる。緑の地に剣が二つ交差した紋だった。


「ありゃ、ギブソンとこの傭兵隊じゃなかったかな」

「ギブソン……誰だったか」

「この前の会戦でも突っ込んできてた猪武者さんじゃなかったかしら」


 エセルフリーダとエレインはうろ覚えのようである。

 貴族だけでも数が多いのに、傭兵に至っては離合集散して無数に出てきては消えるのだから、覚えていられないのも当然だった。

 その中で目立とう、というのだから、自然と傭兵隊は何事も派手になっていくものである。


「ああ、あの猪か。それは本当に来るかもしれないな」

「では、私たちは一度後退しますね」

「うむ。全隊、移動準備! 目標、我が軍左翼!」


 ヨアンは戦闘の気配に馬を降りて、その手綱はエレインに預けた。


「よっとと、では、ご武運を祈っております」


 ごく自然に馬に跨って、エレインはそういうと双子の乗った馬車と共に砦へ戻っていく。


「結構、お転婆だったんだよ、姫さんな」

「はぁ」


 駈足で馬を走らせる姿は実に楽しそうである。馬車に乗せられていた鬱憤を晴らすようだ。

 本陣には休憩で隊の三分の一ばかりが残っているから、護衛としては十分だろう。

 というか、実はエレインも剣を振るえるという噂もあるのだが、ヨアンはその真贋は知らない。

 しかし、騎乗と剣術はおおよそ組み合わせて教えられるものなので、それもそうか、と言えた。

 獅子王国における貴族の子女、というのは、時に作戦指揮を任される立場として教育を受けているものである。

 どういうことかと言えば、戦に夫が出ている間、領地を守る義務がある以上、時に居住地が奇襲を受けることもある。

 そういうときに城の防衛指揮を執るのは細君の仕事で、実際、夫君よりも武名を馳せている細君が少なくはなかった。


「ほら、リュングって国境だろ。前の代から結構すごかったらしいぞ」


 と言われると、納得せざるを得ない。


「さーって、ようやく一仕事ってところか」


 敵軍との衝突にはまだ時間はありそうで、移動はどうやら間に合いそうだった。

 相も変わらず、中央と右翼側では矢玉の応酬が続けられている。


「いつも通りお貴族様らは動かずだな」


 互いの騎士隊、諸侯の隊は戦線の後方に配置されたまま、我関せずを貫く様子だった。

 近づいてみれば、苦い顔をしているのが見えたかもしれない。今のところは余計な衝突は避けたいというのが本音のはずだった。


「なし崩し的に開戦、とかはないですよね」

「あり得ん、とは言えないなぁ」


 軽率な行動から、大規模な戦闘となることもままある話である。

 今は黙って見ている諸侯の軍であるが、戦線が瓦解するような事態になれば手を出さずにはいられなくなるだろう。

 遂に左翼側では、打って出た獅子王国の隊と竪琴王国の隊の衝突が始まった。


「急ぐぞ! 駆け足だ!」


 エセルフリーダ隊は加勢に向かうために走る。両軍の衝突は教科書通りと言うべきか、槍を打ち合ってぶつかり合うものだった。

 こうなると戦線は膠着する。敵側の援軍が来る前に到着したいところだった。


「弓兵構え!」

「息つく暇もねぇ、っていうのは」

「こういうことを言うのかねぇ!」


 左翼を大回りして、隊は敵の側面につくと、弓兵が矢を射かける。そうなると、焦るのは敵軍だ。


「横槍とは!」

「ちまちま射ってねぇでさっさと来いよ!」

「卑怯者!」


 などと叫んでいる。歩兵の最前列以外は、戦闘に参加せず控えているものだが、そこを射られては堪ったものではない。これで隊列を崩そうものならそこから一気に部隊が崩壊するのだ。

 もちろん、ただ静観している訳ではない。隊の射手らが、すぐに応射を始める。


「へん! お前らが一発射るごとに三発は射返してやるわ!」


 とはエセルフリーダ隊の長弓兵の言葉である。相手側は弩を用いており、その威力は目を見張るものがあったが、いかんせん、再装填に時間がかかる。

 この距離まで近づいた時点で、長弓兵に分があるのは確かだった。


「ぐっ!」

「おい! こいつを後ろに下げろ!」


 傭兵の一人が矢玉を受けて負傷した。確実に当たる、という距離ではないために、先ほどから恐ろし気な風切り音が時にすぐ横を、時に頭上を飛び越えていく。

 また一人、今度はヨアンの前に立っていた兵がくずおれた。


「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、俺は歩ける。気にするな」


 わき腹を射抜かれた彼は、這うようにして部隊の後方へ向かう。

 前列に立ってみれば、射的の的になった気分だ。当たるか当たらないかは完全に運試しである。

 エセルフリーダは、逸る兵を、最前列に堂々と立つことで静かに留めている。当然のように狙われるが、それを見ると、早々に当たるものではないということがわかる。


「そろそろ潮時か。全隊!」


 長い間互いに射掛けあっていたように思えたが、その実どれほどの時間が経っていたものか。

 弓兵が矢筒を半分ばかり射たところで、エセルフリーダは号令をかけた。

 これからは当たるか当たらないかわからない弓矢ではなく、白兵戦の始まりである。

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