第21話 デートが終わり
「今日はありがとう」
「こ、こちらこそ……」
駅前で香澄さんと最後の言葉を交わし、そして改札をくぐり抜けたあと、それぞれの路線へと乗って帰路に着いた。
「ふう…………きんっちょうしたぁぁぁぁ……っ!!」
まだ夏でもないのに、体中がじっとりと汗ばんでいる。
これ以上の緊張は、きっとしばらく体験しない気がする。
そもそものきっかけは、椎木先輩の一言だった。ラブコメを書くなら、まず実体験を増やせって。それがこの映画デートへと繋がった。
本物のデートって、想像以上にドキドキする。頭がまったく回らないし、ちゃんとプランを決めておかないと、あとで慌てることになるんだって、身をもって知った。
香澄さんが楽しんでくれたのか、これでで良かったのか、全然わからない。
結局、映画を観て、カフェのドリンクをベンチで飲んだだけ。
でも――正直、今日はこれが限界だった。
これ以上一緒にいても、うまく会話できた自信がない。たぶん、ぐだぐだになる未来しか見えなかった。
ひとまず、今日はこれで精一杯だった。お疲れ様だ、俺。
◇ ◇ ◇
「ノーラぁぁぁぁぁぁっ!!」
「お、お姉ちゃんっ!?」
帰宅して最初にしたのは、小さな妹・ノーラの胸元に思いきり飛び込むことだった。
ふわっと香る家族の匂いに、全身の力が抜けていく。
やっと、張り詰めていたものを解いていいと、心が言ってくれている気がした。
「あぁ……私、ちゃんとデートできたかなぁ?」
「見てないからわからないですけど、可愛いって言われましたか?」
「え……ぁ…………一応」
「なら、良かったじゃないですか」
「そうなのかなぁ。うまくできたかなぁ……」
デートは、たしかにとっても楽しかった。
でも、彼がどう思っていたのかはまったくわからない。
緊張しすぎていたせいか、細かいところはもうほとんど思い出せない。
ナンパから助けられて、映画を観て、クラスメイトに遭遇して、ドリンクを飲んで……。
ああ、思い出せないのは映画の内容だけだ。
彼はずっとかっこよかった。ナンパから救ってくれたときは、本当に王子様みたいだった。
あんな気持ちになったのは、小学二年生の夏以来かもしれない。
「お姉ちゃん、もっと自信を持ったほうがいいです。お姉ちゃんに迫られて嫌に思う人なんていないと思います」
「せまっ!? 私がそんなことできるわけないじゃない!」
「だから、自信を持ってください。そのデート相手だって、お姉ちゃんとデートできて、嬉しいに決まってますから。じゃなきゃ誘ったりしませんよ」
「うん……そうだったら良いな……」
月曜日、どうやって素直と顔を合わせよう。
だって、彼と私は隣同士の席なんだから、避けようとしたって、きっと避けきれない。
少しだけでも、私は前に進めたのかな。
私は小説投稿サイトを開き、『ジニアな私と最愛の彼』に今日のことを綴った。
『彼はいつでも私のヒーローで王子様だった。
今日もそうだった。
私がうまく笑えていたかなんてわからないけど、それでも、彼はずっと隣にいてくれた。
助けてくれたときのあの真剣な顔は、たぶん一生忘れないと思う。
そのあとの内容はまったく覚えていないのに、不思議と彼の横顔だけは鮮明に残っている。
ドリンクの味なんて緊張でほとんどしなかったけれど、それすらも特別に感じた。
隣に座るだけで、こんなにも胸が高鳴るんだって、はじめて知った。
次に会うとき、私はもう少しちゃんと、話せるといいな。
――もう一度、手を繋いでみたいな』
◇ ◇ ◇
ホームルームを告げるチャイムが鳴った。
でも、いつもなら隣に座っているはずの彼が、今日はそこにいなかった。
「おーい席に座れよ〜」
教室に入ってきたのは、文芸部の顧問でもあり担任でもある京本先生。
そして彼女は、ある連絡事項を口にした。
「越智は今日、風邪で休みらしい〜。悪いが委員長、放課後にプリント届けてもらえるかー?」
「わかりましたっ!」
え、え……風邪!?
昨日まであんなに元気だったのに?
もしかして……私とデートしたせい……?
心配でたまらない。
LINEで連絡したほうがいいかな……いや、でも風邪で寝てるなら……迷惑かもしれない……。
そんなふうにあれこれ考えているうちに、あっという間にホームルームが終わってしまった。
「香澄さーんっ!」
ホームルームが終わるなり、まっすぐ私の席へやってきたのは、クラス委員長の庵野さんだった。
「これ! 越智くんのプリント! 良かったら一緒に届けに行こっ! ついでにお見舞いもっ」
「え…………行くっ!」
私はその提案に思わず飛びついた。
放課後――今日は部活を休んで、庵野さんと一緒に素直の家へ向かっていた。
あの時以来、一度も行ったことがない素直の家。
先生に教えてもらった住所を頼りに歩いていくと、二階建ての立派な一軒家が目の前に現れた。
「越智くんの家……でっかくない?」
「うん、おっきい……」
「良い家に住んでるな〜」
ピンポーン。
庵野さんが迷いなくインターホンを押す。
私はといえば、緊張でどうにかなりそうなのに、彼女はぐいぐい進んでいく。
その勢いに、ちょっと気後れしてしまいそうになる。
『あらあら〜。どちら様かしら?』
インターホン越しに聞こえたのはおっとりした声。
素直の母親らしいその人は、声だけでも優しさが伝わってくる。
「私、同じクラスの庵野と申します! もう一人クラスメイトと一緒にプリントを届けに来ました! あと、迷惑でなければお見舞いも……!」
すごい。やりたいことを全部伝えた。
お見舞いは迷惑かもしれないって、私はあれだけ迷っていたのに。
聞くだけならいいんだって、その行動力に素直に感心する。
『あらあら〜。ありがとう。素直も喜ぶわ。どうぞ上がって』
「ありがとうございますっ!」
こうして私たちは、プリントを届けるだけじゃなく、お見舞いまでさせてもらえることになった。
玄関から現れたのは、予想どおりおっとりとした優しげな女性だった。
その包み込むような雰囲気に、どこか素直の面影を感じる。
「「お邪魔します」」
二人でそう挨拶をして靴を脱ぐと、ふと違和感に気づく。
「あ、もう一人お友達がお見舞いに来ているけど、仲良くしてあげてね〜。素直の部屋は二階に上がって奥よ〜。私はリビングに隣接した部屋で仕事をしているから、何かあったら呼んでね〜」
「わかりましたっ!」
玄関に揃えてあった靴――それは、小さめのサイズのローファーだった。
友達……?
でも、素直の友達のことなんて、あまり聞いた覚えがない。
文芸部の他の二人なら、今日はLINEで部室に行くって言っていたし、違う。
じゃあ……誰?
私の胸の奥が、ざわざわと騒ぎ出した――。




