第17話 誘い方
懐にしまった映画チケットを取り出しながら、俺は香澄さんを誘う相談をするため、『山林堂書店』へ向かった。
店内に入ると、以前と同じく緑色のエプロンを着た真幌が、本棚の整理をしていた。乱れた本を整えたり、並び順を見直したり、慣れた手つきで動いている。
「――真幌、ちょっといい?」
「わっ、びっくりした〜。素直じゃん、どうしたのさー」
背後から声をかけたことで、真幌は驚いた表情を見せる。
俺は軽く手を上げ、「ごめんごめん」と言いながら本題を切り出した。
「実はさ、文芸部の部長に映画のチケットもらったんだけど――」
「ま、まさか私を誘いに!? へえ〜、素直ってそういうことするんだー」
ニヒヒと笑う真幌の顔を見て、本当の理由が言いにくくなった。
けれど、俺は正直に話すことにした。
「えっと……違うんだ。あくまで、あくまで椎木先輩――部長が言ったことなんだけど、香澄さんを誘えって……」
「素直〜。結構ショックなんですけどー? 一応私も一人の女の子なんだよー? 期待させるようにチケットの話とかさ〜」
「ご、ごめん……」
「――てーのは、うそ! そんなことじゃないかって、ちゃんと思ってた!」
「な、なんだよ……驚かすなよ」
「さっき私を驚かせた仕返し〜」
真幌は、こうしてよく俺をからかう。
本当に傷ついたのかどうかはわからないが、笑ってくれているのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「それでさ……どうやって誘えばいいか悩んでて。真幌くらいしか相談できる相手いないんだ」
「も〜、ほんとにしょうがない男だなぁ……私、あと少しでバイト終わるから、ちょっと待ってて!」
「ありがとう。本でも見て待ってるよ」
そうして俺は、真幌のバイトが終わるまで書店内をうろうろと見て回った。
真幌のバイトが終わり、一緒に店を出た後、どこで話すかという話題になった。
「久しぶりに素直の家、行ってみたいなー。ね、どう?」
「いや……姉ちゃんがいる時は、あんまりゆっくり話できないし……」
「うーん。あの人、会ったらすぐに私の胸揉もうとしてくるからなー……確かに、落ち着いて話せる空気じゃないよね」
姉は女性に対して特に積極的で、漫画のネタになるといろいろと距離感が消える。
真幌も何度となくその被害を受けてきた。
「じゃあさ、真幌の家は? 俺もしばらく行ってないし!」
「…………ねえ」
「え、なに?」
「はぁ…………わかった。私の家ね、いいよ」
「……?」
真幌はなぜか一拍間を置いて、了承してくれた。
真幌の家は俺の家から歩いてすぐのところにある。
小さい頃は何度もお互いの家を行き来していた。でも中学の後半からはその回数も減り、高校に入ってからは一度も行っていなかった。
「うわぁ、久しぶりに来たけど……相変わらず本の量がすごいな」
俺たちは、オタク趣味が共通していたことから仲良くなった。
彼女の書棚には漫画やラノベがぎっしりと並んでいて、俺の部屋にも置いてあるようなタイトルも多く見かける。
ただ、昔に比べて小物やインテリアに女の子らしさが増えていて、趣味の変化を感じさせた。
「ねえ、ジロジロ見回さないでよねー。素直でも、それはダメだからね?」
「だって久しぶりに来たし、気になっちゃうだろ」
「ほんと、アンタって……こっちの気も知らないで」
「えっ、どういう意味だよ」
「素直には教えてあーげないっ」
そんな軽口を交わしながら、テーブルを挟んで座る。
俺は例の映画チケットを差し出し、期限が一週間後であること、香澄さんをどう誘うか迷っていることを話した。
すると真幌は、即座に的確な提案をくれた。
「部長さんには、“ラブコメを書くために”って言われたんでしょ?」
「うん、そう」
「素直はさ、たぶん『部長に言われたから』ってそのまま言うつもりでしょ?」
「な、なんでわかった!?」
「素直だから」
「なんだよそれ……」
俺の性格を見透かすように言う真幌。
けど、彼女の言うことがよくわからない。
「素直って、ほんと女心わかってないよね〜。そんな風に誘われて、喜ぶ子がいるわけないでしょ?」
「う……」
「せめて“自分の意思で誘った”って見える言い方にしなよ」
「確かに……」
「たとえばさ、ちょうど今『メリポタ』のスピンオフの『ファンタスティック・モンスター』やってるじゃん? 同じ文芸部なら興味あると思うし『観に行かない?』ってストレートに言うの」
「結局は直球作戦か……」
「あと、『他に誘える人がいないから』ってのも絶対ダメだからね」
「うわ、それも言おうとしてた……」
「一緒に作品の勉強したいとか、そういう前向きな理由ならアリだよ」
真幌は、まるで台本でも読んでるかのように、すべてを指摘してくる。
ここまで手取り足取り教えてもらって、それでも誘えなかったら……俺はもう終わってるだろう。
「……お前って、本当すごいな」
「当たり前でしょー。うまくいったらスイーツくらい奢ってねーっ」
真幌はそう言って、俺の額を指でコツンとつついた。
昔から変わらず、頼りになる幼馴染だ。
俺は真幌に礼を言い、すぐ近くの自宅へと帰っていった。
◇ ◇ ◇
「――ねえ、私がずっと素直と一緒にいるの……幼馴染で趣味が合うから、って理由だけだと思う?」
彼が去った後の玄関で、私はぽつりと呟く。
転機は、中学三年の夏。
素直はサッカー部で最後の大会に向けて、毎日練習に励んでいた。
私は家業の書店を手伝いつつ、部活がない日は彼とよく遊んでいた。
その日、彼の好きなラノベの新刊が出ると知って、部活帰りの素直のために二冊分を購入し、家で待っていた。
けれど嬉しさが勝って、私はじっとしていられず、ラノベを手に学校の方へ向かった。
そして、下校中の素直を見つけた私は、青信号になった瞬間、横断歩道を渡り駆け寄っていった。
だがその瞬間、彼はいつも通り笑うことなく、慌てたように走ってきた。
――気づけば私は、彼に突き飛ばされていた。
何が起きたのかわからず起き上がると、素直の姿が見当たらない。
慌てて名前を呼び、周囲を見回した。
素直は、交差点の中――車道の中心で倒れていた。
最初に彼に駆け寄ったのは、車を運転していた男性だった。
泣きながら、後悔の言葉を繰り返し、必死で呼びかけていた。
――素直が、車に轢かれた。
やっと状況を理解し、私は彼に駆け寄った。
血を流して動かない彼を前に、私はただ泣き叫ぶことしかできなかった。
幸い、素直は命を取り留めた。
頭を打ち、骨折はしたものの、命にかかわるような重傷ではなかった。
目を覚ました彼は、自分よりも私の安否ばかりを気にしていた。
私は泣きながら彼にすがり、無事を喜んだ。
けれど――彼は、その怪我のせいで最後の大会に出られなかった。
私は謝り続けた。でも彼は「気にするな」と言って、それ以上は何も言わなかった。
私は、完治するまで彼のもとに通い続けた。
けれど私は――もっと大切なものを奪ってしまっていた。
それに気づいたのは、その後の彼の変化だった。
彼が以前よく話していた“金髪碧眼の女の子”のこと。
たまに空を見上げて、嬉しそうに語っていた憧れの彼女の話が、交通事故以来、まったく出なくなった。
次第に理解していったこと。素直の記憶は断片的になっており、いくつかの記憶が消えていること。
私は彼から中学最後のサッカーの大会を奪っただけでなく、記憶も奪ってしまっていた。
――だから私は、ずっとそばにいたかった。
そして入学式のあの日。
彼女を見て、すぐにわかった。
あの子が、素直の言っていた“彼女”だと。
素直はその子のことを忘れている。
でも彼女の方は、彼を見た瞬間、全てを思い出したような表情をしていた。
彼はもう、名前も覚えていない。
けれど、彼女に何かを感じているのは、きっと身体が覚えているから。
だから私は――この気持ちを隠していなければいけない。
だって私は、彼から奪いすぎてしまったから。
この想いを口に出す資格なんて、私にはないんだ――。




