第14話 ハプニング
昼食を取ったあと、山頂にある札の前で皆で写真を撮ったのだが、椎木先輩と俺以外のメンバーは酷い顔をしていた。
それから下山をはじめて三十分ほど歩くと、冷えた体もようやく温まってきた。
しかし、最初の脱落者が現れた。
「も゛う……だめ…………」
――ちまりだった。
一番体力がなさそうだったのが、このちまりである。
隣のるいるいは頂上で少し体力が回復したのか、なんとか歩けてはいたが、ちまりはどうやら限界だったようだ。
「ちょっと休もうか!」
ちまりの様子を見て、椎木先輩は少し開けた場所で休憩を取るよう提案した。
俺たちは近くの石に腰を下ろす。
「ちまりちゃん、どう? 休んだら歩けそう?」
「だめ……じぬ……」
「ふう……なら、しょうがないかぁ……」
ちまりの体調を確認した椎木先輩は、なぜかそのあとで俺の方を見た。
――悪い予感がする。
でもここは、男で一番力がある俺がやるしかない。
そんな場面だった。だから――
「俺がちまりを背負います」
「いいの?」
「はい。だから荷物の協力はお願いしてもいいですか?」
「もっちろん! 助かるぅ!」
椎木先輩が手伝ってくれるなら、ちまり一人を背負うくらいわけないはずだ。
「越智……ごめん。ありがとう」
「いいよいいよ」
ちまりは申し訳なさそうに言った。
この登山は、椎木先輩以外は誰も来たいと思っていなかったイベントだ。
来てしまったからには、協力して無事に帰るのが一番大切なこと。
俺は椎木先輩と荷物を分担し、小柄なちまりを背負った。
「だ、大丈夫か……?」
「ああ、ちまりは小さいから、思ったより軽いよ」
「それ……喜んでいいやつ?」
「もちろん」
そう言いつつ、背中には特大のマシュマロが押し当てられていた。
――なんだこれ……ッ!?
歩くたびにふにゅふにゅとした感触が背中に伝わってきて、どうしても意識してしまう。
ちまりは大丈夫なのだろうか……。
それに、一緒に歩いていた香澄さんからの視線が痛い。
ちまりと密着していることが気に食わないのか、じとっと刺さるような目だった。
しかし、トラブルはそれだけで終わらなかった。
「――きゃあっ!?」
「香澄さん!?」
下山をはじめて一時間が経過した頃だった。
香澄さんが葉っぱか土に足を取られて転び、尻もちをついたのだ。
俺はちまりを一旦下ろし、香澄さんのもとへ駆け寄った。
「大丈夫? 怪我は?」
「クラウディアちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
椎木先輩もすぐに駆け寄り、俺と一緒に心配の声をかけた。
しかし香澄さんは、心配されたくないのか、自力で起き上がろうとする……が――
「――――っ」
「ああ、これは……」
足に痛みが走ったようで、香澄さんは立ち上がることができなかった。
椎木先輩が確認すると、右足首をひねったようで、動かすと痛むという。
「ちまりちゃんも歩けないし、クラウディアちゃんも歩けない……分担するしかないか」
「ご、ごめんなさい……」
「いいのいいの。無理やり連れてきたのは私だしね」
香澄さんが申し訳なさそうにしていると、椎木先輩はポンポンとその背を叩いた。
だが、分担とはいえ――どうするのか。
俺と椎木先輩で、ちまりと香澄さんをそれぞれ背負うのか?
「わ、私……あと少しだから、がんばる。越智のおかげで体力も少し戻ったし」
「そうなの? じゃあ、クラウディアちゃんは越智くんにお願いしようかな!」
…………それってつまり、俺が香澄さんを背負うってことだよね?
「ジャージ忘れたり、教科書忘れたり……迷惑かけてばっかで……ごめん」
「ううん。ほら、俺たち同じクラスだし、同じ部活だし……助け合いだよ」
いつもの香澄さんとは違い、今日はどこか弱々しくて強がらない。
自分が迷惑をかけていると思っているのかもしれないけど、俺は全然そうは思っていなかった。
むしろ、進んで助けたいと思っていた。
◇ ◇ ◇
最近はドジばかり踏んでしまう。
どうしてこうなっているのかはわからないけれど、一つだけ心当たりがあるとすれば――目の前の素直の存在だ。
いや、素直のせいにしちゃだめだ。
今だって、私が勝手に転んだだけ。
足をひねった私のために、素直がしゃがみこんでおんぶの体勢を取っている。
胸がドキドキして、どうにかなりそうだ。
いいのかな。――いや、いいよね?
「香澄さん……?」
「あ、うん。じゃあ……重かったら、ごめんね」
私はそっと背中に体を預けた。
「落ちないようにちゃんと掴まってね。絶対、離さないから」
「〜〜〜〜っ。わ、わかった……!」
“おんぶ”の言葉のはずなのに、別の意味にも聞こえてしまった。
変な想像をしてしまい、顔が一気に熱を帯びる。
彼の首に手を回し、ぎゅっとしがみついた。
「よし、じゃあしゅっぱーつ! あと三十分くらいだよ! ファイト〜!」
椎木先輩が明るく声を上げ、私たちは再び下山を再開した。
「香澄さん、大丈夫?」
「うん……大丈夫」
素直は、何度も何度も私の様子を気遣ってくれる。
足は痛むけれど、その回数が多いことが、少し嬉しかった。
ふと、彼の髪の匂いがした。
シャンプーなのかワックスなのか、ジャージの匂いとは別の優しい香り。
顔が近い。こんなに近い距離で、私はどんどん体温が上がっていくのを感じた。
昔は体が弱くて、運動なんて全然できなかった。
今こうして登山をしていることは、それだけで大きな一歩なのに……最後まで歩けなかった自分が、ちょっと悔しい。
けど、こうして素直に密着できたのは、――正直ラッキーだった。
いつの間にか、こんなにガッシリして……大きくなったんだなあ。
本当に、私の知ってる頃の素直じゃない。
「私、おっきいから……重いよね?」
「これくらいわけないよ……ちゃんと最後まで背負うから、安心して……っ」
「うん……ありがとう」
ちまりちゃんと比べたら、私はかなり体格があるし、当然重いはず。
見れば少し無理をしているようにも見える。でも、言葉では嫌なそぶり一つ見せずに歩いてくれている。
強がりなのか、それとも男のプライドなのか――。
でも、弱っているときにそんな姿を見せられたら、どうしてもカッコよく見えてしまう。
ああ……好き。やっぱり好き。いつかちゃんと、伝えたいな。
◇ ◇ ◇
うおおおおおおおおおお!?
香澄さんが、俺の背中に……!?
いやいやいや。こんな美少女が……ちょっと待て!
汗かいたはずなのに、すごくいい匂いがするし……それに、胸が……ッ!
たしかに、人を背負うのは大変だ。
でも、それ以上にこれは……ご褒美じゃないか……!?
ちまりは“妹”って感じだけど、香澄さんは、どうしても意識してしまう。
俺の欲望よ……鎮まれ。香澄さんは今、弱っていて、俺に体を預けてくれてるんだから。
余計なことは考えずに――
「素直っちはお得だね〜。ちまりんとクラウちん、二人分の胸を堪能できて〜」
てめえええええええ!?
「お、俺はそんなこと考えてないっ!」
「あー、焦ってる〜。図星だぁ〜」
「か、香澄さん……違う……違うからね……!」
胸のことなんて考えてない。……いや、考えてたけど!
でも、ここはちゃんと否定しておかないと、いつかのように制裁が――
「――越智くんの、えっち」
耳元で、俺にしか聞こえないような小さな声がそっと響いた。
あああああああああ。
俺はもう、恥ずかしさでいっぱいになって、それから香澄さんと一言も話せなくなった……。




