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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第六章 混沌の大地
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第十話 混沌の大地



 嵐のような衝撃が走り抜けた。

 異界の魂達は吹き荒れる嵐の中、表を見ながら裏を見て、裏を見ながら表を見る。

 何が起きたのか、察したものは必死に泳ぎ――察せない者達は、単純に吹き飛ばされないように。溺れない様に。


 あるものは襲い来る波に慌てふためき。飲まれ、振りほどかれないようにしがみついた。

 あるものは飛べる距離を冷静に見据えた後、諦めて戻る。この嵐の中、戻れるとは限らぬ、期待はずれだと。

 あるものは幸運にも、乗った波で己の窓辺にたどり着き。

 あるものは――


 届いたもの、届かないもの。

 誰が戻れて、誰が戻れなかったのか。


 ここより語られなかった者達は、『現実に戻って普通に暮らしましたとさ』と言うピリオドを各人打っていただくのが良いだろう。


 そちらの方がよほど良い。


 心配した家人の手によって病院に担ぎ込まれたものあり、手元にあった携帯で救急車を呼んだものあり、あるいは台所の蛇口にたどり着き、貪るように水を飲み干すものあり、と。水なし、食料なし、部屋の中は糞と小便まみれ。おおよそ、人としての恥をかくだけかいて、廃人なんざ二度とごめんだ、と。他の奴らに『お前達は何をやっていたのか』と問われても、上手く答えられない朧の記憶に飲まれて。

 名も覚えていない、確かそんなMMO(ネットゲーム)があったような、そんなものもあったかなぁ、確か相当楽しかったけれど――なんだっけな。

 そんな、酒を飲んだ時の与太話になる程度に風化して。

 寝食忘れて、馬鹿みたいに時間をつぎ込んだ事もあったっけな――程度に美化された、そんなお話に。





『彼らは晴れて、元の真人間に戻れましたとさ』

 そういう事にしておいた方が、寝覚めが良い。









 人を廃するほどやりこむから、廃人。

 大抵の場合、廃人の第一義はそのゲームの中でのテッペンをとることだ。

 では、四六時中、ただがむしゃらにゲームをプレイしていたら、テッペンを取れるのか?


 答えはノーだ。


 人の時間は皆共通。二十四時間しかない。人である以上、この限界は突破できない。

 故、廃人であろうとすればするほど。二十四時間を効率良く過ごさねばならなく、否が応でもシステムに通じなければならなくなる。未知のシステムが既知のシステムになるまで。ノウハウが見つけ出されるまで、情報は解析される。ブラックボックス化した世界を解き明かし、何をしたらどうなるか、マスクされた細かい変数の挙動を探り……。


 とても一人で歩むことなど、出来るわけがない。


 だから、廃人は廃人同士でつるむと言うのは事実である。トップを取る為に、つるまざるを得ない。だから、エムオーはエムオーで、自らが廃人と呼べる奴らをかき集めた。仲良くもなった。縛りすぎず、縛られすぎずの関係も創り上げた。


 全ては、この世界でトップになる為だった。

 ――では、トップになったとはどうやって判断すれば良いのか?


 主観的ではなく、客観的な世界でなければ、エムオーの欲望は満たせない。

 廃人であるが故に、あろうとするが故に、この世界では彼の欲望は満たせない。

 だからこそ戻らなければならなかったのだが――


 砂のついた頭を、ぶるぶるとエムオーは振るった。じゃりじゃりであった。ついてきたお邪魔虫は未だに目をぐるぐると回している。

「あー……まじで、ファック」

 大波。吹きつけた衝撃。恐ろしい勢いで荒れ狂う嵐。しかし、エムオーが期待したほどではない嵐が過ぎ去った。

 この、期待したほどではなかった理由は、なぜか?

 エムオーは考える。考えた結果、一つの推論にたどり着く。


 輪ゴムをぐるぐると捻って、両端を離すとどうなるか?

 大概、輪ゴムは元の綺麗な形状を取り戻さない。特に古い輪ゴムの場合は、ねっちょりと粘りつき、ダマになってこんがらがる。多方向に捻っているのであれば、尚更だ。

 一気に溜め込んだエネルギーを開放しきれなかった事や、世界そのものの粘性やらを考慮しなかった事が、期待したほどの勢いを生み出さなかった原因だろう。


 とはいえ、最後の最後でエムオーもイモを引かなければ、狂気のまま、アクセルを踏み込んで行けば。小細工を弄さず、勝算を考えず飛び込めば、もしかしたら――

「ゼロは乗った……かな」

 嵐の中、打ち寄せる波の中、エムオーはゼロが飛び込むのが見えたような気がする。

 舌打ち一つ。自分では出来なかった事をやった奴への、賞賛。





「くけ、ケケケ、成功した! 俺は成功したぞッ! 成功だ!」





 オジジが意識を取り戻すきっかけになったのは、降り注ぐ大量のがれきと、男の狂的な笑い声であった。


「げぇ!?」

 鞭のようにしなる長大な舌が、のたうつ大蛇おろちのように辺りの家を張り倒す。爆発的破砕音が市街を揺るがす。ぐるりと転がる巨大な生首がごろごろと家屋を程よく潰して、止まる。

 ベルウッドの戦棍が、巨大な顔面のこれまた巨大な左目を捉えた為である。


「オジジ、気がついたなら俺を手伝え! そいつは使い物にならん!」

 寝耳に水の"邪神"襲来。星読み達の予言の範疇外の出来事に、クオンの守備部隊は浮き足だっていた。そして、"邪神"に対処を開始できた"英雄"はべルウッドだけであった。


「天人!」「天人!」「天人!」

 周囲の人間達の助けを求める声に。自分の力を求める声の多さに、とりあえずべルウッドは対処した。つまり、硬直した彼らを放置して、目の前に湧いた"邪神"をぶん殴る事になったのである。


 グワイアクムも、ミミ子も、ケイジも、誰もが硬直した中、真っ先にオジジが目を覚ましたのは偶然だ。

「おぉお!?」


 オジジは体の横に突き刺さる瓦礫を転がって避ける。ガンガンと痛む頭とは別に体が動く。原始的な恐怖に対しての反射行動。段々と刺さる礫を避け続け、くるくる回る世界を知る。中空に浮かぶ巨大な顔。鉛色の肌。先ほど観た世界の裏側と、今の世界の表側。ぐるぐると回りながら、状況の把握に努める。


 いまや、クオン王国首都トコシェの街並みの、三分の一ほどが綺麗さっぱり吹き飛び、更地になっていた。瓦礫の中馬鹿笑いをしながら、あさっての方向へと首が曲がった女修道者の骸を抱えながら笑っていたのは一人の男。それ以外は、正に血反吐を吐いて、剣持ち、槍持ち、槌を持ち。

 強大な"邪神の欠片"相手に立ち向かう真っ最中であった。

 先頭を切って"邪神"を打ち据えるのはべルウッド。


 互角というより、劣勢。


 焼け付く水蒸気を吹き付けられた家屋は燃え上がり、水銀の体液を浴びせられた兵達は狂い、癒しの力はどこに飛ばせば最良の結果になるか、今のべルウッドには判断もつかない。

「俺っちは失敗した……のか」

 呆然忘我で膝を突き、オジジの目はべルウッドと、それに従う人の兵達を追う。

 束になって吹き飛ばされ、散っていく命と、どこかぎこちなく動く、彼の友達で、いや――影がさした。遺骸を大事に抱えた、真っ黒な狂人がオジジの顔を見て、心底からの笑いを浮かべた。


「ありがてぇ、超ありがてぇ、オジジ、いや、アイツを見た時は冷や汗かいたもんだが、どうにもアンタはキッチリ仕事をしたから、俺は助かったようだ。何しろ、あいつじゃねぇ。コンマの動きが違う。俺の望みも大概叶った。お礼を是非言わせて貰いたいぜ、ありがてぇってな」

「早く、頼む! 持たん!」

「じゃあ、後は頼んだ。ありがとうよ、そっくりさん」

 ケケケと、耳障りな笑い声を残しながら、遺骸を抱えた男はかげろうの様にぼやけ、消えた。

「オジジッ!」

「……ばっきゃろぉ!!」

 凍てつく氷の渦が、普段よりも明らかに動きの悪いべルウッドを援護するように吹き荒れた。





「オゲァッ!?」

 全身を大蛇に締め付けられた痛みで、ベルウッドは血を吐いた。真っ黒な血である。

 先ほどベルウッドが見た、ぶれた世界は何だったのか。理解して、消化するよりも先に、続けて襲いかかる痛みに、ベルウッドはのたうち回った。

「一体何だ、何が起きている!?」

 予期せぬ痛みに、瞬時、冷静さを失う。

 意識を失ったかと思えば、世界がぶれて、巨人に大木で袋叩きにされる状況。落ち着く、という無理難題をベルウッドは成し遂げた。<癒しの光>を自分に掛けながら、ベルウッドは唐突に襲いかかってきた、のたうつ痛みを分析する。

 殴打、殴打、熱傷、破裂。リズミカルに叩きつけられるこれは、恐らく、戦闘の衝撃。横に飛んだ、右腕を振り抜いた、食い込んだ。右手首に掛かる負荷。

「違うっ! そうじゃないだろう、こうだ!」

 ベルウッドは苛立ちを隠せない。己の体の使い方がなってない。判ってない。

 自分なら、こうだ。自分なら振りぬかない。敵は強大、大物だ。隙の多い大技は極力控え、秒間ダメージ(DPS)を優先させる。なぜ判らない。なぜ、被弾する。


「何故だ!」

 叫ぶベルウッドの周囲にいるのは、新たな"仲間"達だ。奈落蜘蛛、六本腕、地獄甲冑、白蛇の巫女、その他様々な化け物達だ。その一員に、ベルウッドはなった。だが、誰もベルウッドには注目しない。ベルウッドの更なる上位者である、"邪神"が完全に機能停止している異常事態に、皆浮き足だって居た。「神よ……」と、動かぬ邪神に皆すがりつく。救い主が、救いを発する前に動きを止めたのだ。

「なぜ といっても かみさま うごかない」

「なにが おきたか わからない」

「かみさま」「たすけて」「だれか」

「まじん おまえが たすけてくれるのか?」

 狂乱していたのはベルウッドだけでは無い。周辺の仲間達全てが狂乱していた。

「……知るかァ!」

 判らない事だらけであるが、ベルウッドの旧知の仲間も、凍てついたように硬直している。

 この場で、意思を持って動けるものはベルウッドを抜いて他に居ない。そして、そのベルウッドも半ば別の事に気を取られている。


ヤ・ヴィが動かないなら、自分達が動くしかなかろう!」

 奴が動かないのであれば、自分が動くしかない。極々単純な理屈で、ベルウッドは一喝した。

「版図を広げろ! 世界を広げろ! 神の名の下に、我らの世界を広げるのだ!」

 恐らく奴のやりたい事はこうだ、と。

 ベルウッドは邪神に成り代わり、号令を発した。

 ちらちらと視界の端に見える、何かと戦うもう一人の自分の姿を見たが――それはまた、別の苛立ちで、別の話だ。


 こうして――ヤ・ヴィ不在の中、ベルウッドは指揮棒を振るう。





「はて?」

 チャカは猛烈な衝撃に襲われた。ぐるぐるっと洗濯機に放り込まれて、そのままぽぅんと――ふと、気がついたらモノクロームの世界。前に来た白と黒と灰色の世界。前よりずっと近くに見えるモニターから覗く自室。


 もう一歩踏み出して、両手をぐいっとモニタに掛けて、ぐにっと覗き込めば戻れそうな、そんな距離にいつの間にかチャカは居た。多重に巻き付いた鎖が、ちゃらちゃらと金属音を立てた。ぶらぶらと揺れて、先端は――見えない。


『今なら、戻れるよ』

 もう一人のチャカが、背中を押す。耳元で囁く。

「いや、まてまてまて、まって」

『戻りたいなら、多分、今が好機だよ』

 もう一人は囁く。チャカが思った事を、思って居ないことを、囁く。優しい声で。

「いや、だって、ヒゲとかタイタンとか……」

『彼らだって、責めはしないよ。だって、仲間だもの。それに、戻れてるかもしれないし』

「な、ナイトウとか……皆で戻らなきゃアレじゃん」

 そうだ、ナイトウはどうした。チャカが周囲を見渡す。一面の濁り空。灰色。モニタを隔てた世界も、この世界も、灰色だ。

 仲間が居なければ、チャカはどこに居ても灰色だ。

『ナイトウが戻れっこ無いこと、知ってるのに。今更何言ってるのさ』

「……?」

『本名、知ってるじゃん?』

「私、ナイトウの本名、しらな……」

 嘘だ。チャカは知っている。

 今まで知らなかったのに、こちらに来た時にあいつは馬鹿みたいに、自己紹介をした。

『ニュースの男性の名前、見てなかったっけ?』

 テロップに後に名前は流れたか? 元旦、火災で男性一人死亡と言う後に、何が流れたか。テロップの遅さと、時計の針の進みに確かに気を取られていたが、流れていなかったか、イトウシロウと。視界の片隅には、確かに――


「そんな、ばかな」

『だから、戻っちゃいなよ。誰も見ちゃいないし、責めやしない。死人は何も見ないし、何も語らない』


 わたしにとっては違うけれど――と、白金の人影が謳う。

『そもそも、だいたい、あんたにとっては、赤の他人じゃん』

 果たして――他人か?


『実際の顔も知らない、声も知らない、名前すらあちらでは聞いていない』

 確かに、チャカはナイトウの実際の顔も、声も知らないし、名前も聞いていない。画面モニタ一枚隔てて、全部知らない。知らない事だらけだ。

『実際にあったこともないし、あんたにとっては思い出すらも、仮想じゃない』

 そうだ、確かに、チャカにとって此の世は仮想であった。

『それに――あんたの、その姿だって、偽りじゃない。本来なら、わたしのものじゃない』

 この姿は"チャカ"のものであって、チャカのものではない。

 そう、確かに、偽り、仮面、仮想、空想、妄想。


『そんなんで、恋とか愛とか生まれないよ。空想の世界だから、妄想の世界だから、あんたは勘違いしただけだよ』

 これは――勘違いなのだろうか?

 チャカの胸の痛みは、勘違いの一言で済ませていいものだろうか。


『だから、ねぇ、帰っちゃいなよ。安心してさ』

 チャカの足元から、生えている人影が。

『後は、わたしが全部いいようにやってみせる』

 ねっとりとした手で、髪を掴んで。腕を掴んで、脚を掴んで。胴に纏わり、首を締め。

『わたしがあいつの心も体も全部奪ってみせる』

 影が絡みつく。絡みついて、チャカの自由を奪う。





『わたしは本物だし、偽物じゃないから。だから、ねぇ』

 ――わたしに頂戴よ、その体。


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