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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第四章 忌わしき技
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第十五話 時計 (4)


 たった数日の話だが、睡眠時間を削るのは肌にも体にも良くない、とヒゲダルマは思う。

(――数日間の■■作業でも立っていた先輩は凄いッスよねぇ……って、何の作業だったっけ。まぁ、いいッスけどね)

 デカイ体を寝台に横たえて、うつらうつらとまどろむ時間は至福の時間。ストーカー問題の解決――あれを解決と言っていいのか、多少疑問ではあるものの、久しぶりに何事も心配なく、予定もなく、ゆっくりと休める時間が訪れたのだ。


 ヒゲダルマは自分の顎をなでながら、ジョリジョリとした感触を楽しみながら、まどろむ。思考は取りとめもなく広がり、散逸する。固有名詞が浮かばない。

 傍観者、観察者というスタンスを、この世に生まれ出でてからヒゲダルマはずっと取ってきた。記憶はある。知識もある。しかし、どうにも欠落しているのだ。自分の半身が不足している、欠落感が埋められない。こんなにも不自然に記憶は欠落する物だろうか。

 だが、気にならない。

 この瞬間の極楽の中で、どうして悩む必要があろう。


 そんな至福の最中に、ダルマ落としのハンマーで、胴を抜くような衝撃をヒゲダルマは受けた。


 ぐぇ、と魂が口から抜けるような感覚の後、空に浮いていた。意識のみが浮いて、ヒゲダルマと言うアバターを、正面から見下す。妙にクネっとした寝姿で固まった体を客観的に見ると、非常に恥ずかしい。というか、むしろ、キモい。


『こりゃ、どういうことッスかね……』

 普段体の外へ出ないものが出てしまったらたぶん、宜しくない。肌にも、体にも。


『幽体離脱ッスかね?』

 違う。直感的にヒゲダルマは思った。体験した事のあるMMOは三人称視点で見下ろす形が多い。幽体離脱と言うよりも、自分を神の視点から見下ろす。そのような感覚である。マウスを動かしたり、ホイールを回すと、視点が回せたり、視点が近寄ったり遠ざかったりするような――しかし、決して定められた箇所よりも大きく視点を移動させれない、キャラクターに束縛された視界。


 呼ばれた――と感じた。


 本人のものであって、本人のものでない視点。本人以上に本人の事が良く判る視点。

 ここにスキルアイコンが、HPバーが、MPバーが、チャットウインドウが、存在するはずだ。ヒゲダルマの記憶に根深く刻まれたはずのそれらの形が、何故、存在しないのか。どう思い出そうとしても引き出せないのは何故だ。


 繋がった、と感じた。


 ぱぁ、っと広がる、MMO(ディープファンタジー)の本来のインターフェイス。

 ああ、きっとこれが、本来のデザインなんだ、と。ヒゲダルマは思う。

 そう意識したとたん、急激に肉体(アバター)と引き剥がされる。無限遠へと落ちる感覚。いや、実際はどこかへ移動しているのだろう。自分の認識が周囲を読み込むのに掛かる時間は数秒間。


 認識した。


 繋がった相手が、呼んだ相手が、認識した相手が、鏡で写し取った"自分"の姿(いや、記憶にあるときより少し老けていた)だった事に、ヒゲダルマは閉口した。


 ここはどこだ。そして。


「誰っスか、あなた」

 自分の顔とそっくりな他人が世の中には三人居る、という俗説を信じるわけではないが、ヒゲダルマ(藤田八重)は自分の顔を持った他人と向き合う。


「誰って、ウチはウチッスよ……正確には『ある地点の過去までの記憶を持つ』あなたと、『ある時点以降の記憶を持つ』わたしの二人ッスよ」

「つまり、どういう事っスか」

「単刀直入に言うと、魂が分裂している状態と言えるッスね。この場にあなたも呼ばれたのは、ウチの一部だから、と言うのもあるッス」

 対面の藤田八重(ヒゲダルマ)が言った。


「正直、ウチがこうやって意識を保っていられるのも、後ちょっとだけッス。あんまりにも巨大過ぎて、広すぎて、散らばりすぎていて、まとめるのにも一苦労なんスよ」

 よくみると、半透明。星空が透けて見える。


「いや、好きで神やってる訳じゃねーっつーの、とか言いたくなるッス。それこそ、先輩が邪神の中身やってるとか、冗談じゃないッスよ。それこそ、何で憎まれる役割を――」

「えっ」

「いや、これこそが、こいつ(ウチ)等の目的だったとかは、ヘドが出るッス。それに乗せられてるあいつらもバカッス」

 半透明の藤田八重(ヒゲダルマ)が、怒りに震えた。視線を下へ。眼下に広がる地獄の光景を、憎々しげに見た。


 ヒゲダルマ(藤田八重)には、化け物と骨と、少年が争いを繰り広げる世界が見えた。





 八木(ヤ・ヴィ)は追い詰められていた。同時に、エムオーを追い詰めていた。


 八木はたった一人の英雄にじりじりと生命力を削られ、苦戦を強いられている。

 八木の苦戦の理由は、たかが一人と侮っていた事だ。同時に、不自由な体を上手く使いこなせていない事も上げられる。自分の能力を全て出し切れないもどかしさ。それが焦りを産む。全身につき立てられる無数の剣や槍、嵐のような弓矢が生み出す痛みが、正確な行動を阻害する。

 そして、たかが一人にここまでやり込められる事実が、必要以上に八木を苦しめる。


 エムオーも邪神相手にここまでの苦戦を強いられるとは思っても居なかった。

 エムオーの苦戦の理由は、邪神の能力が以前のままである、と勝手な誤解をしていたからだ。

 能力が過去と同じだと、誰が決めた?

 大まかに一致していただけではないか。そもそも、"データ"通りならば、こんな事象はおきるわけがない。


「クッソ、そこは僕も早計過ぎた……かな」

 自分達が変わったのであれば、相手も変わっても何もおかしくは無い。


 今戦っている相手は、最終日に戦った"邪神"と本質的に同格。"最強"である自分達百名が苦戦必須で戦った相手だ。様々な枷が、相手を縛っているから、綱渡りが出来ている。


 折れて飛び出たあばら骨を抜き取る。抜いたあばら骨が鋭利な投剣と化す。意思を持った<骨の矢>が、邪神の眉間に開いた傷口に飛び込んで刺さる。邪神の頭が揺れる。同時に<死への加速>。エムオーの内臓はギュウっと、見えない糸で締め付けられる。全身に通された第六の超感覚が、周囲の大気の流れを教える。爆砕。寸前までエムオーが居た地点が、丸くぽっかりと大穴を開けていた。


 邪神の意思が瞬間的に大気を圧縮し、爆ぜさせた。そこまで理解したエムオーは、体からこぼれ落ちる内臓を片手で押さえつつ、跳んだ。間に合わせた。<血を肉に>で悠長に内臓を修復する時間を稼げない。握りつぶすように<死霊使いの右腕>を折る。ぼろりと生み出される白い骨。


 当初の意味のありそうな、言語染みたものを邪神はもう既に発していない。


 ケダモノの化け物のような、常軌を逸した咆哮、いや――奇声。

 エムオーはそれに気がついた時、引きつる顔も、筋も、全部無視してニヤニヤ笑ってしまった。


「何が神だ、邪神だ。へ、へへへ、お前は痛いだろ、苦しいだろ。僕は痛くない。もう痛くないいいいいい――っひひひっはああああっ、ふぅ、げぶぁ」

 哂う。哂う。悪意を混めて哂う。馬鹿みたいに哂った。当然、物凄い隙が出来る。がれきを弾かれた。当たった。左足が潰された。ごろごろと大地を転がる。


 エムオーの痛みの感覚はとうに失せている。自分の生命力を消耗して、様々な"スキル"を、いや、"奇跡"を生み出す"死霊使い"にとっては、非常に危険な状況だ。限界が見えなくなる事は、即ち敗北を意味する。危険な事は判っているが、それでも、あざ笑ってやった。コケにしてやった。


 残っていた"骨"の戦士達が、もう何度目か判らない崩壊を始めている。また()びなおして、数を揃えなければ。

 ――あの時は何分戦い続けた? そして今は何時だ?


 ()す為の時間を稼ぐ為に、骨達が怒り狂う邪神に、もう何度行ったか、数を数えるのも馬鹿馬鹿しい程の総攻撃を掛ける。制限時間(タイムリミット)を迎えた骨が崩壊しながら、邪神を、八木を、削る。


 ナの字になって、空を見る。

 欠けた足が戻れば、大の字だ。


 太陽が、昇る。

 雲ひとつない、赤い空。

 流された血の色のように真っ赤な朝焼け。


 暴れるだけ暴れた邪神と、少年と、骨の生み出した惨状があらわになる。木も、オアシスの湖面も、べりべりと引き剥がされた石畳も、邪神の巨体に押しつぶされた城も、燃え尽きた家も、全てが太陽に照らされる。

 生あるものは、そこに存在しない。

 "骨"が太陽に照らされてさらさらと崩れ落ちる様。崩れる体で構えた弓に、矢をつがえ、引き絞り、撃つ。全身から腐毒を撒き散らす、御伽噺に伝わる邪神のそのまま姿。羽毛が生えた蛇。全身に数百の矢が突き刺さり、断末魔の悲鳴を上げる邪神を見る者は、エムオーのみだ。


 どう、と力尽きた様に空から堕ちる、邪神。

 地に落ちた衝撃で、粉塵が舞い上がる中、邪神の体は燃える。赤黒い炎を上げて、燃える。

 誰も近寄れない、吸い込めば肺が焼ける大気。

 砂と瘴気の舞い散る世界で、少年は笑う。


「ぐへ、ははは、やった、やれる。やれるぞ。邪神だろうが、なんだろうが、やれる」

 哂う。高らかに、哂う。


「早くBANしてみろよ……神サマよぅ」

 物理的にぶん殴ってくるのが邪神なら、BANを使うのが神か?

 まぁどちらでも良い、とエムオーは思う。


「どうでもいい。早くBANしろ。いつでも良い。早く、早く来い! ずっと見てたんだろう。なぁ!」

 叫ぶ、哂う、エムオーの顔は既にぐちゃぐちゃだ。


 朝焼けの赤に染まる空、巨大な金色の女神が空に浮かんでいた。巨大な十字もまた、浮かんでいた。"女神"がエムオーを指差すと、十字を支えていた糸が切れたように、落ちる。

 エムオーも"女神"を見る。金色の、半透明の、美しい、作り物染みた顔だ。反吐が出るほど美しかった。


 巨大な"十字"が天を貫き、堕ちて来る。轟音を上げ、大地に刺さる(・・・・・・)





 世界を呪う罵声が、響いた。


「"追放(BAN)"すら個人の権限じゃ出来ない。神としての本能(・・)にも勝てない」

 口惜しそうに、地を睨みつける。


「この程度のやんちゃなら、こうして十字を投げて置けば良い? 十字も暫くしたら機能を取り戻す? 警告で済ませておけば良い? 邪神を倒した事で今回は大目に見よう? ざっけんな。畜生。畜生。畜生! ああ、神様は楽でいいッスね、楽で。先輩の作ったこの世界も、本当はどうでもいいんッスよね!」

 ヒゲダルマも、"女神"も、拡散し始めていた。


「ウチは既に、半ば変質している。これで良いと感じている。それがたまらなく憎い」

 ねぇ、とヒゲダルマに向かって"女神"は言った。


「あなたの方が、以前のウチに近い。個としての連続性はウチより、あなたの方がまだ保たれてるッス。だから、ねぇ、この茶番劇をどうにかして止めて。神から、邪神から、英雄からも――」


 ――この箱庭を、先輩の愛した箱庭を、守って。

 "女神"は拡散する。同時に、ヒゲダルマも――



「僕を指差した、そう思っていたのは僕だけか、一人相撲か! クソが! クソが! クソが!! クソがあああああああああああああああああああああああ!!」

 "十字"は――エムオーに突き刺さらなかった。

 エムオーと邪神が争った際に折れた十字が、元の位置につきたてられただけだ。


「必死に計略を練って、必死に呼び出した結果がこれだよ、クソが!」

 ――ああクソ、やっぱり、運営は好かない。上からいつも、全て見透かしたような行動を取りやがって。クソが。


 "十字"に、今は光は戻らない。

 不毛の地、もはや人の住めぬ、フェネクのど真ん中に突き立てられた、十字が朝日に照らされた。

 生あるものは、エムオーのみ。





 醒める、目。見開くと、薄暗い祭壇。耳元で歌われるのは、子守唄。

 ひやりとした体温が首に伝わる。多数の生き物達が放つ、空気の振動が伝わる。

 祭壇に鎮座する神体に向けて、この湖に居を構えた全ての化け物達が、八木を崇める。純粋に、ただ純粋に神を崇める。


『夢、では無い』

 敗北だ。

 悔しい、と思った。今までは『いかに負けるか』を追求してきた八木の変化。

 八木は自分を取り巻く、化け物達を見た。ただ、八木を信じる彼らの姿を見て、一つの感情を抱く。

 恐怖だ。

 負けることで、八木を信じる者達が揺らいでしまう事への、恐怖を抱いた。


 立ち上がる。背に掛かる、絹糸で織られた様な外套が、さらさらと揺れる。最後の仕上げに取り掛かっていた、子蜘蛛達もさらさらと揺れる。風に吹かれた巨木の葉が、さらさらと音を立てるように揺れた。しかし、幹は揺れない。


 ――そうだ。僕は、柱だ。彼ら全ての、柱なのだ。僕が揺れてはならないのだ。


『やはり、人は存在してはならない。特に"英雄"は存在してはならない』

 神としての役割を演技(ロール)する。負けてはならぬ。彼ら全ての柱たる身で、二度と無様な敗北を喫してはならない。

『進もう。僕らの道は、そこにしかない』

 このような事が、再び起こってはならない。八木はもう、敗北が許されない。





 ――嵐のような闘争の予感とは無関係に、かちり、と、時計の針は進む。


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