第六話 付き纏う者 (2)
ようやく落ち着きを取り戻したジャンヌを取り囲み、話を聞くこと数分。
「直結? ストーカー?」
ゲンナリしたチャカの声が、ジャンヌに向かって発せられる。ヒゲダルマもまた、髭面をしかめて、ゲンナリとした表情を浮かべた。ナイトウもバツの悪い表情を浮かべる。
「誰に付き纏われているか、判らない?」
「……そうよ、チャカッ子、悪い?」
チャカ達三人が、ジャンヌを宥めながら話を聞く。ようやく調子が戻ってきたのか、ジャンヌの口調にもハリが出てきた。
ジャンヌ達、"じゃんぬ†だるく"一行は、ギルド全体で宿屋を丸々一軒、貸切にして共同生活を営んでいたらしい。そのうち、ジャンヌの身の回りの小物が消えたり、下着やらが消えたりしたらしい。
始めは気にかけなかっが、その内実名をただただ記入した手紙が部屋の中に置かれていたり、夜に視線を感じたりと徐々にエスカレートして行ったらしい。
「ギルド内部の奴なのは間違いない、って言えるの?」
「そうよ、それだけは間違いないわ!」
ジャンヌがギルドを"解散"したのは"ギルド倉庫"に白いジャムのようなものがベッタリと塗りこめられた、ジャンヌの下着を入れられて居た為、らしい。だからギルド内部犯である、とジャンヌは確信しているのだそうだ。
ギルドメンバーにしか利用できない"ギルド倉庫"を汚されて、反射的に解散したのが今朝、という事らしい。
チャカは語尾に全て『らしい』を付けて聞いていた。ジャンヌの話で、誇張がある事はよくあった事だからだ。
「それで、誰がやったか判らないから、全部纏めて切ってきた、と」
なんとも短絡的な話ではあるが、最終的に自分達を頼ってきたジャンヌに、チャカは複雑な感情を抱いた。
「まぁ、それならそれで、仕方がない……かな」
この娘は、信頼できる友達を見つけられなかったのではないか?
性質の良くない友達にしか恵まれなかったのではないか?
それは、凄く悲しい事だ。
MMOの面白みは、コミュニケーションがあるからだ。それこそが、最大の楽しみであるとチャカは思う。
フレンド、ギルド、それこそ、通りすがりの野良。なんでもいい。人と人の繋がりが生まれ、そこからのやり取りでゲームにより深い楽しみを見出していく、少なくともチャカはそうであった。
だが、一方でコミュニケーションを遊戯の部分を超えて求める者達は、出会い厨――または、直結厨、もしくは単純に、直結。侮蔑の感情を込めて、そう呼ばれる。
フレンド同士で遊ぶのは楽しい。それこそ、唯一無二の親友と呼べる者が出来る事もある。顔も知らない者同士で、恋に落ちる事も、稀にだがある。ゲーム外チャットを利用した交流や、オフ会を行う事自体には問題は無い。
交流や出会いがあるからこそ、面白い。
だが、"直結"は違う。他人の都合など、考慮しないのだ。
昼夜問わずのラヴコール。ログインしたら即飛ぶ耳打ち。会話の中に散りばめられた、個人情報を抜こうとする必死の努力。更には密かに性欲の捌け口にされる等々。
それだけならば、無視すればいい、という意見もある。しかし、無視できないストーカー行為や、周囲の人間への陰口、誹謗、中傷などへと発展する事もある。
正常にゲームをプレイすることが不能になる所まで、彼らは絡んでくる。
だが――大抵の場合は、暫くログインを控えて、ほとぼりを醒ましたり、気分を変えて新しいキャラクターでプレイするなりすればいいのだ。
それに、運営会社に通報しても良い。付き纏われている事実を、会話記録を揃えて突きつければ、腰の重い運営も動かざるを得ない。
それでもダメなら、最後の手段ではあるが、ゲームをやめればいいのだ。
逃げる手段は幾らでもある。いかに彼らが頑張ろうが、こちらの画面を超えて出て来ることなど滅多に無い。
そのラインを超えれば警察沙汰にだって発展する。
彼らも、いかに恋? が盲目とは言え、踏み出してはならないラインは弁えている事の方が殆どだし、そのラインを超えることもそれなりに困難だ。
全てはゲームであった頃の話だ――
"お友達事件"の記憶がチャカに蘇る。
シゴは確かにBANされた。しかしそれは、運営が存在したからだ。
"絶望の迷宮"の死闘の記憶がチャカに蘇る。
シゴは確かに排除された。しかしそれは、彼が明確な敵であったからだ。
彼は死んだ。幸いにも、肉片一つ残さずに、チリと化した。
もしも、シゴのようなモノがジャンヌのギルドメンバーで、何食わぬ顔で自分達に混じって、脱出していたなら、極めて不幸な事だろう。
しかし、全部が全部、ジャンヌの狂言で、何もかもがかまってちゃんな妄想である可能性だって、無い訳では無い。
この世界に来てからノイローゼになるようなことばかりだったし、皆が皆、多少病んでも仕方がない。目の前の、かっての生徒が妄想を患っても、仕方がない。
(とりあえずは、ジャンヌの所のギルドメンバーと連絡を取って一時的にこっちで預かればいいかな)
大体さっきの騒動だって、ただのカラスの仕業じゃないの、とチャカは思う。
色々ナーバスになった時に様々な偶然が重なって、世の中が悪い事だらけのように見える事だってあるだろう。
おいしい物を食べて、しっかり寝て、健康的な生活を送れば改善する。なんだかんだでタイタンだって――
チャカの背すじにちろちろと舐めまわされるような悪寒が走った。
(まって、タイタンは誰に殺されたの?)
タイタンには殺される理由が無い。思い当たらない。
ここ数年、ログインすらしていなかった、だから、もし殺される理由があるとするなら、こっちに来てからだ。
通り魔的な"PK"が他にも存在するのか、それとも、もしかして。
考えもしなかった事だが、もしも誰かが"彼ら"を復活させていたならば、非常にしっくりと来る。
(いや、ありえない。皆襲われたし、誰もわざわざ好き好んであいつらを蘇らす訳が無い!)
チャカは頭を振って、悪い予感を追い出す。追い出した。
「それでもっと具体的に、詳しく」
他人事ではない気分に襲われたチャカは、過去の確執を一旦棚上げにし、本腰を入れて、真摯に話を聞く気分になった。
これが全部ジャンヌの妄言かもしれない。いっそ、妄言であってくれた方が良いと思う。
それでも、捨て置けなかった。
――あんな目に会うのは、誰だって可哀想だし。
「……ヘヘ、どこに行こうとバレバレなんだよ」
<影渡り>と<隠業>、この二つの"スキル"は"暗殺者"を代表するものである。前者は影から影へと高速で渡るスキルであり、彼らの移動する足音や気配を極限まで小さくする。後者は影に紛れ、その場に存在している、と言う気配を喪失させ、存在感を極めて薄くすると言う効果を発揮する。
どちらも、不意打ちに特化した暗殺者らしいスキルである。
そして、悪用すれば覗きに最適である。この二つを駆使しながら、暗殺者の彼(以後、彼を仮に"トム"と記す)は密かにまた、ジャンヌを覗き見る事が可能なポジションを探し、<影渡り>を繰り返す。
「もう一寸押せば、きっと俺の愛に気がついてくれるよな、へへへ」
いきなりギルドを"解散"するとは、思い切った手段をとるものだ、と"トム"は下卑た笑いを浮かべ、まぶたに焼き付けた"彼女"の姿を思い出した。
実に平凡な、その癖お高く止まった黒髪黒目の娘だ。しかし、"トム"が念入りに観察した所、体の出るところは出て、しまる所はキュッとしまる。鎧の下の体は非常に我侭という、実に"トム"好みの娘である。
そして一番大事な事だが、彼女はリア女(これは、実に彼にとって極めて重要な事であった。彼はゲイで無いのである)なのである。
それが悲鳴を上げて床にうずくまる様を見て、"トム"は少々もよおしてしまった。
その結果、"トム"があの場に存在していたと言う痕跡を残してしまったのは、多少問題だったかもしれないが、エレクトする何かを感じていたので、気にする事をやめた。
<隠業>を駆使した"トム"の存在を感知し得たのは、愛しのジャンヌと、これは予想外だが、ヒョロ長の魔法使いの男だ。注意せねばならない、と"トム"は思う。それ以上に、筋骨隆々の髭の大男が、馴れ馴れしく"トム"のジャンヌの肩や背中に触れている。殺さねばならぬと思った。
いや、殺すだけでは生温い。殺す前に両手足の腱を切った後で、尻の穴から口の先まで、短刀を突っ込んでやらねば気がすまない。
対面に居た少女にも"トム"は目を奪われた。もし彼女が女性であったならば、脳内ハレムに加えても良いと思う。
中身が野郎であった場合は?
"トム"は脳内にちらりと浮かんだおぞましい想像を追い出した。やはり、その場合は断罪せねばならぬだろう。彼の所属していたギルドにも、同じような輩が存在した。こちらに来てから矢鱈と"トム"のジャンヌと絡んで、気分が悪いにも程があった。
「俺のジャンヌに手を出そうとか、百年早いんだよ……」
思い出すだけで"トム"は不愉快だ。なので、キツイお灸を据えてやった。奴も今頃は反省しているだろう。
<隠業>を駆使し、常人にはほぼ不可視の状態で、ジャンヌが部屋から出てきた時に覗き見る事が可能なポジションを陣取ろうとした"トム"は、ポンポンと肩に手を置かれた事に気がつくまでに暫くの時間を要した。
「ぐっ!?」
「シィー……っで、御座る。チミ、先ほどから見ていて思ったが、少々近すぎるで御座る。もう半身ほど離れないと、バレるで御座る。視界に納めつつ、愛の対象からは気付かれない距離を取る手法、それがチミはまだまだ、甘いで御座る」
珍妙な男であった。
気配を消した"トム"の背後を更に取る手腕からして、尋常の生物ではない。
見た目すら、尋常ではなかった。女性用の死霊使い装備を無理やりに着込んだ、異装。道を通れば十人が十人とも、悪い意味で振り返る、そんな男であった。
思わず"トム"が悲鳴を上げようとした所、神速で男の手が口におしあてられた。
「騒ぐんじゃないで御座る……チミ、バレるのは好みじゃないでござろ?」
粘着質な声。丁度一歩分、"トム"は対象から引き剥がされた。
「チャカたんが目当てであったなら、軽く殺って置こうと思ったで御座るが、そうではない様子。チミは、拙者の同類でござろ?」
なんだこの変人は。"トム"に取っては、崇高な愛の儀式である。奇人に同類と呼ばれる事には抵抗があった。
「……お前は、一体」
しかしこの変人、"トム"より余程の使い手。完璧に"気配"の察知距離を把握し、覗きに全力を注ぐ、変態。
「拙者も出歯亀で御座るよ、出歯亀氏。親に貰った名前に意味など無く、為した事でつけられる名にこそ、真理が籠るでござろう?」
べったりとねとつく脂汗。
"トム"に戦慄が走った。どこかで見た事のある変態である、と思った。
この世に来てから、ジャンヌしか眼中に入らない"トム"の記憶にも残っていたこの男は。
「アンリ――ムゴッ」
「だから、騒ぐんじゃないで御座る。バレるで御座る」
ムゴムゴとわめく"トム"の口を押さえながら、出場亀の変態は語りかけた。
「一つ、チミに策を授けるで御座るよ。拙者は失敗したが、チミならば、もしかしたら、成功するかも知れぬ策でござる――」
"トム"の耳朶にねとつく唇が寄り、ひそひそと何事か囁いた。
段々と、"トム"の目がカッと開かれる。天啓を得たように、トムは叫ぼうとした。
「へ、へへへ、そりゃす――ムゴッ」
「だからバレるで御座るよ」
もう一度変人は、トムの口を押さえる事になった。
「さて、拙者はもうそろそろ用事で行かねばならんで御座るが、まだこの世に同類が居たとは、僥倖僥倖。自家発電に励むでござるよ、若人」
変態の先輩は変態の後輩に、目先のこまごまとしたものを吹き飛ばす共感を覚えた。
真夏のうだるような熱気の中、油らりと立ち上る陽炎。
"トム"が気がついた時には、既に出歯亀は消えうせていた。
"トム"もまた、新たなステージへと移行する為に、行動を開始する。
「――待ってろよ、ジャンヌ」
下卑た笑みを口元に湛えた様は、全く、シゴに良く似ていた。




